芸大生と制作した映画『BOLT』が、今注目される理由/映画監督 林 海象

インタビュー 2020.12.10|

映像学科教授で映画監督の林海象(はやし・かいぞう)教授が手掛けた映画『BOLT』が、2020年12月11日より、東京・テアトル新宿ほか全国の劇場で上映されます。 東北芸術工科大学が制作したこの映画は、『BOLT』、『LIFE』、『GOOD YEAR』から構成された3部作で、当時の学生たちがスタッフとして全編に携わりました。また、それぞれの物語には、撮影に至るきっかけとなった俳優やアーティストの存在があったと言います。 東日本大震災から10年が経とうとしている今、本映画が全国公開されることへの思いを、林教授にインタビューしました。

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“撮る”へ向かわせた偶然の出来事

――『GOOD YEAR』は、どんなきっかけで撮影することになったのですか?

2014年当時、本学の学長だった根岸吉太郎(ねぎし・きちたろう)さん(現在、理事長/映画監督)に、映像学科に4Kビデオカメラがあるから、何か撮ってよ、と言われたんです。でもただの風景だとつまんないから、何か物語を撮ろうと思ったことがきっかけでした。

映画のタイトル『GOOD YEAR』は、学生たちがよく行くスーパーの斜向かいにあった車の修理工場(山田ゴム車輌商会)の社屋の看板から着想したんです。佇まいがかっこよくて毎日眺めていて、学生たちも「あの看板、かっこいいっすよね」とか、「Oを1個取ると“GOD YEAR”で、“神の年”かあ」、なんて言って。 で、この看板文字を、アメリカ映画に出てきそうなネオン管にするとかっこいいとか他愛もない想像をする中で、「亡くなった奥さんが別人になって帰ってくる」という、一夜限りの大人のおとぎ話としての構想が固まっていきました。
山形市内で行われた『GOOD YEAR』撮影風景(2014年)。ヒロインの月船さらら(つきふね・さらら)さんが登場する印象的な一場面の撮影シーン
山形市内で行われた『GOOD YEAR』撮影風景(2014年)。ヒロインの月船さらら(つきふね・さらら)さんが登場する印象的な一場面の撮影シーン。
撮影現場でスタッフに指示をする林海象教授(写真右)。
撮影現場でスタッフに指示をする林海象教授(写真右)。

悲しい痕跡が続く20km圏内の実景を撮影

――『LIFE』は、どのような経緯があったのですか?

『GOOD YEAR』が、単体の映画として、スウェーデンの国際映画祭『Västerås Film festival(ヴェステロース映画祭)』で最優秀撮影賞を受賞できたから、もうその1本で終わりかなと思ってたんだけど、『GOOD YEAR』で主演をしてくれた俳優の永瀬正敏(ながせ・まさとし)さんから、「2年に一度のペースで撮影したら、映画制作に関わる学生たちも入れ替わって、教育的な立場からも面白いんじゃない?」って言ってくれたんです。

――『GOOD YEAR』に続き『LIFE』も、東日本大震災がストーリーの背景にありますね

芸工大にいると、京都に住んでた時と違って、東日本大震災や原発事故との距離感が近いから、地元が津波に流された話とか、芸工大の学生たちの「心の傷付き」を感じる話をたくさん聞くようになってね。そんな時、芸工大の大学院映像領域生だった岩崎孝正(いわさき・たかまさ)くんの実家が福島にあって、普段は避難区域には入れないけど、「僕なら、お墓参りに行くために入れます」って連れていってくれたんです。そんな幾つかのことが、この映画を構想する要素となっていきました。

――実際に双葉町に入られた時の町の様子はいかがでしたか?

