教科書通りじゃない歴史の魅力を、地域の子どもたちにつないでいく/教育委員会 学芸員・卒業生 塚野聡史

インタビュー

福島県にある棚倉町教育委員会の学芸員として、町の遺跡の調査・維持に取り組んでいる歴史遺産学科卒業生の塚野聡史(つかの・さとし)さん。現在は、2023年から行われている国の指定史跡・棚倉城跡の石垣復旧事業を担当しています。そんな塚野さんに棚倉城の歴史や、文化財と関わるこのお仕事の魅力、そして大学時代に取り組んでいたフィールドワークの思い出についてお聞きしました。

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町の歴史を知り、その価値を伝える

――はじめに塚野さんのお仕事内容について教えてください

棚倉町教育委員会 塚野聡史さん
お話をお聞きした塚野聡史さん。

大学3年の夏休み期間中にも石垣調査で棚倉町に来たことがあるんですが、棚倉城の石垣というのは、熊本城とか同じ福島の白河市にある小峰城みたいに立派な総石垣っていう感じではないんですね。基本的には土と水堀があるお城で、石垣はあくまでも外郭なので、初めて見た時は「コンパクトなお城だな」という印象を受けました。その時にはすでに東日本大震災によって石垣が崩れてしまっていたんですが、2019年に棚倉城跡が国の史跡に指定されて、補助金がおりることになって。それでどう直していくか計画書を作成してようやく具体的に作業が動き出したところです。今は石垣の修復範囲の設定や土の状況を知るためにボーリング調査をしたり、震災以降どれくらい石が動いたかの計測、測量などを委託するための事務作業、また現場立ち会いなどを行っています。

棚倉町教育委員会 塚野聡史さん 一緒に働く町役場の方たちと
一緒に働く町役場の方たちと。「経験豊富な先輩方に、日々助言をもらっています」。

――棚倉城に携わる中で、特に印象に残っている出来事などありますか?

塚野:まだアルバイトだった頃の話になりますが、棚倉城って本丸の周りを囲むように土塁がこんもりとなっていて、その外側に水堀がある構造なんですね。で、昔の絵図を見るとその土塁の部分には建物があったようで、委員会の先生方は「そういった建物の痕跡のようなものは、もうほぼ残っていないだろう」と予想していたんです。でも実際に掘ってみたら、その建物の基礎になる石がとても良い状態で出てきて。しかも地表面からわずか30~40センチぐらいのところで出てきたので、それはすごく印象に残っていますね。上の建物自体は戊辰戦争で焼け落ちてしまったんですが、江戸時代の建物の石がほぼそっくり出てくるというのはなかなか…。その場面に立ち会うことができて良かったです。

棚倉町教育委員会 塚野聡史さん
江戸時代初めに築かれ、当時のまま残る貴重な石垣は、東日本大震災とその後の幾度かの地震により一部が崩れ、10メートルほど落下してしまっている。

――どんなところにこのお仕事の楽しさを感じていますか?

塚野:町にはお城に限らずいろんな遺跡があって、そちらも継続して調査していくことになるんですけど、いわゆる歴史の教科書で言われているようなことがその地域に入って見てみたら違っていた、ということがあったりして、そういうところにいつも発見の楽しさを感じています。

それから、棚倉城が築城された場所にはもともと神社があって、それをわざわざ動かして築城しているんですね。なぜそうしたかと言うと、当時は伊達政宗などがかなりの力を持っていたので、幕府はそれらに対する抑えとして使いたかったのでは?と考えられていて。そういう“力を持っていた側じゃない方”からの視点が持てるというのも楽しいな、と。その後すぐ棚倉城は重要視されなくなってしまったんですが、ある意味そのおかげで当時の形がそのままそっくり遺ったという貴重さもあって、それも国の遺跡に指定された理由の一つになっていると思います。

棚倉町教育委員会 塚野聡史さん

――町のシンボルという意味でも、今回の復旧はまさに一大事業ですね

塚野:そうですね。当然住民の方々との交渉なども出てきますし、あとは中学校のすぐ上のところにある遺跡なので、いざ工事する時には学校との話し合いも必要になってくるかと。5年かけて直す、というところにはすでに道筋が立っていてそれを確実にやっていくだけなんですが、ただ直して「良かったね」で終わりではなく、その価値を知ってもらうための場所づくりも含めて頑張っていきたいと思っています。時々、小学校から遺跡の案内をお願いされることがあるんですが、依頼を受けてこなすだけでなく、こちらからできる対応というものをメニュー化して、学校側に働きかけていきたいんですよね。少子高齢化で子どもが少なくなっているとはいえ、やっぱり地域の文化財とか歴史のことを子どもたちにも知ってほしいので。

フィールドでの出会いに刺激を受ける日々

――芸工大の歴史遺産学科で学ぼうと思ったきっかけを教えてください

実際に歴史遺産学科へ入学してみたらとてもフィールドワークが多い学科で、1年生の頃からいろんな現場に行かせてもらいました。発掘現場だけでなく、田口洋美(たぐち・ひろみ)先生の「マタギサミット」に行ったり、土器の野焼きをやったり。それまではこういう学科って、学校の中で資料読んだり論文読んだりしているイメージだったので(笑)、どんどんフィールドに出て行けるのが面白くて、私としてはそこがとても良かったです。

※民俗学・人類学者、日本の狩猟文化研究の第一人者。2023年度まで本学歴史遺産学科教授。

棚倉町教育委員会 塚野聡史さん

――印象に残っている当時の学びはありますか?

