そして、彼女はマタギになった…/卒業生 マタギ・小国町役場 蛯原紘子

インタビュー

芸工大には山形の地に深く根ざした学科がいくつかあります。歴史遺産学科もその一つ。今回は、熊本県から縁あって本学美術科日本画コースに入学し、更なるご縁でマタギの世界に興味を抱き、歴史遺産学科のクマ狩り見学に参加、ついにはマタギになった卒業生、蛯原紘子さんの「仕事」をご紹介すべく、小国町の山中へ向かいました。
取材:遠藤牧人(地域連携推進課)

動物好きが嵩じ絵画の世界へ
動物本来の姿を描きたい!

蛯原紘子さんは熊本県の出身です。育った家は市街地にありました。小さい頃から動物が好きで、高等学校は美術科で、よく動物の絵を描いていたそうです。絵画の道に進もうと決めた彼女は、東京で美大受験の準備を始めました。

そこで、現在につながる最初の出会いがありました。大学説明会で本学日本画コースの岡村桂三郎教授(当時)に感化され、2005年、彼女は芸工大に入学することになったのです。本人も無意識のうちに、マタギの世界への最初の扉が開かれました。

芸工大に入学した蛯原さんは、夢中で動物をスケッチしたそうです。しかし、それは長くは続きませんでした。
「山形とは言え、市街地の暮らしで動物の野生本来の姿をスケッチする機会はありません。動物園に通っていましたが、飼育され緊張感のない動物たちを見て、これは違う…と感じるようになりました。2年生のときでした。同時に、私は動物を観察する手段として絵を描くのが楽しいのであって、作品を作りたいわけではないことに気がつきました。」

マタギ文化を語るために蛯原さんが選んだ場所は、山中の能舞台。こういう場所だと話しやすいのだという

そんな蛯原さんを次に突き動かしたのは、歴史遺産学科で開講されている田口洋美教授の授業でした。教授はマタギ文化の専門家、こういう分野の授業が開講され、他学科にも開放されているのが、芸工大の特徴です。彼女は思い切って研究室を訪ねました。

田口研究室の扉を開くと
目指す世界がそこにあった

田口研究室の扉を開いた蛯原さん、夢中で自分の思いを2時間も語ったそうです。結果、教授からその後の道を開く一言が…。
「そんなに興味があるなら、歴史遺産学科の学生といっしょにクマ狩りに行くか?」
その時の喜びを、蛯原さんは「もう迷いはなかったですよね!」と振り返ります。

実際にクマ狩りを見学したのは、3年生の春でした。それから大学院を卒業するまでの5年間、彼女は小国町に通い詰めることになりました。
「マタギの山歩きは登山とはぜんぜん違います。『メタテ』という見晴らしのいい場所でクマを見つけるのですが、1キロも先の黒い点を見て、マタギは『いた!』と言います。でも、私には黒い点なんていっぱいあって、どれがクマなのかわかりません。歩き方も山の見方も、次元が違うと思いました。」

「メタテ」でクマを探すマタギ。山中の無数の黒点の中から瞬時にクマを見分けるのは、山に生きるプロの技

マタギの技と人柄に魅了された蛯原さんは、マタギの世界にどんどん足を踏み入れていきました。
「厳しい環境で命と向き合っているからか、西日本の市街地で暮らしていた私から見て、仲間意識がとても強いと感じています。信頼関係が半端でないです。それがとても心地よいです。」

ここで、ちょっと気になったことが…。日本画コースの学生だった蛯原さんは、卒業制作はどうしたのかと…。大学院に進むには、それなりの作品が必要だったのでは?マタギとの両立は難しかったのでは? 私の問いに、蛯原さんの答えはこうでした。
「私は、卒業制作を早めにきちんと終わらせ、その後は動物と人との関係を題材に進学のための論文を書きました。大変でしたが、結果、大学院の歴史文化専攻に進むことができました。」
これも芸工大だからできる進路変更だと言えるでしょう。

彼女の熱意と努力が
マタギの伝統を揺り動かした

2013年3月、蛯原さんは本学の大学院修士課程歴史文化専攻を修了し、小国町役場職員として働く傍ら、山と関わる生活に入ります。11月中旬から5月上旬まで、週末の都合がつく日に仲間とともに山に入るそうです。

仲間内の結束が強く、強い信頼関係で結ばれているマタギの世界は、誰もが入れるわけではなく、特に女性には伝統的な「女人禁制」の壁があります。それを乗り越えた彼女には、さぞ苦労があったのでは?
「簡単ではありませんでした。でも、私の場合、狩猟免許取得前にひたすら猟に同行した3年間があり、そこである程度の信頼関係と、女性がいてもクマが獲れるという実績を作ることができました。当時、先進的な考えの山親方が『これからの時代、マタギも変化していかなければ…』と私を迎え入れてくれました。この親方なくして今の私はありません。ただ、命がけのこの世界では体力的に男女平等は難しいと感じています。今はまだ吸収することが多いですが、将来的には体力に依存しない部分できちんと自分なりの役割を果たせるようになりたいです。」

雪深い谷川を遡っていくと、ごく細いつり橋が現れた。まるで自然の懐深く入っていくための関所のようだ
山に集まったマタギ仲間。命がけの仕事だけに、その仲間意識は非常に強い。蛯原さんもその一員となった

それはどんな役割なのでしょうか?
「山中でクマを見つける、場所の説明をする、といった技術はもちろんですが、その他対外的な部分で、マタギ自ら自分たちの世界を語るのは難しいのが現状です。しかし、そこには伝えるべき文化があります。山ノ神に対する敬意とそれを表す儀礼、命の扱い方…それらをしっかり伝承していく媒体に、私はなりたいです。」
そう、この取材もその一環なのです。

さて、マタギの置かれている現状は、どのようなのでしょうか。
「毛皮の需要がほとんどない今、マタギは生業としては成り立ちません。銃の所持や狩猟登録に毎年費用がかかります。実態が知られていない世界ですが、東京でトークイベントを開くと若い世代が参加してくれ、とても興味を持って小国で行うイベントにも来てくれます。現代のマタギは本業を別に持っていて、私は役場職員です。今は担当部署が違いますが、私が役場にいることで、マタギがおかれる状況を役場がより把握できるようになればと考えています。」

最後に、大学と後輩たちへのメッセージを…。
「歴史遺産学科のある芸工大の日本画コースに進んで本当に良かったです。大学でも地域でも、いい出会いがあって今の私があります。後輩たちには、アウトプットにばかり一生懸命になるのでなく、インプットを大切にしてほしいです。」

大学はスクランブル交差点、それを大学院まで進み7年間かけてじっくり渡りきった蛯原さんには、本当にいい出会いがあったのです。今は生業にならなくとも、蛯原さんの「仕事」は近い将来、きっと脚光を浴びることでしょう。

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東北芸術工科大学 広報担当
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