連載|駆けずり回る大学教員の旅日記/北野博司 #01 プロローグ

コラム

私の小さな手帳の出張予定欄は4月、5月空白のままである。

2月末から予定のキャンセルが入り出し、3月後半は軒並み×印。例年2、3月は全国自治体の会議や国内外の研究出張でびっしり埋まる。この連載はそんな出張のドタバタを旅日記という形で紹介する企画だったのだが、いきなりStay Home、Stay Lab。最初からこけた格好だ。

ところで、大学で働く教員が普段どんな生活をしているのか、実は仲間同士でもよく分からない。日々学内では教育、研究、大学運営、学生指導という業務に励んでいる。しかし、魑魅魍魎が住むこの世界、教員の不可思議な生態は、それ以外の所に垣間見える。私に付けられた枕詞は「月間移動距離が最も長い教員」らしい。それが本当かどうか本人は預かり知らないが、なぜそんなにあちこち駆けずり回っているのかをお伝えしておかなければこの連載は始まらない。

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私の専門は「考古学」である。学生時代と行政で20年余、大学に来て20年、遺跡の発掘調査を通して地域の歴史を研究し、史跡の保存・活用を実践してきた。そんな経験が役に立ったのか、今各地の自治体の方々が来いと声をかけてくださる。自分の研究が社会に役立つのはこの上もなく幸せなことだし、それ以上に現場で起こっている問題を関係者と一緒に議論するプロセスは、しんどいけれども充実している。

私の場合、石垣のあるお城の遺跡が多い。北は北海道函館の五稜郭跡から南は九州熊本城跡まで約30カ所、そのほかあわせると40カ所ぐらいに通っている。これに国内外の研究出張や山形県内のまちあるき調査が加わるので、「駆けずり回ら」ざるを得ないのである。

さて、なぜ今史跡などの歴史的な遺産が社会の注目を集めているのか。
一つは、日常があっという間に非日常に変わる災害が頻発しているということ。大地震や豪雨で土地の「記憶」を伝える文化財が一瞬のうちに失われる。東北地方太平洋沖地震で被災した白河小峰城跡。崩れた石垣の前で「あらら、こんなんなっちまって・・・」と涙ぐんだおばあさん。若いころの自分の思い出をそこに重ねたのだ。熊本地震で天守閣からバラバラと崩れ落ちる瓦、舞い上がる粉塵の映像を見て「熊本城死んだ!」とツイッターで叫んだ若者。日常を取り戻そうとするとき、地域の歴史、その遺産は自分の一部のようにかけがえのないものだと人々は気付いた。

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白河小峰城跡(しらかわこみねじょうあと):福島県白河市にあった白河小峰城は、戊辰戦争白河口の戦いで落城。約120年の時を経て、江戸時代の絵図に基づき忠実に木造で復元された。国の史跡に指定されており、日本100名城の一つ。

もう一つは文化財が持つポテンシャルをインバウンド観光や地域活性化に生かそうという戦略。世界遺産二条城の香雲亭での朝食が人気だという。平戸城や白石城でのキャッスル・ステイ(城泊)。TOKYO2020までに100件の文化財ストーリーを認定する「日本遺産(Japan Heritage)」。2019年4月施行の改正文化財保護法により、これからは市町村が独自に「文化財保存活用地域計画」を策定し、社会総がかりで地域の文化財(記憶)を保存・活用していく。今や文化財は私たちの生活に不可欠な社会インフラの一つとみなされるようになったのである。

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私が熊本城跡に通い出したのは2013年、史跡整備の委員になってからである。2016年4月の熊本地震の記憶はまだ新しいが、私にとって大きかったのは東日本大震災で未曽有の被害を受けた小峰城跡の石垣修理に関わってきたことだった。地震から8年経った昨年春、小峰城はようやく復旧工事が完了した。

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東北地方太平洋沖地震で崩壊した小峰城跡本丸南面の石垣。

石垣の復旧がなぜ難しいか。壊れたならまた積み直せばよい。それだけなら話は簡単なのだが、そこにはさまざまな価値の対立が生じる。

石垣は一旦解体してしまうと往時の技術や歴史の証拠は永遠に失われてしまう。私は少しでも現状で残す道を探る。しかし、構造体として安定していなければ、また崩壊しかねない。城跡を歩く見学者の安全も大切だ。変形しているところはできるだけ解体して補強すべきだという意見が出る。石垣の上に重要文化財の櫓(やぐら)があればなおさらである。本来、無数の石材が緩やかに結合することで地震動のエネルギーを吸収する制震構造だった石垣を、近代工法を駆使した耐震構造にしたいという発想が生まれる。伝統技術の「柔」よりも二度と崩れない「剛」なものを希求する。江戸時代から石垣造りの神様と崇められた清正※ でさえ、その限界を知って本丸に地震屋を建て、災害と共存しようとした。ゼロリスクを追求する思考は、安心ボケした、非日常を生き延びられない人間を再生産しかねない。
※清正:熊本では、親しみをもって「せいしょこさん」と呼ばれている、戦国武将・加藤清正(かとう・きよまさ)のこと。清正は「土木の神様」とも呼ばれ、河川の治水・利水事業に類まれな力を発揮し、熊本の国づくりの礎を築いた。

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復旧が進む熊本城(2019年8月9日撮影)。左から小天守・大天守、重要文化財の宇土櫓(うとやぐら)。

