デザインのシュウカクサイ|グローカルデザインの種をまく

対談採録 vol.2 “幸せの等分を可能にする「ものづくり」の循環”

講演=F/style(五十嵐恵美+星野若菜)
聞き手=宮本武典
日時=2008年11月15日[土]15:30−16:30
会場=東北芸術工科大学本館ラウンジ特設会場

 

1. 学生時代の「心残り」からはじまった

●Profile
F/style|エフスタイル
五十嵐恵美(いがらしえみ)1978年、星野若菜(ほしのわかな)1979年、ともに新潟県生まれ。2001年に東北芸術工科大学生産デザイン学科(現プロダクトデザイン)卒業後、新潟市にてデザイン事務所「F/style(エフスタイル)」を開設。新潟の地場産業を中心としたデザイン提案から販路の開拓までを一貫して行う。主な仕事は、山形の月山緞通とのコラボレートによるマットシリーズや、新潟の伝統工芸品シナ織りのバッグ等。伝統産業が次世代のライフスタイルへ溶け込むようなデザインと、高い品質の商品を提供している。2008年にこれまでの活動をまとめた『エフスタイルの仕事』(アノニマ・スタジオ)を刊行。
http://www.fstyle-web.net/

宮本武典|Takenori Miyamoto
1974年奈良県生まれ。武蔵野美術大学大学院造形研究科絵画専攻修了。海外子女教育振興財団の教員派遣プログラムによりタイ・バンコクで教職に就いた後、パリ国際芸術家都市(フランス)での滞在研究、原美術館学芸部アシスタントを経て、現在、東北芸術工科大学主任学芸員。同大美術館大学構想室で地域密着型の展覧会やシンポジウムなど、キュレーター/アートエデュケーターとしてすべての企画を手がける。

注1 産学協同
産学協同教育のこと。学内における勉強と学外における実習等による職務経験を得ることのできる教育法。アメリカで盛んに行われている。

 

(c)F/style, Yoichi Nagano, anonima studio

 
宮本 続いてのトークには、本学卒業生のデザインユニット・F/style(エフスタイル)のお二人をお迎えします。五十嵐恵美さんと星野若菜さんです。お二人は生産デザイン学科の卒業生で、現在は出身地でもある新潟市内に事務所を構え、地場産業と連携したものづくりをされています。今年、商品企画から流通までのプロセスをまとめた『エフスタイルの仕事』を出版され、その地場のつくり手と生活者を丁寧に仲介するスタイルに注目が集まっています。まずは、中原慎一郎さんと服部滋樹さんの対談を聞かれた感想から伺いたいのですが。
星野 私たちはお互い新潟出身で、高校時代からの付き合いです。いまは新潟を拠点にしていて、基本的につくり手と開発した商品を、全国のお店に扱っていただき、注文のあった商品を卸していくという「流通+デザイン」というスタイルで仕事をしています。
売り手やつくり手の方たちとも深い人間関係を築いてから商品化に至るという独自なスタイルを持っている関係上、様々な縁に導かれて、本当にそれだけを信じて仕事をしています。ですから今日のこのトークプログラムも、普段からお仕事でお世話になっている中原慎一郎さんや服部滋樹さんが、私たちにとって特別なこの山形という土地に来ていただいたこと自体がまずありがたく、うれしいです。ですから、お二人の対話をそのままバトンタッチした形で話を進めていきたいのです。
私たちは東北芸術工科大学在学中に産学協同(注1)のワークショップに参加しまして、山形の中小企業15社くらいと学生スタッフ6名で、学生側が新しいデザインを企業に提案し、企業からは技術を提供していただくという取り組みをしていました。その中で、職人さんや経営者の方々とお話をする機会に恵まれ、プロダクトデザイナーと呼ばれている人たちが、地方でどのような仕事しているのかを知りました。
例えば山形県の製造メーカーが、都心に住む有名デザイナーにコンサルティングを依頼する場合、高いデザイン料を支払えば商品は生まれるのですが、そのあとの流通に関してはつくり手に託されるので、工場は完成した製品の「よさ」を理解しきれないまま、自社の商品として売り方を開拓しなければならないのです。地方でものづくりをしながら、全国各地の様々なジャンルのお店を知り、つながりを持つことは難しいことです。学生ながらもつくり手さんたちとの話し合いの中で、そのような状況を知ったことで、地方の地場産業に一時的にデザイナーが関わってものづくりをするときの矛盾を感じました。
もちろん産学協同ワークショップはあくまで大学内のプログラムなので、その矛盾を学生である私たちが引き受け、販売まで請け負うことはその当時はできなかったのですが、そのときに感じた心残りがいまのF/styleの仕事につながったことは確かです。卒業してすぐに、人脈も経験もない状態でしたが、その割り切れない気持ちを「相手も人だから伝わるはず」というまったく楽天的な気持ちで、まずは穂積繊維工業さんとのワークショップで手がけた犬のマット『HOUSE (Doggy mat)』をカートにくくりつけて、表参道をガラガラ引っ張って行商していました。
五十嵐 行商に出た経験はとても大きかったですね。自分たちの言葉で、工場の背景も踏まえて話すことで、実際に商品のよさが売り手の方々に伝わっていくのが実感できました。製造現場や事務所にばかりこもって、商品企画や納品作業をずっとやっているのではなくて、ものを手に取るお客さんの喜ぶ姿を直接に見たり接したり、いろいろな状況でものごとを捉える感覚を養える場に、自分達をさらすことを大切にしています。そうした場で得られた声は商品に関わったみんなで共有するべきで、そうした体験の豊かさが結果的によいものづくりにつながっていくのだと思います。
 

