TUAD Artist in Residence Program 2008 “梶井照陰”

対談採録 “集落の「声」を、背負うことで見えてくる”

対談=梶井照陰+赤坂憲雄
日時=2009年1月20日[火]17:40−19:00
会場=東北芸術工科大学図書館AVルーム

 

1. 「限界集落」は名付けの暴力か?

●Profile
梶井照陰|Syoin Kajii
1976年新潟県生まれ。写真家・僧侶。(※詳細は前頁参照)

Photo : Kang Chulgyu

赤坂憲雄|Norio Akasaka
民俗学者。東京大学文学部卒業。専門分野は東北文化論。東北も小さな民の具体的な歴史を掘り起こし、歴史以前の闇のなかに埋もれた〈もうひとつの東北〉を浮き彫りにしながら、東北学の構築をめざしている。主な著書に『異人論序説』(砂子屋書房)、『遠野/物語考』(宝島社)、『柳田國男の読み方』(ちくま新書)、『東北学へ』三部作(作品社)、『山野河海まんだら』(筑摩書房)などがある。2007年『岡本太郎の見た日本』(岩波書店)でドゥマゴ文学賞を受賞、2008年には同書で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。現在、東北芸術工科大学大学院長、同大学東北文化研究センター所長。

Photo : Kang Chulgyu


注1 大野晃(おおのあきら)
環境・地域社会学者。1940年高知県生まれ。日本全国の山村地域のほかルーマニア、スウェーデンなど世界各地の条件不利地域の比較研究、村落研究を続ける。綿密なフィールドワークを経て1988年に「限界集落」の概念を提唱。四万十川や千曲川研究の成果を踏まえた「流域共同管理論」も唱える。山村再生や地域づくりのアドバイザーとして活躍中高知大学教授、北見工業大学教授を経て2005年から長野大学環境ツーリズム学部教授。高知大学名誉教授。千曲線流域学会会長、日本村落研究会副会長、日本農業法学会理事などを歴任。

注2 山村環境社会学序説(農山漁村文化協会 2005年)
30年に及ぶ豊富な実態調査に基づき、山村の危機とその再生への途を考察し、山村再生がもつ日本社会全体にとっての意味を分析している。現代山村の二類型、すなわち雑木林型山村と人工林型山村の比較をとおして限界集落の問題に言及し、「流域共同管理」という広い視野で再生の方途を考えることの重要性や、森林環境交付税、林業の直接支払制度の早期創設の必要性などを提言。

 

