旅の宿|駆けずり回る大学教員の旅日記 #11/北野博司

コラム 2022.02.21|

「♪浴衣のきみは 尾花(すすき)の簪(かんざし)・・・」
昭和の名曲-吉田拓郎の「旅の宿」の歌い出しだ。

みなさんは旅をする時にどうやって宿を決めるのだろうか。今は宿泊予約サイトが充実していて旅行者のニーズに合わせた宿がネットで簡単に予約ができる。スマホがあるのでいつでもどこからでも予約できる。海外でも国内と同じように予約できるので外国旅行もずいぶん楽になった。

昭和の時代、旅に出る前に宿を予約するという習慣はなかった。現地に行ってから、旅館の構えをみて「一人なんですが、部屋は空いてますか」と尋ねる。宿代が折り合えばそこに決めるし、まだ捜し歩くあてがあれば他を見て回る。外国では今もそんな国は多いのではないか。職業別電話帳(後のタウンページ)の旅館業の欄にある適当な宿に電話してから行くこともあったが、元来計画性がないので現地で決めることのほうが多かった。

北野博司 #11 旅の宿 パジェットクラスのビジネスホテルの内装
パジェットクラスのビジネスホテル。どこも似たり寄ったりの設え。

頻繁に旅をする出張族は定宿を決めている人が多いと聞く。駅に近い、目的地に近い、部屋がきれいが選択の3大要素だという。ホテル業界は一般に以下のように格付けされている。ラグジュアリー(最高級、豪華)、ハイエンド(高級)、ミドル(中級)、エコノミー(普通)、バジェット(低料金)。会社員が出張でよく利用するビジネスホテルはパジェットクラスで、その数の多い東横イン、ルートイン、APAホテルをパジェット御三家と呼ぶらしい。

私が芸工大に来た20年ほど前、ある先生が卒業生への祝辞で、「これから仕事で出張することもあるだろうが、いつも安いホテルにばっかり泊まっていてはだめだ。高級ホテルも利用しなさい」と語っていた。それぞれ客層やサービスが違うので、安宿ばかりだとそれ相応の世界しかわからない。「井の中の蛙、大海を知らず」のような主旨だったと思う。

ドキッとした記憶があるが、あれから20年たった今も私は貧乏性のせいか、パジェット族である。むしろ、ビジネスホテルだけでなく、公共の宿、温泉宿、ゲストハウス、民泊、ウィークリーマンション、カプセル、ドミトリー、ラブホ(ビジネス兼用)、ベッドハウス、コテージなど、いろんな宿に泊まってきた。下層といわれようが、まだまだ面白い宿があってやめられない。

前職が発掘調査の仕事だったのでもともと泊まりが多かった。就職したての頃、調査員はみな旅館から現場に通っていた。1年の半分は旅館暮らしなので家族ぐるみの付き合いとなる。小松駅前の定宿には二人の娘さんがいて、中学生の子は全国大会で優勝するほどの強豪校のハンドボール選手だった。夕食後は練習相手にゴールキーパーをさせられ、シュートを浴びてあちこち痛い思いをした。小学校高学年の妹は私のローラースケートの師匠だった。旅館の駐車場で一緒に遊び、いろいろ小技を教えてもらった。能登七尾の旅館では客がいっぱいになると、おばあちゃんが普段使っている部屋を開けてくれて泊まらせてもらっていた。定宿にはこんな家族的な付き合いがある。ただ、料理がおいしい旅館暮らしには一つだけ難点があった。卒業後1年であっという間に10kg太り、その後も泊まり込みの現場では痩せることはなかった。

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北野博司 #11 旅の宿 小豆島の海岸に点在する大坂城の石垣用石材。ここは福岡藩黒田家の採石場があった場所
小豆島の海岸に点在する大坂城の石垣用石材。ここは福岡藩黒田家の採石場があった場所。

最近、気に入ったのは香川県小豆島で80歳余りの老夫婦がやっている宿。初めて泊まったのは2020年の3月。予約サイトの残り1部屋の表示を見てあわててクリックした。夜、宿に着くなりがらんとした駐車場を不思議に思いながら玄関を入ると人の気配がしない。満室予想とは裏腹に客は私一人だった。部屋でおばあちゃんが持ってきた宿帳を書きながら、しばらく話し込んだ。建物は築80年。新築の頃、戦地に行く若者たちをここでもてなし、みんなで見送ったそうだ。苦労が多かったおばあさんの人生のこと、近所の風景の移り変わり。そして、膝を手術して二階に上がるのがきつくなった今、旦那さんともうそろそろやめようかと話しているんだと。でも生きがいだしねえ、と迷いを吐露する。1日1組だけを受け入れているので、予約サイトはいつも「残り1部屋」だ。

北野博司 #11 旅の宿
左:山歩きの後はくつろげる和室がいい。 右:窓の外には南国を感じさせるフェニックスの大木。

ラオスやタイの土器作り村調査では、行き当たりばったり日が暮れたところで宿を探す。ゲストハウスは一部屋(ツイン)、日本円で700~1,000円と相場が決まっているので安心だ。部屋の中を見て鍵がかかるか、お湯が出るか、確かめてから荷物を入れる。夜遅い場合は水しか出なくてもやむなく泊まることもある。山の中では人があまり来ないので埃っぽく、黴臭い部屋も珍しくない。夜中に奇声を発するトッケイやキキアム(ヤモリの類)、アリの行列はしばらくすると慣れる。