(c)F/style, Yoichi Nagano, anonima studio

 
星野 中原さんに出会ったのも行商時代ですね。はじめてPlaymountainに行ったとき、中原さんはいらっしゃらなかったのですが、ショップの方に見ていただいて。いまだったらとてもできないような、「知らない力」だけが頼りで…。
自分たちには自信はありませんでしたが、つくり手さんの技術にはすごく自信があったし、彼らの魂を後ろに背負っていることだけが頼りでした。でも歩くことで、例えば中原さんのように商品を扱ってくださる人たちと出会って、その目線にも育てられていくので、私たちの仕事はほんとうに「歩いて、見て、聞いた」ものだけで構成されてきたのです。

2. 『エフスタイルの仕事』で伝えたかったこと

宮本 以前お二人は宮本常一(注2)が書いた「民俗学の旅(注3)」に影響を受けたとおっしゃっていましたが、いまの星野さんの「歩く・見る・聞く」という言葉は、その宮本が監修した日本観光文化研究所の機関誌『あるく・みる・きく』とまさに直接的にリンクしていますね。
『エフスタイルの仕事』の帯には「二人の女性がはじめた/新しいビジネスの軌跡と想い」とありますが、僕はこの本を、「ものづくりのいま」を通して、日本の手仕事の原型を拾い集めていく、まさに民俗学者の紀行文のように読ませてもらいました。この前のトークで、grafの服部滋樹さんが話していた「埋もれてしまったものを、もういちど掘り返す」行為を、F/styleは実践しているのですね。

注2 宮本常一(みやもとつねいち)
民俗学者。1907年山口県生まれ(〜1981年)。1929年天王寺師範学校卒業。小学校の教師として働いたのち民俗学に関心を持ち、1933年、雑誌『口承文学』を発刊する。その一方で、沢田四郎作の大阪民俗談話会に参加。1939年には上京して渋沢敬三主催の『アチック・ミューゼアム』に入り、後の日本民族文化研究所で日本各地の民俗調査をする。主な著作に『忘れられた日本人(1984年)』、『民俗学の旅(1993年)』等があり、『宮本常一全集』に収められている。

注3 民俗学の旅(宮本常一著 講談社学術文庫 1993年)
生涯にわたり全国をくまなく歩きつづけた著者の、幼少年時代の生活体験や美しい故郷の風光と祖先の人たち、そして柳田國男や渋沢敬三など優れた師友の回想をまじえながら、その体験的実験的踏査が克明に綴られている。

