教えながら学び、学びながら教える表現者/宮城県宮城野高等学校教員、作家・卒業生 針生卓治

インタビュー

作家として活動しながら、仙台市にある宮城県宮城野高等学校美術科で教員をしている針生卓治(はりう・たくじ)さん。卒業後は小学校、中学校、高校の教育に関わり続けた10 年間、美術教育の意義をよりいっそう強く感じています。作家として子どもたちに伝えたい経験、ご自身が芸工大で得た学びについてお話を聞きました。

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人との関わりを大切に、作家と教員を両立

――現在、受け持たれているお仕事の内容を教えてください。

針生:宮城野高等学校美術科には、洋画、日本画、クラフトデザイン、彫刻、ビジュアルデザインの5分野があり、私は日本画を担当しています。他には、2、3年生の素描、1 年生が学ぶ美術概論、普通科と総合学科の美術選択授業を担当しています。放課後には展覧会出品作品の制作指導と、今の時期ですと入試に向けた実技指導や面接指導、志望理由書の添削指導などもしています。校務の部署としては生徒指導と落とし物係も担当しています。

――盛りだくさんですね!高校全体の雰囲気はどのような感じですか?

針生:生徒の主体性に任せて学校生活を送ってもらう校風で、文化祭や体育祭、生徒総会も生徒自身が企画します。研修旅行なども生徒が主体となって企画し、先生が補助的に活動指導します。私服通学で校則も部活もないので、大学に近いような自由な雰囲気があります。

宮城県宮城野高等学校 針生卓治さん お話を伺った針生さん
お話を伺った針生卓治さん。

――美術科の指導を通して感じることは?

針生:最初、高校で日本画をこんなに本格的にやっているのかと驚きました。指導内容も環境もレベルが高いなと感じています。その中で生徒と向き合っていると、高校生らしい心の動きというか、美術に対する迷いや周囲に対する焦りなども見えてきて、なるべく前向きに取り組めるような声がけをするように意識しています。

卒業制作に半年以上かけて取り組んでいる3年生は、作品に対する思いが強く、その分悩んでいる生徒もいます。コツコツと着実にやった分だけ伸びるというものでもないけれど、継続していると、ある日ぐっと手応えを感じるときがあるので、そこまでお互いに少し我慢しながら向き合っていく感じですね。何かをつかんだときには表情や制作内容が変わってきたりして、教える側としてすごくやりがいを感じます。

また、大半の生徒が美術系大学に進学しますし、どんどん技術力をつけて成長する姿を見ていると、こちらも刺激を受けます。自分の経験を伝えながらも、「言ったからには負けられない」という気持ちにもなりますね。

――どういった経緯でこちらで教えるようになったのですか?

針生:卒業以来、作家活動を続けるため、制作の時間が確保できる仕事をしていました。最初は山梨県の北杜市にある中学校で美術の代替講師を、その後小中学校で特別支援学級の支援員をした後、神奈川県に移り絵画教室で教えていました。そこを辞めたタイミングで芸工大で大変お世話になった末永敏明(すえなが・としあき)教授からこちらの高校をご紹介いただいて、現在に至ります。

宮城県宮城野高等学校 針生卓治さん 校門前にて針生さん

――ずっと「絵画」と「教えること」に関わっているんですね。教える上で大切にしていることはなんですか?

針生:私は非正規職員として、ある意味転々と働く場所を変えてきたわけですが、それは作家活動を第一に考えた結果でした。学校の先生が経験していないことを、作家の自分が生徒たちに伝えられたら、と思って接しています。

――教える経験が作家活動に影響や変化を与えたことは?

針生:これは個人的な意見なのですが、絵描きってどこか内向的というか、自分の中にある世界観をまずは自分でじっくり育てて表現する人が多く、ともすれば閉ざされた状況に身を置くことになってしまうと思うんです。私もそういう性格があるのですが、教えるときには一方的な自分の発信では伝わっていきません。どういう言葉を使って、どういう行動をして、どう伝えるか。自分の作品で目に見える形ではないかもしれませんが、「伝える」ということが常に頭の片隅にあります。これは、美術教育を通して人と関わる仕事を続けている影響かなと思いますね。

