第1回 わたしたちは輝き続ける~ジョンとヨーコの巻|かんがえるジュークボックス/亀山博之

コラム 2023.03.20|

No Music, No Life

 東北芸術工科大学の英語科目を受講すると、それなりの高確率で、英語を学ぶことと同時にジョンとヨーコの軌跡をなぞることになっている。というのは、このコラムの筆者である私がビートルズ好きな英語教員だからであり…、いや、レコード収集家であり熱狂的なビートルズ・ファンが芸工大の英語科目を担当しているからといったほうがいいかもしれない。いずれにせよ、音楽と言語学習の親和性を大切にしている教員が芸工大で英語の授業を担当していて、その教員によるコラムが今回からはじまる。

研究室にある「War Is Over」
研究室に「War Is Over」

 英語教育にあわせて、私の専門は19世紀のアメリカ文学、なかでも「超絶主義」思想家と呼ばれるエマソン(Ralph Waldo Emerson, 1803-1882)の研究である。この研究をはじめるきっかけもまた振り返ればビートルズだった。学部生のころ、なぜビートルズのジョージ・ハリスンはインドにハマったのだろうと考えていたところ、インドに惹かれる西洋人というのはずっと以前からいたことを知る。そのうちの一人がエマソンであった。エマソンとジョージ・ハリスンの類似点を見出しながら、西洋人が東洋思想に接近する理由を探る過程をなんとかまとめた卒業論文を提出して以来、私はひたすら同じ道を歩み続けている。

筆者の卒論『近代西洋世界における東洋思想の存在と意義 ~超絶主義作家としてのジョージ・ハリスン~』
筆者の卒論『近代西洋世界における東洋思想の存在と意義 ~超絶主義作家としてのジョージ・ハリスン~』

かんがえるジュークボックス

 さて、このコラムを書くにあたり、自らいくつかのルールを決めた。音楽がくれる魔法のようなひらめき、歌詞やメロディの妙技、それらから連想される身の回りの個人的な出来事を考える時間、そうしたものを読者の皆さんと共有するきっかけをつくることを一番の目的とさだめ、コラム1エントリーにつき1曲をとりあげる。とりあげる曲は自分が持っているアナログの7インチ盤に限る。シングル盤だ。LPは認めない。いや、マグナス・ミルズの小説『鑑識レコード倶楽部』とおなじく、ごくたまにLPが認められる特例というものがあってよいかもしれない。アルバムを通して聴かれるべきものとして作られているビートルズの『Sgt.ペパー』やビーチ・ボーイズの『スマイル』のことを考えれば納得されよう。けれど、やはり基本は45回転のシングル盤だ。なぜなら、シングルレコードが持つ強烈なエネルギーによって運ばれる音楽のメッセージは格別だからだ。それに、シングルレコードのジャケットデザインも魅力だ。そして、このコラムは英語教員が書くのであるから、原則として英語で歌われる曲をあつかう。しかしときどき、これにも例外はあってよいだろう。だって、ミッシェル・ポルナレフがフランス語で歌う曲がもっとも似合う1日だったなあと思う日が人生にはあるかもしれないから。

魅惑のシングル盤
魅惑のシングル盤

 以上のルールにしたがって選んだ1曲をめぐる「かんがえごと」を定期的に書けたらいいと思う。どんな曲を選ぶか、ある程度の方向性は決まっているけれど、コラムをいざ書くというときにどの曲を選ぶか、それはそのときの気持ちや出来事に左右されるだろうから、そう、それはまさにジュークボックス!素敵じゃないか、ジュークボックスはシングル盤しか再生してくれない機械だ。なので、このコラムのタイトルは「かんがえるジュークボックス」だ。

インスタント・カーマ!

 記念すべき最初にとりあげる曲は何にするべきか。ジョージ・ハリスンの曲だったらシタールの入ったやつがいいけれど、あの曲はシングル盤にはなっていないよな。そうだ、インド風味炸裂の「ハリ・クリシュナ」があるぞ!でも待て、あれは厳密にはジョージはプロデュースのクレジットだけで、正しくはラダ・クリシュナ・テンプルの楽曲だな、とか、あれこれ考えていると、コラムのために1曲を選ぶことは想像以上に大変であることがわかってきた。じゃあ、冒頭に名前をあげたジョンとヨーコでいこうか。本コラムの輝かしい第1回にふさわしく“We All Shine On(わたしたちは輝き続ける)”という副題のついたあの曲がいいだろう。というわけで、1970年2月、プラスティック・オノ・バンド名義で発表された「インスタント・カーマ」をとりあげる。53年前の2月の新曲だ。

「インスタント・カーマ/誰が風を見た」
1970年2月、プラスティック・オノ・バンド名義で発表された「インスタント・カーマ/誰が風を見た」

 今日「インスタント・カーマ」という単語は、日常の英会話のなかでよく聞かれる。何か悪いことをしたら即バチが当たりますよ、というような意味で使われることが多い。だが、ジョン・レノンがこの曲に込めたメッセージは、それとは少し異なるだろう。
 この曲は、作曲からレコーディング、発売までおよそ10日という、当時としてはとんでもないスピードで作られている。「インスタント」というだけに、当時ジョン・レノンはメッセージの即時性にこだわっていた。また「カーマ」という言葉からわかるのは、当時の欧米における東洋思想の流行だ。カーマ、カルマ、業、つまり、因果応報である。前世の行いが現世に影響している、とか、現世の行いが来世に影響するという元来の意味にくわえて、ジョン・レノンは現在の行動は即座に未来に影響する、つまり、未来を作っているのは今の我々だ、と訴えたかったのだ。だからこそ、この曲のコーラス部分はこのように歌われる。

Well, we all shine on
わたしたちは輝き続ける
Like the moon and the stars and the sun
月や星、太陽のように

 動詞に“on”がつくと「~し続ける」という意味になる。たとえば“go”だけなら「行け、進め」だが、 “go on”となれば「進み続けろ」という意味になる。仮にこの歌詞が “We all shine”だったら、われわれ人間は一瞬だけでも輝くことがあるものだ、という意味合いが強くなるだろう。しかし、ジョン・レノンはここで“we all shine on”と歌ってくれている。因果応報を意識して、人間として責任ある行動をとれば「今、そして未来も、わたしたちはずっと輝き続ける」のである。
 闇に堕ちていくか、はたまた、輝き続けるか、それはわれわれの今の行動にかかっている。だからしっかりがんばろう。いいことがあった人も、いま涙を流している人も、みんなとにかく輝き続けますように。

 それではまた。次の1曲までごきげんよう。
 Love and Mercy

(文・写真:亀山博之)

【参考文献】
マグナス・ミルズ『鑑識レコード倶楽部』アルテス・パブリッシング、2022年。
ポール・デュ・ノイヤー『ジョン・レノン・ソングス』シンコーミュージック、 1998年。

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亀山博之(かめやま・ひろゆき)
亀山博之(かめやま・ひろゆき)

1979年山形県生まれ。東北大学国際文化研究科博士課程後期単位取得満期退学。修士(国際文化)。専門は英語教育、19世紀アメリカ文学およびアメリカ文学思想史。

著書に『Companion to English Communication』(2021年)ほか、論文に「エマソンとヒッピーとの共振点―反権威主義と信仰」『ヒッピー世代の先覚者たち』(中山悟視編、2019年)、「『自然』と『人間』へのエマソンの対位法的視点についての考察」(2023年)など。日本ソロー学会第1回新人賞受賞(2021年)。

趣味はピアノ、ジョギング、レコード収集。尊敬する人はJ.S.バッハ。