文芸学科Department of Literary Arts

隠された家
増子綾
石川忠司ゼミ

<本文より抜粋>
 弟の髪は、とてもからまりやすい。髪質のせいなのだけれど、一人で整えるのはまだちょっと難しくて、だから、それはいつも私の役目だった。スタンドつきの鏡の前で、ルイは自分の髪をいじっている。とかしたばかりなのに、早くもぐしゃぐしゃだ。「ルイ、あまり髪をいじらないで。またからまっちゃう」そっと、髪をいじる手にふれると、びっくりしたときの猫みたいに逃げられてしまった。すかさず謝って、鏡ごしにルイの顔をのぞき見たけれど、いつもどおりの無愛想な表情があるだけだった。ルイは、何を考えているんだろう。せっかくママがくれたこの時間をもっとうまく使えれば__もっと自然にスキンシップが取れて、もっとたくさんのおもしろい話ができたら__きっと、ルイだって笑ったり、好きなものの話をしたりしてくれるはずだ。「アニータ、ルイの手伝いは終わった? そろそろ自分のしたくもしないと、時間がなくなるわよ」ノックのあと、振り返ると少し扉を開けてママが顔をのぞかせていた。髪をきれいにアップスタイルにまとめあげているあたり、もうママの準備は万端なようだ。「まだだけど、すぐに」短くそう答えて、ルイのほうを向く。さっきぐしゃぐしゃになってしまったところにもういちどくしをとおして、最後に全体をとかして整えたら、肩を優しくたたいて終わりの合図をする。「じょうずね、アニータ。さ、ルイ、あとのしたくは自分でできるわよね。ママは下で待ってるわよ」短く返事をして、ママに続くようにルイの部屋を出る。私はすぐとなりの自分の部屋に、ママは宣言どおりに階下へと降りていった。踊り場の窓からさしこむ光が、少しだけ舞ったほこりを照らしていて、なんだかそこだけ自分の家じゃなくなったみたいだ。昔は舞っているものがなにかなんて知らなくて、よくあの光に飛び出していったな。もっとも、もうこの家にはあの光に夢見て飛び出す子は、一人もいなくなってしまったけれど。扉を背に見る自分の部屋は、正直同い年の女の子たちとくらべると、物が少なくて飾り気もないんじゃないかと思う。服もメイク道具も、あまり持っていない。この部屋の個性のなさは、そっくりそのまま私を表しているようだ。