小学校で勤務した際には教材やポスター、学芸会の小道具を作ったりもしていて、学芸会本番で見ると、自分のこだわりほどよくは見えなかったことがありました。「人に見せるって、どういう風にやればいいんだろう?」と、客観的に制作をとらえる機会になりましたし、自分の制作スタイルじゃないからこそ感じられることが意外に多かったように思います。

宮城県宮城野高等学校 針生卓治さん お話を伺った針生さん
小学校に勤めていた際に教材として作った絵本には、当時の校長先生を登場させるなど子ども達の興味を引く工夫も。

――小学校、中学校勤務をはじめ、9年間を山梨県で過ごした時間は大きかったんですね。

針生:そうですね。作家としての活動も多く発表の場をいただくことができました。私は、作家活動を続けていく上ですごく大事なものの一つが、人とのつながりだと思っています。山梨県という自分にとっては縁もゆかりもない土地で、ゼロから関係を築いていくことが自分なりに達成できた時間だったと感じています。

宮城県宮城野高等学校 針生卓治さん 山梨県立美術館での個展の様子
2021年に行なった山梨県立美術館での個展の様子
宮城県宮城野高等学校 針生卓治さん 山梨県立美術館での個展の様子
山梨での制作活動の集大成ともいえる展示となった

――では、作家活動をしていて印象深いできごとは?

針生:2016 年にマレーシアで開催されたアーティストインレジデンスに参加させていただいたことです。19 ヶ国から120 人ぐらいのアーティストが招待されて、グループごとに配属された地域で2週間滞在制作するのですが、私のグループは7カ国の多国籍グループでした。言葉や文化は違いますが、みんなアートという共通のパスポートと、何かを伝えようとする気持ちを持っていて、共感、共有できるものがあったんです。お世話になった現地の人も含め、そういった人との関わりの中で、ここだからできる作品を残したいと思い制作しました。これもまた「自分が表現したいこと」だけを突き詰める制作とは違い、人を喜ばせたり人と共感、共有できるものを考えるいい経験になりました。

宮城県宮城野高等学校 針生卓治さん マレーシアアーティストインレジデンス
マレーシアでのアーティストインレジデンスの様子
宮城県宮城野高等学校 針生卓治さん マレーシアアーティストインレジデンス
当時勤めていた学校の理解も得て、教員の仕事を一時休職して参加

美術を志し、自分の可能性を追求。美術教育を未来につなぐ

――そもそも進路として美術を選んだきっかけはなんだったのでしょうか。

針生:私はもともと生き物が好きで、獣医になりたくて高校に入学したのですが、すぐに自分が勉強が好きではないと気づいてしまいました。高校に入った途端に何をしていいか分からなくなってしまったんです。悩みながら高校生活を送り、2年生の3月頃、ある作家の展示を見てすごく感動し、絵を描く未来を考えました。自分より上手い人がいるのはわかっていましたが、これまで諦めてきたことが多かったので、もし自分の可能性を信じて突き詰めていくことができれば、違う未来が開けるんじゃないかと思ったんです。やれる限りは、限界まで絵をやろうと決めたのはそのときです。美術の先生に描いた絵を見てもらい、3年生の夏休みから予備校に通いはじめました。

宮城県宮城野高等学校 針生卓治さん お話を伺った針生さん

――芸工大を選んだのはなぜですか?

針生:オープンキャンパスで展示されている学生の絵を見て、技術力と表現力の高さを感じ、日本画の画材の質感に惹かれるものがありました。当時は、洋画も日本画もデザインも違いがわからない状態でしたが、そのときにいらした岡村桂三郎(おかむら・けいざぶろう)元教授がすごく親切に説明をしてくれました。私が、美術をやってきた人間ではないことを伝えると、「じゃあこういうとこに行ってみるといいよ」と予備校を教えていただいたりもしました。

スタートが遅かったので現役合格はできなくて、東京で1年間浪人してから芸工大へ進学。東京とは違い、喧騒から離れてじっくり制作に向き合える時間があり、自分には合っているように感じました。

宮城県宮城野高等学校 針生卓治さん お話を伺った針生さん

――日本画コースで学んでよかったと思うことは?

