1578年創業の老舗である山形の呉服店、株式会社とみひろの養蚕部 兼 広報部に所属するグラフィックデザイン学科の卒業生・星美沙子(ほし・みさこ)さん。白鷹町十王の里山に建つ「とみひろ里山養蚕所」で、蚕の飼育を担当されています。またその魅力を伝えるべく、得意のイラストを生かして養蚕の広報活動にも尽力。そんな星さんにこのお仕事に対する思いをお聞きしました。
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受け継がれてきた技術と伝統を守り、つなぐ
――はじめに星さんのお仕事内容について教えてください
星:私は養蚕(ようさん)部という部署に所属していて、6月は春蚕(はるさん)、9月は晩秋蚕(ばんしゅうさん)を飼育するためそれぞれ1ヵ月間、弊社の染織工芸の職人と共に、毎日のようにこの白鷹町にある養蚕所に来てお蚕さんたちの面倒を見ています。
ここでは2万5千頭のお蚕さんを飼っているのですが、お蚕さんというのは桑の葉っぱしか食べない生き物なんですね。しかも食べ盛りの時期は1日に180~220キロもの桑の葉っぱを食べるので、敷地内の桑園で栽培している桑の枝をノコギリで切って15キロほどの束にし、担いで運んで食べさせるという作業を1日の中で何度も繰り返します。それから、お蚕さんの糞尿のことを蚕沙(さんしゃ)と呼ぶんですが、その蚕沙を掃除する除沙(じょさ)という作業なども定期的に入ってきたりと、仕事としては農業と飼育員の間といった感じですね。
――お蚕さんの飼育というのはどのようにして始まるのですか?
星:福島県に蚕種屋(たねや)さんと呼ばれるお蚕さんの卵を生産するところがありまして、その卵が山形の蔵王にある稚蚕(ちさん)農家さんに渡されて、そこで孵化後1週間くらい育てられたものをいただいています。産まれてすぐのお蚕さんというのはすごく飼育が難しいので、ほとんどの養蚕農家さんが稚蚕農家さんから受け取る形をとっています。今年は6月1日にここへ運んできました。
お蚕さんはものすごいスピードで大きくなる生き物で、卵から産まれた時は2ミリくらいしかなかった体長が、2週間ちょっとで8~8.5センチくらいまでに成長します。1ヵ月間で体長は30倍、体重は1万5千倍にもなるので、まるで人間がゴジラになるようなスケール感ですね(笑)。
またお蚕さんは成長段階を1齢、2齢と数えていくのですが、私たちは2齢の時に稚蚕農家さんからいただいてきて、そこから脱皮を繰り返すごとに3齢、4齢、5齢と成長を重ねていきます。やがて、桑の葉を食べるのをやめて糸を吐き始めるタイミングが訪れるので、それに合わせて繭を作るための部屋となる蔟(まぶし)という道具にお蚕さんを上げる上蔟(じょうぞく)の作業を行います。そうしてできた繭を収穫=収繭(しゅうけん)し、冷凍・乾燥作業を経て糸にしていきます。2万5千頭のお蚕さんを育てて50キロの繭が収穫できたら豊作と言われていて、これは生糸にして10キロ、反物にすると10反採れる計算になります。
――6・9月の養蚕の時期以外はどのようなお仕事を?
星:まず3月の雪解けを待って最初に行うのが、桑の剪定になります。芽を出しやすい形に切り揃えて、その後5月くらいからお蚕さんを迎える準備を始めるのですが、除草剤を使っていない分、桑の木の間の草がものすごく伸びるんですね。なのでその草を刈ったり、飼育室を全部消毒したり掃除したりしてきれいにします。そして6月頭から春蚕を飼育して、7月頭に出荷を終えたら、また8月までの間にバタバタと使った道具を掃除したり消毒したり、草刈りをしたりして晩秋蚕に備えます。大体11月くらいまでは養蚕所で作業する形になりますね。
冬が来るとここは雪に埋もれてしまうので、12月から3月頭までは完全に閉めて、その間は広報部としてSNSなどで発信するためのイラストを描いたりしています。去年は養蚕についての紙芝居を作って山形市の幼稚園に出向いたり、また弊社での着物イベントでお話をさせていただいたりしました。
――とみひろさんに入社されたのは、やはりこの養蚕事業があったからでしょうか?
星:そうですね。とみひろとの最初の出会いは大学3年生の時に受けたコミュニケーションデザインという演習だったんですけど、そこでとみひろの養蚕を盛り上げるため、お蚕さんをテーマにした作品をつくったことがきっかけでした。そこから就職についてもご縁をいただきまして。大学の頃はデザインの勉強だけでなく、サークルやチュートリアルで農作業をしたり、自然塾に入って地元の子どもたちと山の中で遊んだりする活動をしてきたので、そんなに自然と虫が好きならぴったりの仕事なんじゃないかということで。
在学中は、絵を描くこと・自然に関わること・子どもたちに関わることの3本を集中してやりたくていろいろな活動に参加してきたので、その全てを今の仕事に生かすことができて本当にうれしく思っています。この間も長井市の幼稚園の子どもたち約20名が見学に来てくれて、青空の下、手作りの紙芝居を見てもらいながら養蚕について紹介したところです。
芸工大ではそうした時の情報の伝え方や発信の仕方についても教わることができたと感じています。それまでは絵の具で絵を描いてもそこで終わってしまっていたんですが、グラフィックデザイン学科に入って、その描いた絵を例えば絵本として編集して人に見てもらえるようにするとか、データ化してポスターにするとか、何かしらの形にして外に出すことができると知って、驚きの連続でした。また、人前に立って話をするプレゼンテーション力といったものもかなり勉強させてもらったと感じています。
声を掛けてくれる、養蚕の先輩である地域の皆さんに支えられて
――これまでのお仕事の中で、特に印象に残っている出来事は?
