DEPARTMENT OF FINE ARTS | JAPANESE PAINTING|日本画コース

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日本画コース

学生×教授対談 城田能豊靖(4年)×谷善徳 講師

城田君の目からみて今年の日本画卒展はどういう感じですか?
城田
卒展の前に、僕たちは上野の森美術館で学生実習展覧会を開くんですが、美術館がとても広くて僕達の人数を考えると一人のスペースが広く取れるので、それに合わせてみんな大きな作品をつくるぞっていう意識がありました。みんなが大きい作品とうわけではないんですが、その効果もあって今回の卒展をめざしてのびのびと絵を描いています。
それが絵にも出てるよね。今年は特に一点一点が違う。それぞれが自分のやりたい事をだしていてみんな違う印象をうける。卒業制作の時期は、自分の今までの殻を破って、ぐっと延びる時期なんじゃないかな。
城田君は、今回迷った時期でもあったよね。それを払拭するために自分探しに京都に行ったりもしましたね。それが絵にもでていたと思います。悪い意味ではなくて、逆にその迷ったことが城田君の今回の作品の良さになっているように思います。描き始めてもう中盤がすぎましたけど、卒制に入る前と今とでは、意識が違ってきたと感じる所がありますか?
城田
卒展の作品を意識したのが、4年に入るちょっと前ぐらいからで、3年生後半の頃から、こども芸術大学で取材をして子どもの様子をスケッチしたり、一緒に遊んだり、子どもたちの視点にたって考えてみたりしました。子どもたちはすごいかわいらしいし、一緒にいて楽しかった。でもそれだけじゃなくて、子どもたちが自分にはないものをもっているような。いや、もっていたんだけど、なくしちゃったようなものをもっている気がしました。それに魅かれて描いていけばみえてくるかなって思ったんです。四年生の前期のころから、子どもたちの絵でシリーズを描き始めていたのですが、「屏風絵」を観た時に、世界を俯瞰しているようなイメージがあって、その世界観と、幼稚園で観てきたことをうまくあわせて卒制にできないかなって思いました。早い段階からこのイメージを持っていたんですけど、描き始めてからは二転三転しています。
最初、具体的に子どもの姿から入っていったでしょ。それから段々、具体的な形がきえて、今の段階では、こういう形になったわけけど、こども芸術大学で子どもをスケッチさせてもらったときの気持ちや、それを上手く出せた部分、また形にできたと思う所などはありますか?
城田
最初は子どもたちの活動している様子を描こうと思ったんですけど、それだと妙に説明的になりそうだし、本当に自分が描きたかったもの、愛したものというのはもっとすごく感覚的なものであって具体的な形をとどめてないと思ったんです。形のあまり無いようなものが、自分が本当に大切に思ったものなんじゃないかなって思ったら、形が消えていきました。箔をちぎる時の感じ・・・すごくキラキラしてるんですが、脆くて危うくて、思い通りに扱えなかったりするようなものが子どもの持ってる感性に似てるんじゃないかなと思ったんです。ある程度それが目に見えてくる感じに制作しています。これから先またどうなるかは分からないですけど・・・。
――
山形で卒展をやる良さについて聞かせてください。
城田
みんなと話していると上野での展覧会と比べがちで、上野に向けて制作する空気が強い部分はあります。でも、なんだかんだいって4年間活動してきた場所は、東京じゃなくて、ここ(山形)なんです。僕が本当に絵をみてもらいたい人、みてほしい人はここにいて、僕は、子どもの為に描いているとまではいいませんが、やっぱり、子どもの事をずっと一年間以上描いてきて、描くときも思い続けてやってきたから。ここで展示することで、こども芸術大学の子どもたちとか、かかわってきた人がみにきてくれることを期待しています。
学長も言っていましたけれど、山形の人がいちばん芸工大のことを考えてくれていると思うんですよ。まずは、その人たちに4年間の成果を、最初にみせるべきなんじゃないかって思うのね。去年から、卒展が学内でのアトリエ展示に変わりましたけど、それについて城田君はどう思う?
城田
山形美術館で展示していた時は、「美術館」でやれる感じが良かったんですけど、そういう部分では、上野の森美術館でもできるって事もあります。アトリエでやるのは、いろいろと準備の時がすごく大変ですけど(笑)HOMEでやっているていう感じがあるので、ここでみてもらいたい人達に伝える場として適しているんじゃないかなって思います。