誰もいない、音もしない。逃げた当時のままで放置してあるバスや、津波でやられた小学校、壊れた家も残ってて。あと、津波を免れた「新築」の家なんかも残ってるんだけど、もちろん誰もいない。そんな全てが複合する、何とも言えない20km圏内の悲しい風景でした。

一番怖かったのは、山形では全く動かないガイガーカウンターが、双葉町の中心エリアに行くと数値がガーっと上がったこと。でも撮影してると、途中から危険かどうかの概念がだんだん分からなくなってきちゃうんだよね。放射線は匂いもないし、色としても見えないから、最初は怖かったのに、そのうち麻痺して、マスク取ってご飯食べちゃったり。だから、俳優さんたちをそんな危険な目に遭わせられないと思って、実景だけを最小限の人数で現地で撮影して、俳優さんたちの演技部分は山形で撮影して後から合成しました。

今回の原発事故の直接的な原因は東日本大震災による地震だったけど、一方では人的な事故とも言える。事故後の現場が、配管だらけで何がどうなっているのかも分からなくなっている事実も怖い。1個メルトダウンすると北関東が終わっちゃうくらいの使用済燃料が福島第一原子力発電所には何百本もあるのに、放射線は目に見えないからね。

だからこの映画では、目に見えない放射線に音と色を付けたのは良いアイデアだったと思っています。今自分で見ても、映像の中から迫ってくる音と色が怖いくらい。

福島第一原発から20Km圏内の避難指定地区に住み続け、孤独死した一人の老人の遺品回収に向かった男が目にする現実を描いた『LIFE』のワンシーン。
福島第一原発から20Km圏内の避難指定地区に住み続け、孤独死した一人の老人の遺品回収に向かった男が目にする現実を描いた『LIFE』のワンシーン。

芸大生たちの素直さと美学を感じた撮影現場

――福島第一原発の作業員の方から聞かれたと言う、「高濃度の汚染水が漏れている場所のボルトを締めるのにのべ数百人の人間が必要だった」という話が、『BOLT』のストーリーの元となっていると聞きました

記録とか文献には残ってないから都市伝説なんじゃないかとまで言われたんだけど、直線距離が300mくらいある「松の廊下」と呼ばれている場所が本当にあって、汚染水が漏れている圧力制御タンクと、コンクリートブロックで固められた放射能除けの避難場所までのその300mを交代で行き来して、ボルトを締める(ベント)作業に向かう作業だったようです。

作業時の被ばく量が凄いから、実際には1回バルブを締めたら避難場所まで戻ってこなくちゃならない。でも緊張すると人間って作業に失敗するでしょう?そして続けて作業したくなる。でも避難しなくちゃならない。その葛藤と闘いながら何度も何度も締めに行く作業を、どれほどの放射線量があるのか分からない状況下で最初は4人でやっていたらしいんです。

今も冷却水をずっとたれ流していていて、いつ何があるのか分からない状態なのに、日本はまた原発を動かそうとしていて、狂気を感じます。震災からもう10年経とうとしているけど、反原発とか単にそれだけの意味ではなく、増え続ける汚染水をどうにか止めてほしいと、本当に思います。

原子力発電所のボルトが緩み、圧力制御タンクの配管から漏れ始めた高放射能冷却水を止めるために、ボルトを締めにゆく男たちの物語『BOLT』のワンシーン
原子力発電所のボルトが緩み、圧力制御タンクの配管から漏れ始めた高放射能冷却水を止めるために、ボルトを締めにゆく男たちの物語『BOLT』のワンシーン。

――どのような経緯で撮影をすることができたのですか?