塚野:毎年夏休みになると、真っ黒に日焼けしながら現場で発掘調査をしてました。アルバイト代も出るんですけど、1年の時は古墳の発掘に1週間ほど参加して、2・3・4年の時は合宿という形で3週間から1ヶ月ほど、一つの建物を借りて20人ちょっとで共同生活しながら発掘に取り組んでいました。規模は小さいながら“一つの社会”という感じがあって、その中でどう立ち回るかなど、とても大きな経験を得られたと思っています。また、外部から参加していた大学院生がとても良い先輩たちで、現場の仕切りもすごく上手で、指示もとても的確で、刺激を受けながら発掘のいろはを学ぶことができました。今でもふとした時に思い出したりします。

棚倉町教育委員会 塚野聡史さん
山形県高畠町にある「日向(ひなた)洞窟」を発掘調査中の学生時代の塚野さん。(写真一番左)
棚倉町教育委員会 塚野聡史さん
棚倉城跡の石垣調査を行う、学生時代の塚野さん。(首に白いタオルをかけているのが塚野さん)

――大学院生もフィールドにするような遺跡に、学部生のうちから携わることができたんですね

塚野:そうですね。でもそれはもちろん、歴史遺産学科の先生方の存在があってのこと。当時私が所属していたゼミの長井謙治(ながい・けんじ)先生※1や、今も棚倉城の調査でお世話になっている北野博司(きたの・ひろし)先生※2など、先生それぞれに発掘調査や現場運営の仕方があって、先生ごとにちょっと違った感じで調査経験を積むことができました。実は、現場を持っている大学って結構少ないみたいなんです。バブルの頃はありとあらゆるところで開発が行われていたので、いろんな遺跡に当たってしまって、その分経験を積める現場も多かったらしいんですが。そういう意味でもフィールドを持つ芸工大というのはとても貴重だと思います。

※1:考古学者。2019年度まで本学歴史遺産学科准教授。現在は愛知学院大学で教鞭を執る。
※2:本学文化財保存修復研究センター長。2023年度まで本学歴史遺産学科教授。石垣研究の第一人者として、全国各地の史跡保存・活用に携わっている。北野先生によるエッセイはこちら

棚倉町教育委員会 塚野聡史さん

それから学生の頃は地域の方々ともたくさん交流させてもらいました。先ほど建物を借りて合宿していた話をしましたが、その建物というのが地元の人が管理している建物だったので、近隣の人たちに集まってもらってみんなで焼肉をしたこともありました。

――いろんな人たちと接点を持ちながら学んできたことを考えても、地域をフィールドにしている今のお仕事は塚野さんにとても合っていると感じます

塚野:そうですね。合っていると思います。その地域にしかない歴史ってどこにでもあるのに、高校までの歴史の勉強は、“徳川幕府が何年から始まって、何年で終わって、明治になった”みたいに、年表と出来事がセットになってるんですよね。しかも、勝った側から見た歴史っていう。だから、そうじゃない部分、いわゆる“歴史の教科書ではこの時こうなっていたけど、一方こちらではこういうことをやっていた”みたいなところももっと伝えていきたくて。高校には高校で受験のための歴史の勉強というのがあるんでしょうけど、教科書通りじゃない歴史もいろいろあるんだよ、というのを知っておいてもらえたらなと思います。

――それでは最後に受験生へメッセージをお願いします

塚野:大学での歴史の勉強となると、良くも悪くも高校までの知識が通用しなくなるところがあるので、先生方が募集をかけているものには積極的に参加してみるといいんじゃないかなと思います。

それから、学生のうちは「思っていたのと違う」とか「あんまり面白くない」と感じることがいろいろ出てくるかもしれません。でも後になって「あの経験がここで役に立った!」みたいなことが起きてきたりするので、ぜひいろんなことにチャレンジしてみてください。そして芸工大の歴史遺産学科には、自分から歴史の面白さを発見できるベースがあると思っています。

棚倉町教育委員会 塚野聡史さん

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大学の時から縁のあった棚倉城。その魅力を広く発信していくためにも、町のホームページやSNSで復旧の進捗状況を報告したり、町民向けイベントや小中学生向けの体験型イベントなども開催していきたいと話してくださった塚野さん。教科書を読んだだけでは分からない、いわゆる“じゃない方”から見た地域の歴史にも目を向けること―。それは世の中の出来事や物事を柔軟に捉えるという点においても、とても重要なものの見方なのではないかと感じました。

(撮影:渡辺 然、取材:渡辺志織、入試課・須貝)

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東北芸術工科大学 広報担当
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