GRADUATE SCHOOL OF ART & DESIGN|大学院

 

大学院

学生×教授対談 松橋正高(洋画大学院2年)×赤坂憲雄 大学院長

松橋
芸工大へ入学した当初は、趣味レベルではなく、それ以上に絵を描く力をつけたいという気持ち程度でしたが、大学2年、3年と制作を進めるうちに、自分がやりたいものが少しずつ明確にみえはじめ、4年生の頃には絵を描くのが楽しくて、毎日学校に来て缶詰で絵を描いていました。同時期に就職活動を始めたのですが、このまま就職してしまうことにどこか違和感がありました。でも、そのことがきっかけで、絵を描き続けて自分の表現手法を高めたいという思いが固まり、最終的に大学院に進む事を選びました。いろんな人に自分の絵を見てもらって、見た人の心に何かしらの変化をもたらせるような作品を作っていきたいです。
赤坂
学部で制作してきた事の今後の展開を模索する方法として、描いてきた絵のスタイルを自分で壊したり、これまで使ってこなかった素材を絵に取り入れたりしていますね。実験的な要素があって、絵描かれているものの表情がすごく面白くて印象的でした。
松橋
学部時代は、植物などを淡いトーンで描いていましたが、卒業制作で今のスタイル(抽象作品といわれるようなシンプルな作品)になりました。大学院に入った頃は、いろんな素材を使ってもっと何か新しいスタイルができないか試したこともありましたが、今のままの形で研究を続けています。
赤坂
油絵の具であんな淡い色が出るんだ。
松橋
一見すると、日本画素材とかアクリル絵の具だとか言われます。
赤坂
うちの大学院の特徴は、洋画と日本画の教室がすごく近いことでしょう。また、いろんな表現方法やジャンルの垣根が低く、交わったり出会ったりできるんだと思う。そういう意味で、あなたの作品は、日本画に影響を受けているのかな。
松橋
自分のスタイルが学部の頃からそれほど変わったわけではないですが、日本画も洋画も、描画素材の面で違いが無くなってきているので、枠にとらわれないで考えられる気がします。
赤坂
日本画も洋画も作品がどんどん表現手法を越境して、新しい芸工大の表現が生まれてきているのかもしれない。とりわけ芸工大の日本画は凄く暴力的に従来の「日本画」の枠組みからはみ出していて、それが洋画をも巻き込んでいる気がしています。大学院の合同講評会は、学科・コースごとの講評とは別に、全部の学生達、教員にも公開されているから、発表する時は結構緊張するでしょ。
松橋
人の前で話すだけでも抵抗を持ったというか、自分の制作についての考え方を大勢の人の前で話す事をあまりしてこなかったので、当日も膝をガタガタさせて喋っていました。でも自分の考えをしっかり練って文章にしたので、ある程度は話すことができました。
赤坂
自分の作品コンセプトを言葉で説明する必要は必ずしもないとか、我々教員の中でいろいろな議論がある。でも、すばらしいと思うのは、「表現とは何か」ということを、ぎりぎりのところで専門分野の違う先生がやりあっているということなんですよ。学生に真剣にメッセージを送っているんだよね。だから学生達が緊張するのは当たり前。学生も教員もああいう場から逃げちゃいけないんだと思います。こういう瞬間こそ幸福なんだと僕は眺めています。君が自分の絵について表現したことがその絵の全てではないし、今度の卒展で僕が眺めてきた院生達の作品がどういう風に出てくるのかわからない。でも講評会や、いくつかの個展を追いかけてみるとレベルが高いと思いますよ。君達は気が付いていないと思うけど、先生達は気が付いています。ドクター(博士)を修了しても、一人の作家としてやっていけるわけではない。でも、作家でやっていくにせよ、社会に出て教員になったり会社に入るにせよ、ここで培ったものが基礎となっていくと思うのです。君は今後どうするの?
松橋
進路については明確には決まっていないんですが、これからも表現者として活動していきたいと思っています。
赤坂
卒業はひとつの区切りであり、4年ないし6年間の自分の活動のとりあえずの終わり。そういう意味で、卒展は、その終わりと始まりを大学が演出して後押しする風景なんだよね。昨年の卒展の来場者は2万人規模だったでしょ。これは山形ではありえない数字なんですよ。大学の学科、コースがまとまってひとつの演出をして、卒展が「ただやるだけ」のものから、「表現の場」に変わった大きな出来事だった。これから2年、3年と重ねていけば伝統になっていくと思います。卒展を学内展示にした事で、東京の画廊や、雑誌の編集者の方などもずいぶん来てくださいました。デザインの学生も自分の名刺をつくって、会場に来てくれた人に渡していましたね。表現行為とは制作しただけで完結ではない。そういう意味で卒展には芸工大がこの15年をかけた蓄積が活かされています。
松橋
東北でアート活動が活発になっていくのは僕も嬉しいです。大学で展示するだけではなく、外部の人の目に触れる場所でどんどん表現していける。山形を通して、いろんなところに散っていった人もまた繋がっていける。ひとつの大きな流れになっていけばいいなと思います。
赤坂
去年の卒展で、はじめてチャレンジしたことの中に、脳科学者の茂木健一郎さんやアートディレクターの北川フラムさんなど、学外から審査員を招いた優秀作品の公開審査がありましたね。その様子を後ろから見ていて面白いと思ったのは、審査委員が会場に入った瞬間、彼らは輝いている作品がわかってしまうんですね。その作品に直行し、それしか見ない。また別の審査委員の先生は、関心の赴くままふらふらいって、気が付くと作者と話しをしていて、他見ないで帰ってきちゃう。それって「見てない」のとは違うんですよね。我々教員は、教育的な視点から、その子の努力の過程を評価します。ですが、あえて外部の知性を評価のプロセスに加えていくことの意味は、社会に出た時にどういう眼差しにさらされるかということの再現でもあります。卒展はその両方が必要だと思うのです。一人の審査委員なら選ばない作品が、ディスカッションで選ばれるんですよ。世間の評価はそういうものなんです。ひとり強烈な個性がいて、声が大きい意見のほうに全体の見解が引っ張られたり、逆に反発してそれが消されることもあります。ある意味、客観的な評価とは、極めていい加減であり、虚ろいやすい。でもそういう視線に君達は否応無くさらされるんですね。卒展がそういう意味で、君達にとって、虚ろいやすくて、いい加減で厳しくて、時には甘い世間の評価に、初めてのぶつかる場なんですね。
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