北野博司 #11 旅の宿 ラオス中部タケーク県ヨモラートのゲストハウス
ゲストハウスのそばで遅い夕食。ラオスでは蒸したもち米を手食する。

思い出深い宿はいくつもあるが、2012年の年末、ラオス中部タケーク県ヨモラートで泊まったゲストハウスは印象深い。ラオスの農山村はネオンが少ないのでどこも星空がきれいだが、この夜は格別だった。ゲストハウス近くの食堂で晩飯を食って戻ってくると、外でオーナーのママさんがパジャマ姿で息子とトランプをしていた。我々も混じって夜更けまで盛り上がった。マイ・チュア(タイ語で「信じないよ」の意、日本だとダウトか)、瞬発力が問われる豚のしっぽみたいなゲーム、ババ抜きや七並べもやった。ラオス人、タイ人、日本人、トランプに国境はなかった。

北野博司 #11 旅の宿 星空を見上げながらのトランプ
星空を見上げながらのトランプ。この後、娘さんらが加わってにぎやかな夜を過ごす。

毎回、負けたものがビールをグラス1杯飲む。いちばんいい思いをしたのはママさんだ。自分の勝ち負けとは無関係に売り上げが伸びるからだ。そのうち娘さんや酔っ払った深夜番(朝までゲストハウスのフロントで仮眠する仕事)の甥っ子も混じって楽しい夜をすごした。ルアンパバンのゲストハウスで出会った深夜番の学生とその彼女たちとは今もFBでつながっている。あれから15年、当時女子大生だった二人は結婚してそれぞれ頼もしいお母さんになった。

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話は日本に戻るが、今からちょうど5年前、以前住んでいた金沢に泊まることがあった。北陸新幹線開業後、金沢は観光バブルで一時宿が取れない時期があった。ネットで検索したがどこも空いてなくて、なんとか地元の人に探してもらったのが金沢一の繁華街、片町一丁目の裏通りにある老舗旅館だった。玄関を入ると帳場で外国人二人がチェックインしていた。建物は築100年。純和風の客室、狭い階段、坪庭など、金沢の町屋の雰囲気が残る落ち着いた宿だった。Wi-fiも飛んでいて、あちこちに英語表記の案内がある。今こんな宿が外国人に人気だと知ることができた。

北野博司 #11 旅の宿 金沢一の繁華街、片町一丁目の裏通りにある老舗旅館
部屋の中にはなつかしい黒電話と行灯。表通りの喧騒がうそのような落ち着いた空間。

この旅館で一つ驚いたことがあった。件の帳場に何やら怪しげなものを発見。あとで聞くとあの沖電気株式会社(OKI)の昭和32年製電話付き交換機だという。月一度の点検で、いまも現役なのだそうだ。女将さん曰く、大事に使っていたら愛着が出てきたのよと。跡を継いだ息子さんも自慢げだった。都市の雑踏で60年も来客を見てきた交換機と聞いただけでなんだか胸が熱くなった。

北野博司 #11 旅の宿 沖電気株式会社(OKI)の昭和32年製電話付き交換機
お帳場に鎮座する昭和32年製の電話付交換機。骨董品ではない。

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旅先の宿選びのポイントは立地や部屋の清潔さだけでなく、アメニティが充実している、無料朝食や夜鳴きそばがついている、部屋にマッサージ機がある、シモンズベッドと安眠できる枕があるなど、人それぞれ好みや優先順位があって一律ではない。私の場合、出張の大半は夕方の授業が終わってから新幹線や飛行機に飛び乗るので、宿に着くのは夜11時頃になる。寝るだけに泊まるようなものなので、どこでもいいようなものだが、宿を変えるといいこともある。

おしゃれにまとめたトイレットペーパーの切り口、動物や花びらの形にたたんだバスタオルメイク、自動チェックインで人を介さず入室するシステムとか、初めて見るものに目を見張ることがある。定宿を作らず、未知の宿に泊まるのは、考古学者が遺跡を探して歩く分布調査のようなものである。狙った場所で地面にきらっと輝く石器や土器のかけらを見つけた時の興奮に似ている。そんなワクワク、ドキドキ感を味わいたいからなのかもしれない。知らないことを知る喜び、偶然の出会いにもラッキー!と小さく心が躍る。駅のホームに幸せの黄色い新幹線-ドクターイエローが入ってきたときのように(1週間前の博多駅での出来事。実はその存在を知らなかったが・・・)。

北野博司 #11 旅の宿 博多駅のホームに入ってきたドクターイエロー
夜9:30すぎに博多駅のホームに入ってきたドクターイエロー。時刻表はないらしい。

もう一つ確かなことは、旅の記憶を色濃く印象付けてくれるのは思いがけない人との出会いだということだ。非日常を過ごす宿だからこそ、そこで触れた「心遣い」や「人情」は後からじわっと込み上げてくるものがある。

旅の宿での一期一会。そんなことを思うのは昭和生まれの人間だからだろうか。(続く)

(文・写真:北野博司)

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北野博司(きたの・ひろし)
北野博司(きたの・ひろし)

富山大学人文学部卒業。文学士。
歴史遺産学科教授。
 
専門は日本考古学と文化財マネジメント。実験考古学や民族考古学という手法を用いて窯業史や食文化史の研究をしている。
城郭史では遺跡、文献史料、民俗技術を駆使して石垣の構築技術の研究を行っている。文化財マネジメントは地域の文化遺産等の調査研究、保存・活用のための計画策定、その実践である。高畠町では高畠石の文化、米沢市では上杉家家臣団墓所、上山市では宿場町や城下町の調査をそれぞれ、地元自治体や住民らと共に実施してきた。
自然と人間との良好な関係とは、という問題に関心を寄せる。