星:入社してからいろいろなことがあって、雨の中ずっと桑を採り続けたこととか、失敗してお蚕さんをたくさん死なせてしまったこととか…。初めて作った繭は全然いいものにならなくて、製糸場に持って行った時も「こんな不良の繭を持ってきて…」と厳しい言葉をいただいたりしました。でも入社2年目の時、すごくいい繭になったんです。それが実際に製糸されて、製糸場の方に「とてもきれいな糸だと思う」と言われて渡された時はもう涙がブワーっと。このきれいなシルクは私たちが育てた10万頭のお蚕さんたちの命なんだって思ったらすごく感動してしまって。頑張ってきて良かったと思えた瞬間でした。
とみひろの繭だけを使って反物ができたのは今年が初めてなんです。去年の冬に製糸が完了して、丹後ちりめんの白生地になりました。
――とみひろさんが養蚕を始められたのが2016年からとのことですが、白鷹では50年ぶりの新規養蚕就農となったそうですね。この辺りというのはもともと養蚕が盛んな地域だったんでしょうか?
星:白鷹に限らず、置賜地方全体で養蚕をやっていたようです。ここの近くだと「蚕桑(こぐわ)」という名前の地区や小学校があったりしますね。それから白鷹は町中の至るところに桑の木があるんですけど、今年私たちの桑が霜でやられてしまって全然足りなくなった時、その桑の木をもらうことができたために助かったということがありました。また、私は今年で3年目になるんですが、年々養蚕所を見に来てくださる方が増えていて、近くの農家さんが友達を連れてきて、草刈りを手伝ってくださったりアドバイスしてくださったり、すごく支えていただいていると感じます。
やっぱり人との関わりは何より大事だなと思いますね。養蚕の技術というのは、インターネットで調べても全然いいものが出てこないんです。やっぱり、普段からいろいろ教えてくださる地域の農家の皆さんや養蚕農家さんの言葉が何より信じられるので、そういう方々との関わりを大切にしていきたいですね。
好きなことを信じ続けた先に見える未来
――何か今後に向けて思い描いていることはありますか?
星:今、国内の養蚕農家というのはどんどん減ってきていて、製糸場に持っていけるほど大きな農家さんは山形県内でも3軒しか残っていない状況です。勉強のため小学校で飼育しているといったケースはありますが、今日明日なくなってしまってもおかしくない職業と言えるところまできています。でもお蚕さんというのは本来、人の一番身近にいた生き物なんですよね。なのでその魅力を伝えていけるような存在になりたいと思っていて、これからはもっと学校や幼稚園などいろんなところで養蚕学習を行って、より多くの人に親しみを持ってもらえたらうれしいですね。とにかく自然や虫が好きでたまらないんです。私の祖父母が米沢に住んでいて、小さい頃からよく遊びに行っていたのでその経験が大きいのかもしれません。私の家は仙台の町なかにありましたから。なので芸工大に入った時も、「憧れの裏山がある学校だ!」って思ったら「自然が好きだー!!」って気持ちが爆発しちゃって(笑)。おかげで毎日とても楽しく過ごせました。
――それでは最後に、受験生や在学生に向けてメッセージをお願いします
星:本当はすごく好きなことがあってそれに熱中したいのに、それよりもまずは勉強しなきゃ、就活しなきゃみたいなことってたくさんあると思うんです。もちろんそう思うこともすごく大事ですが、私は好きなことをやり続けて良かったと心から思っています。周りからはいろんなことを言われるかもしれませんが、自分の好きなことを信じて突き詰めていけば見えてくるものがあるということを、皆さんにも伝えることができたらと。特に大学での4年間というのは自分の好きな作品がつくれたり自分の好きな場所に行けたりする貴重な時間ですから、ぜひ芸工大で好きなことに一生懸命突き進んでいってほしいですね。
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「私は大好きなお蚕さんという生き物に触れたくてこの仕事を選んだので、養蚕について多くの方に知っていただけることが純粋にうれしくて」と笑顔で語ってくださった星さん。デザインが持つ情報の伝達性、そして、自然や生き物が好きだという気持ちを4年間大切にし続けてきたからこそ出会えた職業と言えるのではないでしょうか。また、この日初めて耳にした専門用語も数多く、改めて日本で育まれてきた『養蚕』という文化の奥深さを知る貴重な機会となりました。
(撮影:三浦晴子 取材:渡辺志織、入試広報課・須貝、土屋)
東北芸術工科大学 広報担当
TEL:023-627-2246(内線 2246)
E-mail:public@aga.tuad.ac.jp
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