(c)Syoin Kajii

 
赤坂 今日の対談のはじめに「限界集落」という言葉を梶井さんがどのように認識されているのかお聞きしたいのです。実は先日、NHKの『週刊ブックレビュー』という番組に出演する機会があって、梶井さんの著書『限界集落—Marginal Village』を紹介しました。そのときに、「限界集落」という言葉について、他の書評者が拒否反応を示したのです。この本は表紙に老人たちが薬漬けになっている現状を暗示させる写真が使われているので、「高齢者の現実」と「限界集落」という二つのイメージが重なり合って、神経を逆撫でするような、ある種の挑発的な言葉として受けとめられたのですね。
この「限界集落」という言葉は、大野晃(注1)さんの『山村環境社会学序説(注2)』という本の中で定義されたものですね?
梶井 そうです。「限界集落」とは、65歳以上の老人が集落の居住人数の50パーセントを超え、独居老人世帯が増えて、共同生活を維持していくこと自体が難しくなった集落です。
赤坂 この『山村環境社会学序説』自体はとてもいい研究書なのですが、大野さんのアプローチは、社会学、あるいは地理学に近いのかも知れない。僕のような民俗学の人間が村に入るときの感触とちょっと違うのです。僕のように限界集落ばかりを歩いている人間は、自分が訪ねていく地域で「ここは限界集落ですね」とはとても言えないからね。
梶井さんは新聞か雑誌で、「フィールドのリアリズムから自分は〈限界集落〉という言葉を選んだ。過疎化という現実はもうとっくに通り越して、村々にはもっと厳しい現実が横たわっているから、それをリアルに表現するために自分はその言葉をあえて使った…」といったようなことを書かれていました。それはその通りなのですが、学者の学術用語として「限界集落」という言葉が使われているレベルと、すでにマスメディアに乗っかって広く流布しているレベルでは言葉の伝わり方が違います。言ってしまえば「限界集落」という言葉は、今日では「あなたは後期高齢者です」という類の名付けの暴力に重なってしまう危険もある。『限界集落—Marginal Village』というタイトルに過敏に反応した読者も多かったのではないですか?
梶井 僕が住んでいる佐渡島の鷲崎でも限界集落化が進んでいまして、自分がその中で暮らしていると、実際に村が消滅していくリアリティーをひしひしと感じます。でもそんな状況を都会に住んでいる人たちは何もわかっていない。無関心です。「このままひっそりと村々がなくなり、忘れ去られていいのか?」という気持ちから、2冊目の書籍はルポタージュとしてまとめて、挑発的ではありますが、あえて「限界集落」というタイトルを付けたのです。もちろん、その結果様々な反応がありました。
今月も、東京の新聞社が限界集落の現状について研究者に話を聞くという主旨で新潟まで取材に来られたのですが、「その言葉が嫌いだから」という理由で、何人かの研究者から取材拒否されることもあったと聞きました。また、暮れの12月には長野県の小谷村に行きまして、集落の人たちと座談会をしたのですが、そのときにもやはり「〈限界集落〉という言葉についてどう思うか?」という議論になりました。参加者の半数くらいが、「限界集落」が定義する状況を客観的に受け入れて、「むしろこの言葉をバネに頑張っていくべきだ」という意見でしたが、「このままいくと集落が駄目になるのだから、追い討ちをかけるようなことは言わないで欲しい」という声も確かにありました。村のお年寄りからは、昔は都会の人にもっと露骨に「バカ過疎」なんて言われて傷ついたのだという話も出たり…。中高生はそうした大人たちの議論をすごく客観的に眺めていて、「そういうふうに感じる人がいるのならば、無理に自分たちから(限界集落と)名乗る必要はない」という反応で、受けとめ方はバラバラでしたね。小谷村の座談会では、最終的に「それなら自分たちで新しい言葉をつくって盛り上げていけばいいんじゃないか」という結論になったのですが。

2. ムラと野生の「境」に立って

 

