美術科・洋画コース准教授の室井公美子(むろい・くみこ)先生は、本学で芸術とデザインを学ぶ学生たちの基礎とも言える「想像する力」を育む授業を担当しています。
このコロナ禍で本学では前期の全てをリモート授業で実施することとなりましたが、「自分の意識・無意識に向き合う」「限界を超える体験をする」という2つの方法で、学生たちそれぞれが自分の想像力を高める学びが始まっています。室井先生はそれをどんな方法で学生たちに伝えようとしているのでしょうか。
――2015年に着任されましたが、本学にはどんな思いで着任されたのですか?
室井:その頃は山形との接点が全くなかったのですが、東京で働いていた頃から勢いのある学生を輩出している美大、元気な大学という評判は耳にしていました。画家としてのスタートが遅かった私が採用されて有り難い気持ちで一杯だったこともありますが、山形に実際にきてからも学生の可能性を信じる信念を持った学舎だということを肌で感じて、この大学で自分の役目を果たそうという心持ちが一層強くなりました。
――学生たちのことはどう感じましたか?
室井:ここには「自然が育む豊かさと強さ」があるので、学生たちは日々目まぐるしく遷り変わる美しい山形の四季に鍛えられていると思いました。春は一斉に動植物が芽吹き、夏は力強く成長し、秋は紅葉と共に豊かな実りがあります。そして厳しい冬。白銀の静寂に包まれる世界は、神秘的で心を穏やかにしてくれます。実生活では厳しい環境ですが、冬が終わり春が芽吹く時の感動は、「開けない夜はない」と、励ましてくれているようです。
それを痛感した出来事が卒業制作でした。私が所属する洋画コースでは、多くの学生が自分の背丈より大きな作品を制作します。雄大な山々と自然に囲まれていることが、卒制に辿り着くまでの様々な挫折とそれを乗り越える精神力を育み、スケールの大きな作品に挑むエネルギーになっていると感じます。
フランスの哲学者、アランの著書「幸福論」の中に、「寒さに対抗する一番の方法は、寒さに満足することである」とあります。今ある環境を不自由と思わず、満足し、工夫することが、自身を幸福へと導くという考え方ですが、本学の学生たちも、都会と比較すれば不自由さも感じるかもしれないこの環境を、プラスに変えていると感じます。
――室井先生もこの大学の環境を楽しんでいる印象です
室井:そうですね。ちょうど1年前のゴールデンウィークは、大学の裏山にある悠創の丘で、青空の下、読書や昼寝をしたり、遊佐町まで岸壁に掘られた十六羅漢に会いに行ったりと山形を満喫していました。
夏にも、置賜三十三観音のご開帳の年で、山の中にポツンとあるお堂まで彷徨いながら辿り着いたり、御朱印授与所の民家を訪ねて土地のお話を聞いたりしながら33カ所全てを巡礼して置賜地区をたくさん知ることができました。今年のゴールデンウィークは、「Stay Home」で出歩くことが難しい状況でしたが、昨年にも増して身近な環境を楽しむきっかけをもらえたと感じています。
自宅でも旅するように
――どんな方法で楽しんでいたのですか?
