DEPARTMENT OF ART HISTORY AND CONSERVATION|美術史・文化財保存修復学科

MAP4

美術史・文化財保存修復学科

「繋がる。かな?」 工藤美穂(4年)×藤原徹 教授

藤原
立体修復ゼミの卒業研究は、美術館・博物館から保存修復処置の必要な作品をお預かりして、学生は一人一作品直すということを、ここ数年続けています。毎年何が入ってくるかは正直わかりません。今年は現代・近代の彫刻家の作品を沢山扱うことになりました。
というのも近代化した新素材が出てきて、多種類の素材がアートの表現手段として使われ始め、稀に相性が悪いもの、素材の物性をあまり知らないまま表現されたものがあり、そういう意味での近・現代アートの劣化が古いものよりも早く進んでいるからです。
基本的にコンサバター・保存修復師という職種は、あらゆる材料を扱えないといけない非常に難しい仕事です。自然表現系の作家だと「劣化も美のうちだ!」と、ある意味では正解、ある意味ではいい加減な言い方がされます。でも、そういった作品を美術館が皆さんの税金で買い上げる。そしてそれらを崩壊していくまま放置してよいのだろうか?と思うのです。作家がどういう意図で何を表現したかったを見定めて、それを尊重しながら直さないといけないのです。
――
工藤さんはどういう生徒さんでしたか?
藤原
大変なやつが入ってきたなと初めは思いました(笑)。彼女だけではないんですけどね。美術史・文化財保存修復学科では1、2年次に高校で教わってきた科学の復習など、基本的な部分の補充の授業などが行われ、3年次からはやっとゼミに分かれ専門分野に入ります。彼女も1、2年次の頃は「大学に来てまでなぜこんな事をしないといけないの?」という不満は心の中にあったと思いますが、3年次に私のゼミに入ってきて、話が専門的になってきたら俄然燃えまして。それまでは本当に「学校が楽しいのかな?」と疑うこともありました。
工藤
1、2年次の頃は確かに「なんでこんな事をしなきゃいけないの?」と思う時もありました。ただ、私の場合は授業が簡単すぎてとかそういうのではなく、高校時代のツケを取り戻すため必死だったので苦しんでましたね(笑)。3年次になって立体修復ゼミに入り、ちょこちょこと修復の作業をさせて頂く機会がありまして、その時初めて「苦しんでて良かったんだなー。」と思ったんです。授業で教わった事が生かされて行くんですよ。なので、一・二年次の授業はかなり重要ですね。
今回、保存修復処置を行わせて頂いたこの作品においてもかなり生かされていますよ。ただ、授業で教わっていない分野は全て自ら勉強するしかないので、苦労はありましたけれども。
藤原
彼女はこの作品の保存修復処置を行うと決めてから、作業の合間に溶接の免許を取ったり、大学の外でのアタックもしていました。結局生きている以上、最終的なところでは自分が支えないといけない。そういう訓練として一人に一作品与えて責任を持たせることは、凄く人間的に成長するんですよね。
工藤
一年間作品と向き合うということは、かなりの精神力がいる事でした。美術館からお預かりしている作品であるということへの責任や、私の手の動かし方一つで作家の想いを潰してしまうような処置になるのではないだろうかと悩んだり。ただ、それが辛いからといって折れてしまったら何も進まなくなってしまうんです。なので、自分をうまくコントロールして毎日学校に来て、コンスタントにやるしかないんですよね。このことは、一年間作品と向き合ってみて、良い経験になったと思っています。
藤原
責任って凄く重いんだよ。その重さがわかると本当の意味で社会に出て通用する人間が出来てくるんですね。普通の大学では卒業レポートを提出して、社会に出て行くからほとんど責任感は無いんですよ。修復ですと、作品を一年間お借りして処置を行いますが、期日までにどのような段取りを踏んで、どの時点で何処まで進行していなきゃいけないのかと自覚しなければいけない。いわゆる世の中で生きていこうとする作業が実は全部入っているんです。これがきちんとできれば私は「こいつらどうやっても生きていけるな。」と思うんです。