(c)Syoin Kajii

 
赤坂 次に『限界集落—Marginal Village』の中身についてですが、僕も民俗調査でずいぶん同じような村に入っていますから、掲載されている写真から梶井さんが具体的にどのように取材を進めていったのか、だいたい感触としてわかりました。例えば庭先でおばあちゃんが何かしていたら、それをどのような目線でシャッターを押しているのか、すごく気にしながら読ませてもらったのですが、その角度が梶井さんはとても低いのですね。特にポートレート写真では、全体的に人々への共感というか、いたわりがあって、表紙の挑発性との落差が心地よかった。
逆に風景写真では、背後にまわって集落の全体像を撮影している写真がありますが[上の写真]、あの場所はすごく警戒されるポイントですよ。得体の知れない「よそ者」が村に入ってきて、あの場所に立ってシャッターを押していたら、きっと村人たちはザワザワしますよ。そして同時に重要な問題が、梶井さんの立ったこの場所から見えてくると感じました。
つまり、この『限界集落—Marginal Village』の中で、しきりに「猿が来る、猪が来る、熊が来る。こんなことはこれまでなかったことだ」ということが村の老人たちによって語られていますね。野生の獣たちが村に侵入してきている状況が、くりかえし描写されている。僕はこの写真のポイントは、獣たちが山から下りてきて、人間たちの集落を見ている目線だと感じた。つまり集落の背中で、人間の背後を油断しているところを後ろから窺っているという。
梶井 限界集落の実情をつかもうとしたとき、耕作放棄地だとか、村と山の境からだと地形的に状況がよく見えるのです。特に意識はしていなかったのですが、そういう場所がそのまま獣たちの世界との境になっているのかも知れませんね。
赤坂 その場所というのは、宮沢賢治の作品の中、例えば『かしはばやしの夜』に出てくる「畑のヘリ」ですね。つまり里山と集落との「境」は、獣たちがやって来て人間たちの営みを覗き込んでいるような場所であり、だからこそ物語が生まれてくる場所でもある。異界との交流が発生する場所です。僕が村で聞き書きしていても、そうした場所にはなかなか立てないから、この写真は強く印象に残りました。
梶井 全国の村々を訪ね歩いていると、限界集落化と比例して耕作放棄地がどんどん増えていき、獣の世界との境界線が急激に集落に引き寄せられていると実感します。猿たちが里におりて来て田んぼの稲を持っていくという話は、集落のまわりを歩いてみるとよく理解できます。
赤坂 僕は歴史遺産学科の学生たちと福島の川衣という集落に通っていて、その村も平均年齢70を超えているような村で典型的な限界集落です。そこで焼畑農業を復活させようと学生たちと赤カブをつくったのですが、いよいよ2日後に収穫だということで行ったら、村のじいちゃんが「鹿に食われた」と呆然としている。せっかく苦心して育てたカブの半分が鹿にやられてしまったのです。
この集落では明治以降、鹿を見なかったのですが、奥日光で「可愛いから」という理由で鹿を保護したのですね。それで増えすぎた鹿が食べ物がないからあふれて、餌や水場を求めていくつも山を越え福島にやってきた。赤カブを食べ荒らした鹿は2〜30頭の群れだったそうです。こんなねじれた現実がいたるところに転がって、限界集落が生まれています。あの村は10年後にはどうなってしまうのだろうと心配しています。「過疎化」なんて言葉が追いつかないような現実が、どんどんひろがってきていますよね。
梶井 僕の暮らす佐渡でも、山に手が入らなくなって狸が繁殖して畑を荒らしています。せっかく苦労して米や野菜を育てても狸にみんな食べられてしまって、島のお年寄りは畑に出る意欲が失せてきてしまっている。そうなると、耕作放棄地が増えていくし、村も元気がなくなってしまう。
赤坂 奥山の野生と村との間には、かつて緩衝地帯である里山があって、里山には常に村人が入って木を切ったりキノコを採ったりしているから、景観が開けている。だから野生の動物たちはそこで警戒して、村までは入ってこなかった。しかしいまは雑木林が手入れされずに藪になっているから、奥山から村の境まで獣たちが入ってきています。狩猟を生業にしているマタギたちの村にまで熊が侵入してくるという、とても考えられないことが起こる時代にすでになっていますよ。
僕は予言してもいいですけれど、野生動物を抑えているマタギたちの狩猟圧がなくなっていますから、5年か10年でこの山形市内にも野生動物は出てきます。人口が日本列島でどんどん減っていくということは、人間の住むエリアを狭めていくことにもつながっていますから。そういう意味では、梶井さんの『限界集落—Marginal Village』は、村の消滅だけではなくて、我々がこれから直面する野生との困難な共生も予告していますね。

3. 『四ヶ村』で見たこと、考えたこと

 

