まわり道は悪いもんじゃない/コミュニティデザイン学科専任講師 矢部寛明

インタビュー 2020.05.21|

コミュニティデザイン学科4年の照井麻美(てるい・あさみ)です。今回は、私が所属する同学科の矢部寛明(やべ・ひろあき)先生をご紹介します。

芸工大の先生方はアートとデザインの業界で様々な顔を持っていて、矢部先生もそうした先生の一人です。ある時は芸工大の教員、ある時はNPOの理事長、そしてある時は楽しいパパです。さらに昨年まではある大学の大学院生でもありました。そんな矢部先生を、私たち学生は親しみを込めて「矢部さん」と呼んでいます。

矢部さんのTwitterの紹介文には、「回り道は世間ではよしとされないことがある」、「回り道は人生を豊かに、幸せにするために大切なもの」と綴られています。どれか一つではなく全部を選ぶとんでもない行動力に学生たちは魅力を感じています。矢部さんのこれまでの人生や活動を伺いながら、その原動力となる思いを学生目線でインタビューしたいと思います! 

――芸工大の教員になってからのこの2年間はどのようなものでしたか? 

矢部:付いて行くのに必死(笑)。分からないことも多くて探り探りだった。特に1年目は「山形花笠まつり」※にも出られなかったし、やりたかったことが山ほどできなかったな。でもコミュニティデザイン学生たちは本当にいい子たちばっかりだし、学科以外で関わった学生たちも廊下ですれ違うと必ず挨拶してくれるし、2年目の自分にとってとても嬉しかった。

※ 華やかに彩られた山車を先頭に、艶やかな衣装と紅花をあしらった笠を手にした踊り手が、 山形市のメインストリートを舞台に群舞を繰り広げる、東北四大まつりの一つ。

矢部寛明-01

――3年目の目標はありますか? 

矢部:今までの経験から、コミュニティデザイン学科の学生たちにさらに貢献したいと思ってる。でも僕から「動け動け!」って急かすんじゃなくて、「本当にそれでいいのかしら?」と、学生たちが自分の考えや感覚を内省できる機会をたくさん作りたい。

――私たちとは、1年生のスタートアップ合宿から考えると知り合って4年目ですね! 

矢部:そう4年目!思い入れがある学年!

――私たちが1年生の時に合宿でお世話になった、矢部さんが理事長をされている「NPO法人底上げ」(以降、底上げ)※は、現在どんな活動をしていますか? 

矢部:幾つかプロジェクトを動かしていて、高校生の地元での活動サポートや、「マイプロジェクト」※のようなことを仲間の団体と一緒にやってる。大学生たちには5泊6日の「SOKOAGE CAMP」で、気仙沼に来てもらって、対話をしながら自問自答して内省するプログラムを実施してる。 

※NPO法人底上げ:震災後に気仙沼で立ち上げた高校生や大学生たちの地元での活動やキャリア支援を行う。
※マイプロジェクト:実践型探究学習を行った高校生たちが、地域や学校などの枠を超えて一堂に会し活動を発表する。

矢部寛明
底上げスタッフと気仙沼の港の前にて。高校生たちがポジティブな気持ちで気仙沼で活動できるように「これまでになかった面白いことをしよう」という思いを表現した写真の1枚。
矢部寛明
対話型プログラム「SOKOAGE CAMP」の実施風景

矢部:でも今はコロナ禍でできなくなっちゃったから、スタッフとオンラインで話をしながら、「人間成長と繋がりの新しい価値観」を定義づけしたり、話を聞いてみたいゲストを呼んでダイレクトに対話したり、今はインプットをしながらこれまでやってきたことを見つめ直す時間にしてる。あとは、来年で東日本大震災から10年目なので、その企画の打ち合わせをいろいろと。

――芸工大の教員になることを決めたきっかけはどのようなものだったのですか? 

矢部:気仙沼と東京の活動で行ったり来たりしてた頃、ちゃんと東北で活動したいなと思って3年前に仙台に引っ越したんだけど、引っ越したことをFacebookに投稿した数日後に、エミさん(コミュニティデザイン学科長)から会えないかって連絡が来た!(笑) 

――えぇ!?そんなことがあったんですか!

矢部:始めは授業の1コマという話だったんだけど、1週間後くらいにエミさんと醍醐さん(元コミュニティデザイン学科専任教員)が一緒に仙台に来て、ホテルのラウンジに連れていかれてなんか様子がおかしいぞってなって、それで学科専任教員になった(笑)。でも僕は「東北を面白くするような子たちを増やしたい」っていう思いが根っこにあるから、方法が違えど目的は一緒だなぁと。それで「僕でよければ」という話になり、教員になることにしました。  

――その行動力はどこからくるのですか? 

矢部:やっぱり東日本大震災の時に味わった思いからかな。直後に現地入りして、隣の人すら笑顔にできない自分の未熟さや小ささを体験して、「全然ダメだ俺」みたいに思ったことが原点なんだと思う。それを少しでも打破するために今も自分のエンジンが動いてる感じがする。 

矢部寛明
東日本大震災直後の沿岸部の風景(2011年)

――「隣の人すら笑顔にできない」って言葉が心に染みます。

矢部:あっさー(インタビュアーのあだ名)の地元の丸森(宮城県丸森町)も、昨年台風の被害にあったじゃない。そんな時に、自分に何かできないのかって考えたりしたでしょう?

――しました!しましたねえ。

矢部:それと同じように、3.11の後に自分に何かできないかと思って気仙沼に入ったけど、結局、目の前で大変な思いをしてる人を助けたいなんて「おこがましくて」言えなくて、ただただ気仙沼に存在するくらいのことしかできないと思った時、少しでも自分ができることをやらなきゃ、やりたい!って思った。昨年大学院に行ったのも、底上げの活動も続けてしているのも、そういう思いがあるからだと思う。

――いろいろなことを同時に取り組んでいるからこその感覚はありますか?