アトリエの展示になって、ごまかしがきかなくなったよね。そのことよりも、私自身振り返ってみると、卒業していろんなことが段々分かってくるでしょ。それが良いことじゃなくて、悪いことのほうが多いような気がします。そして絵を描く一番大切なことを少しずつ忘れているように思います。そのことにある時はっと気がついて、大学で制作していた頃に、分からない中で何かを探ろうと真正面から対象と向き合っていた時の気持ちを思い出して自分を見つめ直すきっかけになってほしいと思う。だから、いろんなことを考え、悩みながら制作したアトリエで展示する事に大きな意味があると思う。私は大学生活を振り返ってみるとまず思い出すのは卒業制作で、そのときの描いた気持ちなんだよね。一番迷っていた時期で変な絵を描きましたけど。
城田
そこが気になります(笑)
私は、絵を描いているとき知らず知らずに考えすぎて、気がついたら脇道にそれていたということがあります。そのような時に考えるのは、やはりスケッチし、アトリエで制作していたときの気持ちでだったり、どうしたらよいか分からないけどがむしゃらに何かつかもうとしていた頃のように思います。意外と段々忘れてきて・・・。そういうときにさ、初心にかえるっていうか。そのような時には、学生の時に描いた写生を見直したりもしています。
分からないから何かをつかもうと、何日もかけてスケッチしたものって、ちまちましていてどんくさいんだけど、じわぁっと出てくるものがあって。そうした時間の中で、いろんなことを考えながら線を引いているわけですから。ただひとつの現象や、気持ちを伝えることだけが絵じゃないと思います。長く座っていれば特定の対象物だけでないそれを取り巻く風、音、光等の様々な現象の変化、感情を取り込んでいける。城田君も子どもたちの中に入って、出来るだけ長く触れ合う時間を持てばきっと何かみつかると思う。
城田
目でみえただけじゃなくて、もっとなにか、さっき先生が風を感じた時のあの感覚といってましたけど、音とか、気配とかもっと体で感じるような生々しさを現場に行くと、やっぱり幼稚園の雰囲気は外と違うし、入った感じが刺激として残っています。
本学の名誉教授だった今野先生は、生前、月山の作品を数多く残されています。毎年山形に来られて月山のスケッチをされていたのを憶えています。それは、一年一年変わる先生のお気持ちを通して感じた月山を描いていたのだと思います。一年一年人間は生きながら変化しているわけですし、その年々の変化を展開していくためにも、スケッチしないとその時の感情に合った自然な変化が生まれないように思います。私もそう言いながら出来ていませんけど。変な言い方ですが、パズルや借り物、突然変異でもない自然に繋がっていくような変化が、人間が生きて成長していくように、私は大切だと思います。一概に言えませんけど。
――
城田さんにとって「スケッチ」はどういう行為なんですか?
城田
子どもたちの姿を描いている中で、スケッチは、時間かけることも大切だけど、瞬発的な要素も大切かなぁって思いました。その空間の速度に合った捉え方が必要なのかなぁ。
ものによって変わるよね。
城田
子どもたちの場合は、刹那的なんです。感情の変化のスピードが速い。さっき笑ってたかと思うと、次瞬間、なきだしたり、人にかまってたと思ったら、もう自分の事をやりだしちゃう。子どもたちの世界は変化が早い。それに対応するためには、感覚もすばやく手も素早く動かしていかないといけない。山とか風景を描く時はゆっくりスケッチした方がいいなと思うんですけど。
生き生きしてるよね。それがこの絵にもでるといいね。
城田
いろいろやっていくと、パズルみたいになっちゃうっていってましたけど、子どもたちはそういうことを考えてないんですよ。迷いがないし、純粋に楽しむ心をもってるから。子どもたちをリスペクトしているのはそこなんです。
息子にクレヨンわたされて描け描けってよく言われるけど、子どもの描く線にはかなわないよね。自分の線が妙につまんなく見えてさ(笑)
城田
すごく負けた気になって。それで1年以上つづいたのかなぁ。負けたくないっていうか学びとりたいと思った。
あせらないでね。背伸びしたってぼろがでちゃうからさ。今出来る事をやって、自然にその時がくるまで待つしかないんじゃないかな。
――
今年の卒展の会場レイアウトについて教えてください。
城田
今年は学内での卒展二回目だから、去年よりよくしたいって気持ちがある。去年は一部屋ごとに限られていたけど。今回は、部屋の中で仕切りを動かしたりして、空間の大きさやバリエーションが変化したなって思います。
後は、雪が降らない事を祈るだけ(笑)
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