(c)Syoin Kajii

 
赤坂 今回、大学に展示した四ヶ村の写真は、『限界集落—Marginal Village』とは感触がずいぶん違いますね。これは想像ですが、前作は「旅人」の視点ですよね。取材先の集落に滞在するのは2〜3時間ですか? 
梶井 いえ、だいたい2〜3日は滞在したのですが、急いでまわる感じでしたね。
赤坂 四ヶ村での取材は滞在型ですよね。『限界集落—Marginal Village』は村の日常の中にすっと旅人が来て入り込んでいく感じですが、今回はもう少しゆっくり滞在していますから、梶井さんの立っている場所が、さきほど話していた「境」とは違う感じがしますね。通り過ぎていく旅人の速度で外から窃視したような写真がない。
梶井 学芸員の宮本さんに声をかけていただいて、最上郡大蔵村の豊牧、滝ノ沢、沼の台、平林という4つの集落(=四ヶ村)をはじめて案内してもらったとき、健康な農村のもつエネルギーというか、生命力を感じました。それで今回のアーティスト・イン・レジデンスでは、「限界集落の厳しい現実」ではなくて、失われつつある農村の美しさを何とかして伝えたい、残したいという気持ちで取材しました。こちらでは集落の中に入っていくという感じで撮影していました。
赤坂 梶井さんは、フィールドワークの修行なんてしていないでしょう?
梶井 まったくしていないです。
赤坂 実は僕がはじめて「聞き書き」に入ったのも、偶然にも今回、梶井さんが滞在した四ヶ村の豊牧集落なのですよ。中島さんという、カンジキをつくっているおじいちゃんの家に森繁哉さん(注3)に連れていかれたのです。当時の僕も、民俗学のフィールドワークの訓練なんてまったく受けていなかった。すべて自己流で何の準備もなく集落に入って、午前中ずっと話を聞いて、ばあちゃんにお昼をごちそうになって。そしたら中島さんが、「俺は昼寝をするからお前も寝ろ」と言う。僕も「そういうものか」と思って、用意してくれた毛布をかぶって陽だまりで寝ていたら、森さんが戻ってきて僕を見てびっくりしてる(笑)。それが豊牧だったのですが、梶井さんの写真を見て、ずいぶん変わったなと思いましたね。

注3 森繁哉(もりしげや)
現代舞踏家・民俗学者。1947年山形県大蔵村生まれ。『水の踊り』『庭、バリエーションズ』など、多数数多くの舞台作品の他、道路での表現活動『第一次』『第二次道路劇場』を経て、出羽三山山中で『千の行』を展開。こうした活動の様子がフランス、アメリカのCNNの特集に取り上げられ、日本を代表する舞踏家の一人として知られる。地元大蔵村で舞踏集団「里山ダンス事務所」を構成する村人たちと「すすき野シアター」「南山夜学校」を運営。「身体民族学」という独自の理論を構築。インタークロス賞、山形県社会文化賞、NHK東北ふるさと賞などを受賞。現在、東北芸術工科大学教授・同大学こども芸術大学副校長。