五十嵐 商売には直接には関係のないことかも知れないけど、商品を取り巻く情感というか風景や歴史、ものづくりに関わっている人々の人生を大切にしたいと考えています。それはつくり手の生活や環境から私たちが受ける豊かな気持ちを商品とともに伝えられたらいいと思うからです。
星野 そういった私たちが大切にしている背景をまったく無視したかたちで、F/styleのデザイン活動を平面的に切り取られてメディアに取り上げられることに違和感があります。私たちは商品をデザインしているのではなくて、その「出口」のありかたを常に考えています。つまり、商品が生まれてからお客さんの手に届くまでのそのプロセス全体が循環できているかどうかを、クリエイティブな部分だと思って仕事をしています。一番いいのは今回のように「本」というメディアで私たちの地域での実体験を伝えるとか、こうした会で、言葉でちゃんと一人ひとり、誰か一人でもいいのですけれどコミットすることですね。
宮本 一つの商品を生み出すプロセスに様々な人たちが関わっているから、その中でF/styleだけが突出して取り上げられるというのはちょっと違うということですね。そのようなスタンスは仕事をはじめたときから持っていたのですか?
五十嵐 最初からそこまで気付けていたわけではないですね。まずつくり手がいて、自分たちが商品開発の企画をお手伝いして、その販売をお願いするショップがあって、購入いただくお客様がいて…という、商品をめぐる循環をよい状態に保っていくにはどうしたらいいのか、いろいろと試行錯誤する過程で自然に見えてきたスタンスです。
もうちょっと前の話からすると、F/styleが例えば靴下を手がける場合でも、はじめに靴下工場を探すことはしません。ものづくりはいつもつくり手さんとのご縁というか、自然に出会うことではじまります。自分たちのできることは工場に行ってから探していく。訪ねた現場で、もともとその工場なり会社がやりたかったことを一緒に考えて、最終的には彼らの技術と、F/styleのものづくり、そして経営を支える市場との、ちょうどいい「落としどころ」を考えていくところからスタートするのです。
星野 あと、私たちが大切にしているのは、自分たちもきちんと手を動かすことですね。工場からあがってきた商品を丁寧に検品してから、つくり手の歴史や商品の特徴を込めたタグを手づくりして取り付けています。印刷は手差しのコピーやインクジェットプリンターというアナログなやり方ですが、一つひとつの商品に私たちの手なり愛情なりをかけて、実際に使ってもらう人の手元まで見届けています。
それはなぜかというと、F/styleの市場はデザインコンシャスな視点でものの価値を判断する方もいらっしゃるので、細かなデザインのディテールは、工場の人たちに要求するのではなく、私たちが実際に手を動かすことでフォローしたいのです。手間はかかりますが、そのことでつくり手とも近くなれる気がします。それを意図的にしていたわけではないのですが、新商品開発のリスクを等分することにもつながるし。みんながそれぞれのポジションで商品に愛情をかけていくということが、ショップで商品を丁寧に扱っていただいたり、売っていただいたりということにつながっていくと思います。
 

(c)F/style, Yoichi Nagano, anonima studio

 
宮本 それだけ愛情をこめて商品やつくり手さんたちと関わっていくと、売ってもらうショップとの関係も重要になってきますね。
星野 もちろんそうです。いま、取引の依頼は多いのですが、すぐにスタートするわけではありません。まずF/styleは私たち二人だけで動かしているため、おのずと取り扱っていただけるショップは限られてしまいます。
そのときにお店の規模やデザインショップとして有名であるとかは重要ではなくて、お店の方と腹を割って話し合えるような関係性を築いていけるかが大切で。ただ、そのこだわりがF/styleのエゴになってしまって、工場の生産ラインや規格に無理をかけるのも嫌なのですが…。そこはバランスですが、二人で悩みながらかたちを探しているところですね。
宮本 社員を雇ってマスプロダクト的に商品を生産し、高まるニーズに対応して受注体制を拡大していくことと、お二人がやっているスタンスはまったく相反するものです。ものづくりがマスプロダクト化することで何が失われるとお考えですか?
星野 そもそも私たちの器が大きくないので、誰かを雇ったりするとそちらに気がとられて、ものづくりの順番が逆になる気がするのです。例えばさっき話していたタグだって印刷会社に発注すればもっと楽ですが、どうしてもロットが大きくなってしまう。するとそのタグの枚数分の商品を売らなければならないと考えて頭が痛くなる(笑)。本来、ものづくりの過程で失ってはならない心が、そんなことで簡単に惑わされてしまうので、あくまで身の丈にあったことをやっているという感じですね。
今回、『エフスタイルの仕事』を出版したのは、私たちがそういったキャパシティーの限定を抱え込んでいるので、本を通して「こんな仕事のかたちもあるよ」ということをみんなに伝えたいと思ったのです。事業規模を大きくすることはできないけど、本の中でF/styleのやり方は全部オープンにして、その結果いろいろな土地で私たちのような活動がポコポコと生まれてきたら、たぶん地域はもっと豊かになるのではないかと。