50余りある石垣修理箇所は一つとして同じ条件の所はない。修理方法をめぐって、工学(地盤・建築)、防災、文化財(建造物・史跡)の専門家が毎回バトルを繰り返す。利益相反、複雑な価値の絡み合いを整理しながら最適解を探し、復旧設計を詰めていく。そして現場では石工が1個ずつ石を元の通りに戻していく。これが難しくて時間がかかる。

熊本城の大小天守は明治10年西南戦争直前に焼失し、現在あるものは昭和35年にRC・SRCで復元されたコンクリート建造物である。来年春には完全公開の予定だが、重要文化財の宇土櫓に先んじて指定文化財でもない天守を復旧したことに観光・経済優先と文化財関係者からも疑問の声があがる。しかし、特別史跡である熊本城跡は住民・国民の宝であり、地域振興の資源でもあるという点からするとその批判は一面的すぎる。日常を喪失した中では傷ついた人の「こころ」の復興も大切なことは近年の災害から学ぶところである。

2015年の9月に学生たちと3日間かけて熊本城跡の全ての石垣の勾配計測と写真撮影を行った。熊本地震の半年前である。この時撮った写真が震災で崩れた石垣の復旧に役立った。些細なことでも世の人のために役立つのはうれしいことだ。

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熊本城跡の今(2020年3月26日撮影)。復旧工事にかかわらず、城内を見学できる「特別見学通路」がこのほど完成した。(特別見学通路は4月29日公開予定だったが、新型コロナウィルス感染拡大防止のため延期)

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ここ数年、熊本には年に10度ほど通っている。会議は授業のない日に設定してくれる。ちなみに熊本以上に通う白河は土日開催、仙台は18:00~20:00の夜開催と、休ませてはくれないのである。

熊本への移動は授業が終わると仙台空港まで車を飛ばし、19:20の福岡行きに乗る。熊本駅には23:00頃に着く。9:30~17:00まで仕事をして、帰りは福岡発19:10の便。欠航で、東京に飛んで、夜行バスで仙台に出て、空港で車を拾って翌日の1時間目の授業に直行ということもあった。早朝に山形を出て熊本日帰りなんてこともある(前の晩の飛行機に乗り遅れたことが2度)。

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飛行機の窓越しに大阪城を撮る。

旅の楽しみの一つは宿だ。泊まった宿が思いがけず良いと得した気分になる。私の場合観光している時間はないが、それでも宿周辺でそれぞれの土地の名産や名所情報は得ることができる。

山形に籠る直前の3月は、26日の熊本、29・30日の小豆島出張が最後だった。
小豆島で泊まった小さな宿は81歳と83歳の老夫婦が経営していた。直前にネットの宿泊予約サイトを見たら「最後の1室」と出ていた。さぞ、満室かと思って行ったらお客は一人だけで、通りに面した最上級の角部屋をあてがってくれた。おまけに着くなり、一人ではもったいないような大きなお風呂を沸かしてくれ、山歩きで筋肉痛になった体を癒すことができた。築80年の建物。昔は料理屋で戦地に行く若者をここでもてなし、みんなで見送ったそうだ。この家で生まれて嫁いで、また戻ってきたおばあさんの人生のこと。かつて醤油づくりで栄えた町の移り変わりなど、ずいぶんと話し込んだ。この旅館もうやめようかとじいさんと話しているんだと。でも、生きがいだし、まだまだやれるという葛藤も聞いた。
翌朝、足が悪いのに2階の部屋まで朝食を運んでくれ、出がけには玄関でやさしく「いってらっしゃい」と。こんな旅館には繰り返し泊まることにしている。

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小豆島からの帰路、船上から見る夕日と瀬戸大橋。

もうみんなこの騒ぎで忘れたかもしれないが、今冬は統計開始以来例のない記録的な暖冬だった。雪国の田舎で生まれ育った私には「冬ごもり」の体内リズムがある。農家にとって冬は春に向けて準備の時間だった。郷土の偉人には西田幾多郎や鈴木大拙という著名な哲学者がいた。こもりは思索を深めてくれる。駆けずり回る日常にも移動中の小さな籠りの時間がある。私にとってはかけがえのない時間だ。

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大震災にしても、Covid-19にしても私たちが失うものは大きい。しかし、人類はこの非日常の時間によってその後の時代を生きる知恵を獲得してきた。考えるいとまもない人がいることを思うとつらいが、いまこそソウゾウの時である。

4月以降熊本では、関係者間でメールのやり取りが活発になった。自治体はセキュリティの関係からか遠隔会議は意外と進まない。「書面会議」はあるが、今のところ春を待つ構えである。個人的には、何か役に立つことができないかと宇土櫓下石垣の1/100模型を作った。拙い作品だが、設計の三次元的な議論に使ってもらえればうれしい。(続く)

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製作途中の模型 断面図にあわせて「扇の勾配」や「孕み」を再現する。

(文・写真:北野博司)

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北野博司(きたの・ひろし)
北野博司(きたの・ひろし)

富山大学人文学部卒業。文学士。
歴史遺産学科教授。

専門は日本考古学と文化財マネジメント。実験考古学や民族考古学という手法を用いて窯業史や食文化史の研究をしている。
城郭史では遺跡、文献史料、民俗技術を駆使して石垣の構築技術の研究を行っている。文化財マネジメントは地域の文化遺産等の調査研究、保存・活用のための計画策定、その実践である。高畠町では高畠石の文化、米沢市では上杉家家臣団墓所、上山市では宿場町や城下町の調査をそれぞれ、地元自治体や住民らと共に実施してきた。
自然と人間との良好な関係とは、という問題に関心を寄せる。