梶井 そうでしたか。実際に何日も村に滞在して、あちこち歩いて話を聞いて、村の方々にはとてもよくしてもらいました。でも、いろいろ突っ込んで聞いても、それをどこまでルポとして伝えていいのか、難しさを感じることもありました。四ヶ村でも若い人たちはみんな街に働きに行っていて、日中はお年寄りしかいない。山神祭りは伝統的な儀礼は省略してしまって、お社の近くでみんなご飯を食べるだけとか、村に一つしかない小中学校が閉校になってしまうとか…。変化は確実に起こっています。それでもここには、僕たちの社会がほとんど失ってしまった生命力に溢れた里山の景観や暮らしがまだ残っていると感じました。それを探すように撮影を進めていったのです。
例えばこの「枕飯」の写真[カバー写真]はお葬式の一場面ですが、このような心を込めた、村のみんなでおこなう手づくりの葬礼は、形式は残っていても都会ではもちろん、地方の農村地帯でもほとんど見られなくなってしまいました。村の暮らしの中で、こうした儀礼が生み出されたおおもとは何だったのか、掘り起こしてみたいと考えていました。
赤坂 そこは、真言宗のお坊さんでもある梶井さんらしい視点ですね。今回の写真展には、『限界集落—Marginal Village』と同じようなお年寄りたち一人ひとりの人生を感じさせるポートレートに加えて、お葬式から保育園、お祭りや稲刈り、運動会などの村の行事がすごく丁寧に記録されている。まるで村のお抱え写真家ですね。沢山の人々が写真に登場しています。
僕もね、新聞の連載企画などで聞き書きに協力してもらった人の語りは、可能なかぎり紙面に出すように心がけているのです。「話を聞く」ことは、その人が抱えている重いものを背負わされる覚悟も必要です。梶井さんも今回の取材できっといろいろ背負いましたね。
そういえばお坊さんって、集落の中では実は「よそ者」なのですね。他の土地から移り住んだ人間だから、聞ける話もある。梶井さんは新潟に生まれて、佐渡にいたおじいさまの僧籍を継いだということですが、仏僧としての経済基盤は村の人からのお布施でしょう? 村の中ではとても微妙なポジションで、儀礼の継続を担っている。村が限界集落となって消滅したら、それこそお寺さんは食べていけないですよね。
梶井 佐渡のお寺の半分くらいが無住で、昔からの寺はどんどん潮風に朽ちて壊れていっているのです。僕の住んでいる近隣の集落でも、祭りで御輿をかつぐ若い人がいないので、隣の集落から来てもらってかついでもらったりしています。ほんとうは、「よそ者」でもいいから若い人にそういうところに住んでもらうとお寺も残るし、『限界集落—Marginal Village』で提示した問題も含めて、人々が集まって話し合ったり協働したりできる場になればいいと思っているのですが…。
赤坂 この東北芸術工科大学でも学生たちが市町村にどんどん入っていって、廃校や温泉街を舞台に様々なアート・プロジェクトに取り組んでいます。彼らの活動が土地にしっかり定着すれば、芸術とデザインを軸にした地域活性化のスタイルをこの山形で生み出せると思っているのですが、難しいのは学生は基本的に四年で新陳代謝して変わっていくということ。若い彼らは村に少し通っただけで嬉しくて、祭りなんかを復活させたりしても2〜3年で卒業したりして、地域社会からひきあげてしまう。そんなことが続くと集落の人々も、「だったら最初から来なければよかったのに」と思うわけです。
梶井 僕のお寺にもNPOの人たちがやってきて3年間、集落の宝物を探すなどということをいろいろやったのですが、結局、都会の人の自己満足だけで済んでしまって、その後には何もなくて…。それではちょっと困りますね。失敗してもいいですから、最後まで責任を持ってやって欲しいと思いますね。
でも、昔だったらもっと強固に「郷に入れば郷に従え」といった感じで、村の外からお嫁さんが来てもほんとうに大変だったのが、現在はそのような閉鎖性は薄れてきてしまって、逆にどんどん地域に入っていける時代になったのは確かですね。田舎と都会を分けることなく、やる気のある若い人たちが動いていける環境になってきたと思いますよ。
僕は次の撮影のフィールドとして、中国の農村地帯をまわりたいと考えています。中国でも地方と都市の格差がものすごくひろがってしまって、若い人が都会に流出して農村が空洞化し、それに伴って環境が破壊されるという、日本の高度成長期と同じ状況が起きている。もちろん僕は高度成長期を体験していない世代ですが、だからこそいま、中国の東北部で起こっていることを見て、日本の限界集落の現状を考えたい。来年は日本と中国を往復する生活になります。
赤坂 梶井さんが持っている表現者としての幅が、僕にはまだ見えてないと思う。この人が次に何をやるのかわからない。けっこうラディカルですよね。実は梶井さんをアーティスト・イン・レジデンスに招聘することが決まったとき、僕はすぐに『NAMI』と『限界集落—Marginal Village』の2冊を同時に取り寄せたのですよ。佐渡の波を撮影した写真集『NAMI』はすごく完成度というか純度が高い、ある種、宇宙的な世界ですよね。佐渡の集落もたった一カット、最後の方にチラッとしか写っていないし。僕は、どこか生きるものを拒絶する「人間嫌い」の写真だと感じたのです。でもその後すぐに『限界集落』のルポタージュを読んでそのギャップにびっくりした。まだ若いのに、完成された『NAMI』の世界観を脇に置いて冒険をしましたよね。
この『四ヶ村』の写真にしても、人間嫌いどころじゃなくて我々と同じように村のおじいちゃんやおばあちゃんの懐にすっと飛び込んでいって、すました顔をして撮っているという、その落差が僕にはすごく嬉しかった。自分をぶち壊すことをためらわない、穏やかな佇まいのなかに強さというか激しさを感じますね。そのような表現者としての梶井照陰さんの姿に、敬意を表したいと思います。次の写真集を楽しみにしています。
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