3. 新潟での暮らしから、ものづくりを考える

宮本 アノニマ・スタジオ(注4)の丹治史彦さんと一緒に大学の僕のデスクを訪ねてくださって、出版の計画をはじめて伺ったのが3年前でした。それからじっくり時間をかけて本づくりが進んでいって、写真は長野陽一(注5)さん、装丁は山口信博(注6)さんが手がけていて、本当に素晴らしいクリエイターの方々がお二人のものづくりの姿勢に共感し、『エフスタイルの仕事』を支えていると感じました。造本も美しいのですが、この本の魅力を特に際立たせているのは、つくり手さんへのお二人の愛情や尊敬、そして「力になりたい」という想いでした。地方の地場産業の置かれている状況はどのようなものなのでしょうか?

注4 アノニマ・スタジオ
KTC中央出版の『ごはんとくらし』をテーマとしたレーベル。生活書を中心に出版している。代表は丹治史彦。

注5 長野陽一(ながのよういち)
写真家。1968年福岡県生まれ。多摩美術大学絵画科卒業後、1998年ガーディアン・ガーデン主催の公募展『人間の町プロジェクト』において、沖縄、奄美諸島の島々に住む10代のポートレート写真『シマノホホエミ』のシリーズを発表。全6回の写真展として展開する。以後、写真家として精力的に活動を続け、『シマノホホエミ』(2001年)、『島々』(2004年)、『why you are not alone.』(2005年)を刊行。

注6 山口信博(やまぐちのぶひろ)
アートディレクター。1948年千葉県生まれ。桑沢デザイン研究所中退。デザイン事務所、コスモPRを経て独立。主な仕事としては、住まいの図書館『住まい学大系』全100冊のブックデザイン、鹿島出版会の雑誌『SD』のアートディレクター、SD選書のリニューアル。著書に『白の消息』(2006年、ラトルズ)。共著に『礼のかたち』『折る、贈る。』(共に2003年、ラトルズ)、『半紙で折る折形歳時記』(2004年、平凡社)。現在有限会社山口デザイン事務所代表、折形デザイン研究所主宰。

星野 私たちはいま、新潟や山形にある14の会社とお付き合いしていますが、実感として日本のものづくりって、はっきり言って気力で持っている状況です。そのことでもどかしい思いもしています。
通常、下請け仕事の商品は、上代を設定されているから、原価がもう決まっている中で製造側がコストを抑えるために、品質を妥協したり手間を省いたりしていく。その結果、高い技術を持っている職人さんなり会社のポテンシャルを最大限に出せないような市場になってしまっています。
だからF/styleのものづくりのスタートは、上代設定からは入りません。もちろん売値は大体イメージして進めますが、基本はつくり手さんたちの手間賃をたたかないようにして、こちらも技術を知ることで、価格を調整できる工夫を一緒に考えます。それは制約でもありますが、ちゃんと市場も喜び、工場もうまく回る落としどころを見つけることも私たちの「デザイン」に含まれていて、この仕事をしていてやりがいを感じる部分です。
宮本 一つの商品のかたちを見栄えよく整えることがデザインなのではなくて、それを取り巻くいろいろな関係も含めてデザインしていかないと、幸せの等分が可能にならないということですよね。ストレスのないものづくりというか…。
 