室井:コロナ禍で前期の座学、演習とも全てリモートで行うことになったので、学生たちが自宅で取り組むことになった演習課題を、このゴールデンウィークに私自身も取り組んでみました。
これは単に目の前のものをそっくりに描くことが目的ではなく、フロッタージュ※ した画面に、室内風景や物、窓から見える風景などの素描を絡めていきます。目の錯覚や模様なども取り入れ、描き手自身の新たな感覚や無意識に感じていることを発見する練習です。
※フロッタージュは20世紀のドイツ人画家・彫刻家マックス・エルンストが始めたと言われる。様々な物の表面をクレヨンや色鉛筆などで擦り、表面のテクスチャーを写し取る描画方法。
このような描画よって生まれる思いがけない絵画世界は、思考よりも先に「手が切り開く」世界です。画面を回転させながら重ねて描くことで、新しい自身の表現や気付きにつなげていくのですが、今回は天気も良かったので、自宅のベランダにイーゼルを立てて、外の風景も取り入れてみました。
制作を通して自分の部屋を改めて眺めると、見慣れた窓からの景色、部屋の中にある物の色や形、テクスチャーなどが、これまでと違って様々に見えてきました。そこから見える木々の美しい新緑、山の稜線の豊かさなどの身近なものを、角度を変えて見ることで、新たな世界が広がります。
――角度を変えて物事を見つめることで、身近な場所でも思いがけない新しさを発見できるのですね
室井:旅は、日常から離れて、その場所でしか得られない空気、光、匂いに触れることができて、自分が確かに感じた手触りやかけがえのないものが自身の無意識に蓄積されます。この自宅での制作も、溢れる情報から離れて、心の中の思考と感情を結びつけて内なる声に耳を傾ける「旅のような時間」だと感じます。
――室井先生ご自身の普段の作品も、五感で掴んだ手触りや偶然性を大切にして描かれているように感じます。
室井:そうですね。頭で全て組み立てて描くというより、自身でのコントロールが効かないことを取り入れることで、手探りで道を探すドキドキ感や、道が開けた時の喜びを感じることは、何ものにも変えがたい大切な経験だと思います。
紙とペンで体験する「限界」
――学生たちには自分の「限界」を越えさせるユニークな授業もしていますね
室井:新入生全員と教員が、学科を超えてシャッフルされたクラス編成で行う「想像力基礎ゼミナール」という科目があります。私のクラスでは、「限界ワーク」というものを行ってきました。
ここでの想像力とは、自ら考え学ぶための想像、相手を思いやる想像、自身の未来を思い描く想像などを意味しています。実際にすることは、「A3サイズの紙とボールペン」を使って何かしらの限界作業を30分間で行ってくださいというシンプルなものですが、この意味がないような行為に、個々が価値を見出すというものです。
無心になってワークする中で、手が痛くなった、紙が敗れた、ボールペンのインクがなくなった、そもそも何をすればいいのか分からないなど、個人によって「様々な限界」が思い起こされますが、肉体や思考の限界、物質的限界を、この30分の中でたくさん経験することができます。
――考えすぎないで手を動かし続ける”強制装置”ですね
室井:脳神経外科医のワイルダー・ペンフィールドが、脳と身体との対応関係を調べた地図「ペンフィールドのホムンクルス」を元に表現した「ホムンクルス」という人形があります。目・手・口が肥大した形をしていて、人間の神経細胞のほとんどがこの3箇所に集中していることから、実は私たちは「思考よりも先に手で考える」ことを自然にしているのだと思います。
人間は、各身体器官からインプットし、手や身体を動かすことで脳の様々な箇所が同時発火する創造的思考「ひらめく」という力も持っています。今年の「限界ワーク」も同様に、学生たちが自宅で行うことにはなりましたが、でき上がった作品そのものよりも、自分がそこから何を思い考えたかを知ることにもつなげてほしいと思います。考え過ぎて身体が動かないときは、何かしら手を動かすことで見える世界が、確かにあると思います。毎年かなりユニークな作品が出てきますが、在宅を強いられている現在の環境で、どのような「限界作品」が出てくるのか今年は特に楽しみです。
自分の内側に意識を向けて
これからを生き抜くために必要な”視点”を獲得する
――これからの世界に必要なことは、どんなことだと感じられますか?
室井:「自分を持つ」ことだと思います。自分の選択を他人のせいにしない歩み方です。昼夜問わず買い物ができアミューズメントに浸れ、本来の人間らしさから遠くなり始めていますが、情報や物質が過多であるがゆえに無意識にすり替えられて選択していた意識に気付き、自分自身で考え、情報を選び取って生きることです。
私自身、目の前のことをがむしゃらに一生懸命やることで自らを乗り越えてきたように思います。見えない先のことをあれこれ考え悩むより、現状を受け入れ今の自分ができることを懸命に行う。それが自身の先の未来につながってきました。いつの間にか乗り越えることをただ繰り返して、後悔しない生き方ができてきたように思います。
不自由な今は、眠っている可能性を探り出し、新たな自分と出会うチャンスです。私は、過去に経済的な問題で大学進学を断念し、社会人を経て、美術大学へ入学した経緯があります。絶望に思えた未来に対し、葛藤しつつ受け入れ、今の自分には必要な時間なのだと思い一歩一歩進んできた結果、今があります。この経験は、私自身の意識を変えるための強硬策だったように思います。全てが必要なことであり、困難が私を成長させてくれました。
私自身は小さな存在ですが、教員として大勢の学生たちと関わり、彼らと共に歩み、多くの学びを得られていることに感謝しています。皆さんが、何か感じ思ってくださることがあれば幸いです。
東北芸術工科大学 広報担当
TEL:023-627-2246(内線 2246)
E-mail:public@aga.tuad.ac.jp
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