文芸学科Department of Literary Arts

「日本?SF昔話」
齋藤悠星
岩手県出身 
池上冬樹ゼミ

<本文より抜粋>
昔、昔、まだ火星に人が住み始めたばかりの頃……マーズ・マザープロジェクトの一員として、おじいさんとおばあさんが月から火星に入植してきました。アメリカ西連邦が開拓した月の半分では既に人類は手狭になり、残り半分はまだ自由に姿を変えることが出来る月の原住民の居場所でした。おじいさんは、ドーム内で植物の研究をしていました。その一方で、おばあさんはスペースジャケットに身を包み、宇宙ゴミの清掃をしていました。今でこそ、解体ポッドによるステーション撤去が一般的ですが、当時使用不可能となったステーションは爆破処理するしかありませんでした。そのため、宇宙を漂う宇宙ゴミは人が直接掃除するしかありませんでした。三人一組になり、遠くの宇宙ゴミへジェットを用いて近づき、ゴミを投げるシューター。投げられたゴミを受け取り、付着したダークマター(現ニューラオンマター)を吸引して廃棄可能にしてから投げるクリーナー。最後に投げられたゴミをバキューバーに押し込むリカバー。おばあさんはその中でベテランのシューターでした。ある日のこと、おばあさんがいつものように宇宙ゴミまで旧型のジェットパックを使って移動すると、どんぶらこっこ、どんぶらこっこ、と火星付近に非常用脱出ポッドが流れていました。既に燃料は尽きたのか、火星に不時着するための軌道修正を行おうとしません。ただ、海に浮かぶ浮き輪のように流されていました。このままでは、どんぶらこっこ、どんぶらこっこと火星を通り過ぎてしまうことでしょう。これを見たおばあさんは、しばらく悩んだのちに脱出ポッドを回収しました。もしかしたら、中の人は既に死んでいるかもしれません。もし、運よく生きていても一人分の食い扶持が増えても大丈夫な保証はどこにもありません。おじいさんが帰ってくるたびに暗い表情をしているのを見てきたおばあさんは、火星の食料事情が良くないことを理解していました。それでも、見て見ぬふりをすることが出来なかったおばあさんは救命ポッドを回収し、火星へと帰還しました。救命ポッドを見た開拓団の人たちはおじいさんとおばあさんに中の人を託すことにしました。おじいさんとおばあさんがホームへと戻り、救命ポッドを開けると、中から一人の赤ん坊が出てきました。すやすやと寝息を立てていて、生きているそうです。