(c)F/style, Yoichi Nagano, anonima studio

 
星野 そうです。私たちの仕事は製造側の気持ちも体験しなければいけないし、商品を売っていく人たちの、自分のお金を払ってそれを仕入れるリスクも感じなければならない。そしてもちろん、お客さんとしてこの値段でF/styleの商品を買うことで、実際に使って満足いただけたかどうか、常に自分たちを実験台にして検証していかなければなりません。
特に工場のつくり手さんたちの反応は気にかけるようにしています。「ちょっとわからないなぁ」というものは、わかってもらうまで形をつめたりしますね。あと家族をはじめ、自分のまわりの様々な世代の人たちに「これはどう?」って、サンプルの段階で聞いてみます。せっかくつくるなら普遍的なものを求めたい気持ちがあるので。
宮本 お二人はこうした展示会も含めて、日本各地をよく旅されていますが、あえて新潟に拠点を置くことのメリットを聞かせてください。
五十嵐 地方で生活しているからこそ感じることですが、その土地できちんと生活している人たちは目が澄んでいて、あまり適当なことに騙されないし、芯が通っているので、自分たちが納得いかない商品を出しても実際に売れないのですね。とても厳しい評価をいただき、勉強になります。地域に根付くってすごく時間がかかることですから、結果を出すことを決して急いではいけないと思います。
みんなが心地よい場所というか、さっきの上代設定の話もそうですが、みんなが納得する「ものの落としどころ」は必ずあって、そこを時間がかかっても見つけていく挑戦はやめたくないですね。
宮本 学生時代に出会った産学協同ワークショップがF/style結成のきっかけだったとはじめに伺いましたが、いま、山形でデザインを学んでいる若い人たちに先輩のお二人から何かアドバイスをお願いします。
星野 はい。私たちF/styleの仕事の原点は、山形にあるこの大学からもらったものです。まず、みなさんがこうして都会ではなく地方の大学でデザインを勉強していることを、宝のように思ってほしいと思います。こういう環境できちんとした生活を送っていると、自然と社会に対するおかしなところとか矛盾に気付いていくので。
例えば、産学協同ワークショップなどに参加してものづくりの現場に出ていくと、「これは嫌だ」とか、「これはおかしい」という気持ちがきっと生まれてくるはず。「大学」って大人でも子どもでもない環境だから、時代や社会への疑問と折り合いをつけながら、妥協するのではなく若さ故の純粋さを大切にして頑張ってほしいです。
五十嵐 私は大きな志もなくこの仕事をはじめたのですが、その根っこには学生時代に地場産業の工場を訪ねたときの「こういう技術があるんだ」という感動とか、つくり手さんたちの人生観を聞いたりした経験があります。そのときの感動はいまになっても薄れないのです。デザインを一生の仕事に選んだとき、何を豊かに思うか、楽しく思うかということを大事にしていてほしいですね。
星野 あとはきれいごとに聞こえるかもしれないけど、自分にとって大事な人をたくさんつくることで、その人を裏切れなくなることってあると思います。自分が傷つかない関係を増やしていくよりも、リスクも抱えながら、一人でも二人でも深く関係を結べる人と知り合うことで、その人のデザインは育てられる気がしていています。傷つけたくない人を増やすことでどんどんものづくりがストイックになっていくから、そこと戦わなければいけないのですが。これもとても大事ですね。
宮本 ありがとうございます。それでは最後の質問です。この先、F/styleの仕事はどのよう展開していくのでしょうか?
五十嵐 二人の規模でやるスタンスは変わらないでしょうね。とにかく続けていくこと。これが一時的なもので終わってしまうなら意味を成さないと思っています。
星野 女性なので生活スタイルの変化は仕事に影響するでしょうね。私は主婦なので、家族との時間や子どものことなど、自分の生活を見失わないようにして、規模は小さくなっても続けたいと考えています。二人だからそうしたわがままも言えるのですが。私たち自身の生活を豊かにしないといい商品は生まれないと思っています。生活がかわっても、人間の暮らしにとって本当にリアルに必要なものってかわらないと思う。それをF/styleは提案し続けていきたいと思っています。
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