針生:すごくたくさんありますが、一番大きかったのはスケッチでしょうか。ある課題で、写真を見ながら描いた絵を持っていったところ講評会で酷評されました。その代わり、実際に動物園に行ってスケッチした、自分ではあまりいいと思えない出来のものは高く評価されたんです。これがきっかけとなり、制作の際は必ず現地取材するようになりました。当時は山形にいながら上野動物園の年間パスポートを購入し、通いました。修了制作の題材となった新潟県長岡市の闘牛も現地取材を重ねました。納得いくまでいろいろなアングルから実物を見て、その場の臨場感を感じながら描く、という制作の礎ができました。

あとはドローイングです。長沢明(ながさわ・あきら)教授が、期日までに一番多く描いた人が優勝という、ドローイングイベントを開きました。優勝者は先生の絵がもらえると聞いたときは、みんな目の色を変えてましたね。私は最初は何を描いていいか分からなくて、左手で描いてみたり、目を瞑ってみたりいろいろ試しているうちに、画材ではないもので描く表情におもしろみを感じるようになってきました。ニスやマニキュア、修正テープなどを使い、100 均で手に入るA5サイズのスケッチブックにひたすら描いて、普段は使わない色彩や意図的ではない現象もどんどん取り入れました。無意識に埋没していたイメージが掘り起こされ、結果的にこのドローイングが今の制作スタイルにつながっています。

宮城県宮城野高等学校 針生卓治さん ドローイングノート
今まで描き溜めたドローイングには、針生さんの制作の発想の素が詰まっている

他には、演習で岩絵具や和紙などを自分たちで実際に作ることで、自然の素材と結びつきの深さを感じたり、色を重ねながら深めていく、日本画ならではの色の作り方などをじっくり学べたことは今の制作のベースになっています。

――針生さんにとって、芸工大の先生はどんな存在でしたか?

針生:日本画だからこうという枠をつくらず、表現としてどう向き合っていったらいいのかをすごく身近で教えてくれる存在でした。先生方はおそらく別に日本画を描いてほしいわけではなく、表現者として表現を追求していってほしいという考えだったのだと思います。大学を出てから噛み締める言葉もあり、自分も生徒たちに、今はわからなくても後でしみてくるような種をまき、あとは各々が育ててくれたら、と考えています。そういう教育の大事な部分を実感できる形で教えていただきました。

――今後の活動の展望をぜひ教えてください

針生:表現者としての活動はずっと続けていくつもりですが、同時に教育にも何らかの形で関わっていきたいです。今まで、小学校、中学校、高校、絵画教室も含めて、いつも教育現場を選んでいる自分がいるのは、美術教育の意義をすごく感じているからなんです。今、美術の授業や教員数も減らされていたりして、忸怩たる思いがあります。美術に触れる機会を減らさないためにできることを大事にやっていきたいです。ゆくゆくは絵画教室を開いて作家と両立できたらと思います。

宮城県宮城野高等学校 針生卓治さん お話を伺った針生さん

――それでは最後に、高校生や受験生にメッセージをお願いします。

針生:皆さん言っていることですが「継続は力」です。デッサンなどしっかり基礎を培うことが、その後に大きく繋がってくると思うので、ぜひ継続してください。

私は高校入学で目標が終わってしまい、その後の高校生活が必ずしも納得のいく形ではありませんでした。逆に大学ではやりたいことができたので、自分がやりたいことを「どの場所でどんなことをやる」という風にイメージを持って取り組むといいと思います。例えば、オープンキャンパスで大学の雰囲気を感じて、自分がそこで何かをしているイメージを持つこと。創造性がもたらすプラスの効果はすごいので、大学で何かに役立つ制作をしたり、誰かと共有する喜びがあることを、ぜひイメージしてみてください。

宮城県宮城野高等学校 針生卓治さん 美術室前廊下にて針生さん

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「あのとき美術に進むと決めたことが、今でも支えになっています。当時の自分に感謝したい」と語ってくれた針生さん。多くの迷いの中で彷徨うような高校時代、大きな決断だったことがうかがえます。そんな経験があるからこそ、生徒に届く言葉で寄り添い導く指導者として、美術教育に携わることができているのではないでしょうか。日本画コースで学んだ一つ一つをしっかり自分のものとして、教えること、描くこと、生きることが、一つの環のように調和している姿が印象的でした。

(撮影:根岸功 取材:上林晃子、入試広報課・土屋)


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東北芸術工科大学 広報担当
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