原点回帰
このコラムを書くようになって1年。最近はレコードの話というよりも、自転車の人のブログみたいになってきた。それはそれでよいとは思うのだが、今回は原点回帰。初心忘るべからず、だ。純粋に心を惹かれる楽曲を1つ選んでかんがえましょう。
今回は、1981年発表のクリストファー・クロス(Christopher Cross)が歌う“Arthur’s Theme (Best That You Can Do)”だ。この曲は、アーサーという名のお金持ちの坊ちゃんが恋をきっかけに成長するのかしないのか・・・、そんなストーリーの映画『ミスター・アーサー』の主題歌となっている。舞台はニューヨーク。なので邦題は「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」である。いつ聴いてもキュンとくる名曲。作曲陣にはバート・バカラックの名も見られるから、うむ、名曲として名高いのは納得である。
歌や曲というものは、初めて聴いたときの心境や空気や匂いとともに記憶されるものだ。わたしにとって「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」は、17歳の春を思い出させる1曲だ。
NHKラジオの英会話番組を毎夜聴くのが趣味だった高校生のころのわたしは、大杉正明先生の『ラジオ英会話』でこの曲を初めて聴いた。ニューヨークのお月さまはきっと都会的な輝きなんだろうなあ、とAMラジオから流れてくるクリストファー・クロスの麗しい歌声に想像力をたくましくしながら、いつか絶対にニューヨークに行こう!と思ったものだ。で、ニューヨークにはまだ行っていない。
運命のひとに出会ったら
「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」は、映画『ミスター・アーサー』の内容をなぞるような曲の内容であり、つまり簡単にいえば、住む世界は違うけれど、どうにも惹かれ合う恋物語だ。金持ちアーサーと労働者階級リンダという関係に似たものといえば、たとえば逆『タイタニック』みたいなものか。それはさておき、本当の運命のひとに出会うと、ひとはこの歌のような心境にいたるのでしょう。思い当たる方もいらっしゃるかもしれない。
Once in your life you find her
運命のひとを見つけてしまったなら
Someone that turns your heart around
心を乱すような運命のひとを
And next thing you know you’re closing down the town
次にすることといったら街の暮らしを一旦おしまいにすること
“closing down the town”とはいったいどういうことか。わたしが高校生のころに読んでいたNHKのラジオテキストによると「街の店が閉まるまでめくるめく時間をすごす」といったような注釈がつけられていたが、調べてみると異なる解釈がいくつかあるようだ。今回は“the town”を「ニューヨークでのぜいたく三昧の暮らし方」とかんがえてみる。そうすると、運命のひとの影響を受けて、今までの暮らし、つまりは今までの自分にケリをつける、ということになる。
Wake up and it’s still with you
目が覚めてもまだあの感覚がある
Even though you left her way ‘cross town
あの人を街のはるか向こうに置いてきたのに
Wondering to yourself, “Hey, what’ve I found?”
そして独りかんがえる「ぼくは特別なひとを見つけたのかも?」って
ここでは、彼女と一旦わかれたあと、ひとり眠り、そして目が覚めても、彼女のことを考えている恋愛モードな状態にいるのを“it’s still with you”と表現している。そして、住む世界の違う2人の恋を表すのが「街のはるか向こう(way ‘cross town)」というフレーズだ。物理的にも経済的にも心理的にも「ニューヨークのぜいたく三昧の暮らし方」とはるか離れたところに彼女が暮らしていても、彼女は自分にとって特別なひとなのでは?ボンボン坊ちゃんアーサーはかんがえ始めるのである。そして恋の炎はピークへ。サビへ向かうと、彼女と自分の位置関係の見方が一瞬で横から縦に変わる。
When you get caught between the moon and New York City
月とニューヨークの街の間に挟まれてしまったら
I know it’s crazy, but it’s true
おかしいけど ほんとうのことなんだ
If you get caught between the moon and New York City
月とニューヨークの街の間に挟まれてしまったら
The best that you can do
できるベストなことといったら
The best that you can do
できるベストなことといったら
is fall in love
恋に落ちること
月、それはロマンスの象徴。街(ニューヨーク)、それは汚れた世俗の象徴。その狭間にいるのだったら、ぜいたく三昧の街の暮らしをおしまいにして、月のほうへ心を傾けることがベストな選択ですよ。これはそんな恋のアドバイスだ。ところで、この詩を書いたピーター・アレンは、着陸待ちのためにニューヨークのJFK空港の上空を繰り返し旋回する飛行機の中にいたとき、この詩を思いついたのだそうだ。飛行機がなかった時代には生まれなかった詩というのも、現代的かつ都会的でおもしろい。
労働者の街に住むリンダ、そして、高級住宅地に住むアーサー。平面地図の中で相手との距離感を測る段階を経て、いま、空に浮かぶ神秘的な月と世俗的な街の地べたとの間にふわふわ漂っている自分に気がついたわけである。飛行機のおかげで生まれた横方向から縦方向への視点の変換。まさに恋する心が縦横無尽に動いているところを切り取った見事な詩だ。
なにはともあれ、運命のひとにひとたび出会ったのなら、身分や世間のしがらみの一切は放ってしまって、恋に落ちるのがいいのである。
こころの目
曲は2番に入ると、財産、洋服、見た目、そんなものを剥ぎ取った素の自分、本当のアーサーが登場する。
Arthur, he does as he pleases
アーサーは好き放題に暮らす
All of his life, his master’s toys
彼の人生はすべて 運命にもてあそばれるおもちゃ
Deep in his heart, he’s just a boy
でも 心の奥底では 彼はただの坊や
Living his life one day at a time
その日その日を好きなように暮らしてる
And showing himself a pretty good time
楽しく過ごす
Laughing about the way they want him to be
みんなが自分に求めるやり方を笑い飛ばして
アーサーだけでなく、どんなひともみな、本当の自分はただの坊や(just a boy)なのだ。逆にいえば、素の自分にならなければ、運命のひとにたどり着くことはできないということだ。まあ、みなさま、そんなことはご存じかとは思うのだが。
ところで、この曲を歌うクリストファー・クロスはデビュー当時、自分の姿の一切を隠して写真一枚さえ世間に公表しなかった。楽曲だけで自分の力を評価されることを望んだのである。大ヒットとなったのち、本人は姿をみせて現在に至るわけだが、上っ面でなく本当の自分、本当の実力で勝負しようとする姿勢がなんともステキではないか。むろん、その声の美しさは最高にステキなのだが、ますますクリストファー・クロスのファンになってしまう素晴らしいエピソードである。踊りや見た目が何より重要で、音楽はその添え物のような風潮の今日だからこそ、こころの目で本質をみることが大切だと、この曲が教えてくれているように感じる。
まもなく大型連休。リラックスして、こころの目を養いましょうか。
それではまた。次の1曲までごきげんよう。
Love and Mercy
(文・写真:亀山博之)
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亀山博之(かめやま・ひろゆき)
1979年山形県生まれ。東北大学国際文化研究科博士課程後期単位取得満期退学。修士(国際文化)。専門は英語教育、19世紀アメリカ文学およびアメリカ文学思想史。
著書に『Companion to English Communication』(2021年)ほか、論文に「エマソンとヒッピーとの共振点―反権威主義と信仰」『ヒッピー世代の先覚者たち』(中山悟視編、2019年)、「『自然』と『人間』へのエマソンの対位法的視点についての考察」(2023年)など。日本ソロー学会第1回新人賞受賞(2021年)。
趣味はピアノ、ジョギング、レコード収集。尊敬する人はJ.S.バッハ。
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