『BOLT』の構想は、現代美術家で京都芸術大学教授のヤノベケンジさんと結構前からしてたんだけど踏み切れないでいたんです。でも、ヤノベさんが「高松市美術館」(香川県)で大きな展覧会をやることになって、撮影用のセットと防護服も作るから撮影しに来ないかって言ってくれたんです。これを逃したら撮れないと思って、撮影させてもらうことにしました。

――美術館館内での撮影は、かなり工夫を強いられたのではないかと思います

ヤノベさんの展覧会を観に来たお客さんの流れを止めないことが撮影の条件だったから、撮影用のトンネル(以下、写真)の中で、もうあらゆるアングルから創意工夫して撮影したんです。でも最終的には、お客さんのことを気にしながら撮影したとは思えないような出来栄えになったと思う。

――この映画も、主な撮影スタッフは学生たちだったと伺いました

芸工大の学生たちが25人、京都芸大の学生が10人。映像学科の学生だけでなく、グラフィックデザイン、日本画、建築・環境デザインなど他学科の学生たちもいました。この映画が公開されるまで3〜4年かかっちゃったから、当時関わってくれてた子たちはみんな卒業しちゃったけどね。

『BOLT』のワンシーン

――学生たちはどのように撮影に関わっていたのですか?

照明は、1年生たちにちょっと教えたら、すぐやってくれた。撮影監督の長田勇市(ながた・ゆういち)さんと、芸工大の映像学科卒業生の村岡一誠(むらおか・いっせい)くんがメインのカメラ。あとは芸工大と京都芸術大学の卒業生たちが担ってくれました。

学生たちは素直だし固定概念がないから、新しい映画が生まれる可能性があるんだよね。芸大の子たちって、映像を勉強しているかどうかに限らずみんな美学があって、この映画には、そうしたセンスが生かされていると思う。

当時は、自分たちがしていることの価値はあんまり分かんなかったかもしれないけど、卒業して数年経つと、あの出来事が一生できない経験だったって事が分かると思う。『彌勒 MIROKU』もこの映画も、学生たちのおかげで撮影できたし、もう1回くらい山形で長編とか撮影してみたいな。

スタッフとして撮影に携わっている学生たちが、撮影現場をフォローしている様子。黄色の防護服は『BOLT』で使用されたヤノベケンジさんのアート作品の一部。
スタッフとして撮影に携わった学生たちが撮影現場をフォローする様子。黄色の防護服は『BOLT』で使用されたヤノベケンジさんのアート作品の一部。
現場で撮影指示を出す林教授
現場で撮影指示を出す林教授(写真中央)。

――この3部作を製作するきっかけとなった根岸理事長は、今、何とおっしゃっていますか?

『GOOD YEAR』の時からずっとこの撮影を見守ってくれてたけど、予想外にどんどん作っていってびっくりしてたんじゃないかな。でも全部観てくれていて今でも傑作だとおっしゃっています。

この映画が「第22回上海国際映画祭」のパノラマ部門(受賞対象外の話題作品)の正式招待作品に選ばれた時は、根岸さんと2人で上海に行ったんだけど、「IMAXデジタルシアター(カナダのIMAX社が開発した動画フィルムの規格・映写システム)」だったから、音から感じる緊迫感もすごくてなかなかの評判になって、2人で良い時間を過ごしました。

――海外の方からも最近、上映のアプローチがあったそうですね

こっちからアプローチしたわけでは全然なかったんだけど、「海外特派員協会」からこの映画を観たいというオファーがあって、最近ご覧いただきました。

この映画には最初、原発事故が起こった日が分かるように日付も入れてたんだけど、最終的には全部取り払ったんです。だから観る人には、福島で起こったというリアル寄りの映画じゃなくて、どこの都市でも起こりうることとしていろいろ想像してもらいたいと思っています。

――2014年の『GOOD YEAR』撮影開始から7年。2020年12月10日から全国で上映ですね

今回の公開までには、いろんな方が映画を見てくださって協力をいただいたんですが、昔からの友人でもある映画プロデューサーの大和田廣樹(おおわだ・ひろき)さんが全国公開することを決めてくれたことと、映画製作・配給「ガチンコ・フィルム」の人たちがこの映画を面白いと言ってくれたことが大きかった。公開まで何故こんなに時間がかかるんだろうって苦しかったけど、この映画が、この時期を選んだのかもしれないね。

(取材:企画広報課・樋口)

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『BOLT』フライヤー

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東北芸術工科大学 広報担当
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