文芸学科Department of Literary Arts

離婚式
川野辺啓太
茨城県/山形県出身 
長岡努ゼミ

<本文より抜粋>
 人の温もりというのは不思議なもので、それを求めて金を払う奴までいる。金を払ってまで温もりを求めるなんて馬鹿げていると離婚式を直前に迎えるまでの俺は冷笑して蔑んでいた。数ヶ月前。「犬伏さん、先日よりも唇の艶が良くなってますよ。唇のケアもしっかりされてたんですね」「この歳になると他にやる事も少ないですからね。ありがとうございます」45歳。この歳になって誰かに優しく触れてもらう機会というのは中々味わえない経験だ。俺は近々引越し予定のアパート近くにあるショッピングモールの化粧品コーナーでタッチアップを施してもらっている。中年男性がタッチアップを受けている姿が珍しいのだろう。鏡越しに買い物客らと目がよく合う。耳が赤くなるのを感じる。それでも俺は肩を窄めようとするのを止め、ひとつわざとらしく咳をして鏡に映る自分と向き合った。周りの目など気にしない。何より俺には恥ずかしさよりも大切にしている揺るがない軸があるからだ。「それにしてもこのチーク、チークしてるって感じ全然しないですよね」「POLAのグローブスラッシュスティック、チークとハイライトが一体化している長年多くの人に愛用されているスティックなんです」店員さんが持ち上げたチークはゆで卵を切り取ったかのような断面で、見解に困る。店員さんは表情を和らげて微笑み返した。「断面がゆで卵の断面みたいで可愛いですよね」「……はい」店員さんと同じ考えに思わず口が緩む。アイドルの追っかけをしていた時にも感じたことだが、持つべきものは自分と同じ考えを持つ人たちだ。それにしても……「コスメの事、好きになっていただいて嬉しいです」「え、俺が?」「違うんですか?以前よりもコスメに目を輝かせていたから。それにコスメにも詳しくなられていて」「そうですね、ほんとはそんなつもり、微塵も無かったんですけど……」無かった、本当に。俺はコスメオタでも美容オタでも無い。「あ、さては奥さんかお子さんの影響とか……」「妻と娘とは離婚式後に別居してくれと言われたばかりなので無いですね」「あ…すいません。出過ぎた事を」「ふっ…いいえ、あなたが謝ることじゃ無い」そう告げて施術に使用されたのと同じ種類のチークを手に取って見せる。「お会計お願いします」