――
職人みたいな世界ですか?
藤原
職人とはまた違います。自分には出来ない技術があると分かれば、その技術がある人を見つけて、共同で作業を進めていきます。全知全能じゃないからね。
藤原
でも、得意ジャンルを持っていると、世の中で戦っていく時に強みになります。強みは自然に出来てくるもの。運命がそうさせるっていうか、自分の意思とは別に、たまたまその仕事が自分の目の前に多くやって来て自然と強みになっていく。
工藤
この作品の処置を行っている時「あぁ、運命なのかなー。」と思うことはありました。というのも、この作品の処置において塗装をしなければならない時があったのですが、たまたま、私の実家は塗料店だったので、父に塗料のことや、塗装のこと、処置に入る前にかなり電話で相談に乗ってもらいました。小さい頃から塗装とは無縁な人生を送ると思っていたのに、「まさかここで!」と。こういう偶然とか、今までの授業の応用がいろいろな局面で繋がったり。得意ジャンルになったと言えるレベルではないかもしれないですが、作品の処置を終えたことで自身の強みにはなったと思っています。
――
修復家って未知の世界ですけど?
藤原
未知の世界でもないと思いますよ。作家の側からしたら僕らみたいなのがいると良いでしょ?僕らはお医者さんが風邪をひいてる人に薬を与えるのと一緒のことをするんですよ。表現者が第三者に伝えるため、形ないものから形あるものを作る。もし、何十年後かにその作品の具合が悪くなってしまったら僕らのような修復家が薬を与えたり、手術をしたり。保存と修復をする人間はより長く、その作品を皆に見せてあげたいのです。
工藤
修復処置中や、処置を終えてから「多くの人に見てもらえますように。」と私も思うようになりました。今までもそうだったんですけど、作品と一緒にいる時間が長いと愛情のような感情が出てくるんです。そのような感情が出てくるまでには、作家が伝えたかったことを私が十分理解しなければなりません。
作家が伝えたかったことを理解しないまま処置を行うことは、作家の想いを消してしまうことになるんです。自分のものへと上書きしてしまうように。それは、修復する立場の人間が一番してはいけないことだと思います。そのため、今回どんな処置を行うにしても葛藤は付き物でした。作家の想いと、目の前に見えている具合の悪い箇所への介入をどうやって折り合いをつければいいのだろうかというように。
藤原
度々「作品が壊れたから2、3ヶ月で直してくれ。」と安易に言われることがあります。しかし、そういうことは出来ない仕事なんです。まず入院して精密検査を受けてもらい、薬で治せるか、手術しようかという判断をしていきます。優しい手順で美術品と関わっていけば美術品もそんなに傷む必要はないはず。でも下手に短期間で強引にやると、その結果に対して文句だけは言われてしまう。そういう矛盾した修復のやり方に一般の人も気付くことが必要なんだと思います。
――
卒業研究が完成したときの気持ちは?
工藤
ほっとしたような不安なような気持ちです。研究が完成してほっとした半面、今回修復した作品はこれから美術館に戻って新たな人生?を送るわけですから、もう心配でしょうがないですね。「元気に過ごすんだよー。」って思いますもん。世話焼き過ぎですかね?
ただ、研究が完成したことは自分への自信にも繋がりました。これからもがんばろうと。それと同時に、この作品が持っている時間の一部に私が参加させてもらえたという事実に今更なんですが、びっくりしています。
藤原
いろんなものをやってきたけど、全部役にたちますよ。少しでもやりたい方向の側を向いている仕事だったら、とにかく生きていくためにこなしていく。みんな修復するにあたりこうじゃないといけないとか言うけど、一番注意しなきゃいけないことは、これだけはやりたくなかったっていう方向の行為とか事はやらないこと。でもやりたい方向のものを一発で射止める奴なんて誰もいないんだから少しずつチャンスを見て近づいて行けばいいんです。その過程が、最終的に仕事が決まった時のその人の厚みになる。かな?
△このページのトップへ