矢部:僕が比較的自由に動いている他の活動のことで大学に泥を塗ってしまうんじゃないかとか。大学という大きい組織の教員という責任を感じて、背筋がピンとするような感覚。

――責任が重くなって潰れそうとか(笑)

矢部:あるある。朝に大学に向かってる車の中で、なんで俺教員やってんだろうって思う(笑)。でも「頼まれごとは、試されごと」だから試されてる以上は、学科や大学のためにできること考えて、自分をそのステージまで高めていきたいと思ってる。

――矢部さんの「学科のために」という思いは、具体的にはどんなことを実現するイメージですか?

矢部:学科がさらに良くなれば大学が良くなって、大学が良くなれば東北が良くなるっていう「先」を見てるのかも。だからコミュニティデザイン学科から面白いやつがどんどん出てきたら当然、「芸工大って面白い」ってなるし、そしたら東北に行ってみようっていう人が現れるかもしれない。楽しく仲間と一緒に仕事しながら生きて、東北が面白いなあって思われたらそれだけで最高。ハッピー。 

矢部寛明 気仙沼の高校生たちと底上げスタッフ。

――「学科のため」のことが、「東北を面白くするような子たちを増やしたい」ことに見事につながってますね!

矢部:気仙沼に入った時、高校生たちはみんな何かを諦めていて、「田舎だからできないっす」とか「しょうがないっす」って言葉をたくさん使ってた。だから「しょうがない」って言葉を減らしたら、気仙沼って面白くなるんじゃないかなって思う。

矢部寛明
高校生たちに(暑苦しく?)語りかける矢部先生。

――枠にとらわれない仕事をしている矢部さんにとっての仕事ってなんですか?

矢部:いや~分かんねえな~仕事ってなんだろうな~(笑)。例えば息子と遊んでる時も最高にハッピーなんだけど、僕は空気を吸ったり飯を食うような感覚で仕事してるから、とりあえず動いてなきゃ死んじゃう。イノベーションを興したり、クリエイティブに考える時間がないと僕はだめなんだと思う。

――矢部さんの頭がクリエイティブ思考なんですね。

矢部:僕はこの状況でもどう楽しむか、どう豊かに生きるかを考えてるから、友人たちとよくコロナ禍が終息した後の話をするんだけど、後を考えるってことは、「今は楽しんでないの?犠牲にしてるの?」って思っちゃう。制約条件がある中でも楽しいことを生み出していきたいんだと思う。

矢部寛明
矢部先生の研究室の壁。学生が決めたゼミのルールが貼られている。

学生たちをさりげなく励ます言葉も。

――コロナウイルスが蔓延している中ですが、矢部さんはどのような生活を送っていますか?

矢部:今は芸工大の研究室と家との往復で全然人と会えてないけど、オンライン授業のことや学科運営のことで今の状況をどうクリエイティブにできるかを考えてるところです。この状況をマイナスに捉える人もたくさんいるけど、それでも自分はここで生きて、生活に喜びを感じることを大事にしたいので。

矢部:若いうちは敏感だから、僕ら大人が感じている以上に学生たちはストレスを感じていると思うけど、今は非常事態だから不安に思うのは当たり前。だから、空気吸って飯食って生きてたらそれでいいって思う。

――いわゆる「王道テンプレート」ではない人生を歩んでいる矢部さんに、ある意味自然災害的とも言えるこの状況をも楽しむ視点を教えてほしいです。

矢部:海外の組織に5年間所属してたことがあって世界中に仲間がいるんだけど、日本人は特にストレートな人生を進みたがるのよね。それほんと不思議。ストレートに人生いってどうすんの?って思う。世間一般ではその方が幸せだって思うかもしれないけど、寄り道しながらでも、自分は何に幸せを感じて、何に涙して感動するのかをちゃんと理解することこそ、人生を豊かにするために必要なものだと思う。

矢部:だから今のこの状況も、仲間と一緒にいられた時間が貴重だったなって捉え直す機会になったら悪いもんじゃないし、物事は多面的だから、こういう状況を自分がどう理由付けして目の前の事象に向き合っていくかを考えるいい機会だと思う。

矢部寛明

――矢部さんが東日本大震災直後の気仙沼での光景や経験と、今が重なる部分はありますか?

矢部:あるある。あの時の気仙沼の地獄絵のような風景の中で、空気を吸うだけで精一杯だったネガティブな経験と、目の前で起こったことをポジティブに考えようとする部分が重なる。人はネガティブ要素ばかりでは生きていけないから、どういうふうにポジティブに変換したり小さい光(気づき)を見つけて大きくするかを考えることは、このコロナ禍でも変わらないと思った。

矢部:今日インタビューされることを頭に入れながら朝のランニングをしていて、そうした気づきが最近あったかなあって考えてたんだけど、一つあった!最近、畑を始めたこと!

――矢部さんのTwitter投稿で、よく見てます(笑)

矢部:まだまだ畑と呼べない状況だけど野菜がすごく美味しいんだよ。愛情込めて育ててるから栄養たっぷりで。ちょっと分析すると、それって野菜を育てるには土壌がすごく大切で、土が豊かなほど野菜も美味しくなる。だから土が貧しいとそれ以上の野菜が作れない。それが、「人間も同じ」だと思った。

矢部:今は内面を耕して栄養を与える時期で、本を読んだり、いろんな人と対話したり内省して内面を鍛える。そして内面が良い栄養で溢れたら、たぶん出てくるアウトプットも良くなるんだと思う。アウトプットだけを意識しがちだけど、今はそれの元となる「内面の土壌を整える」時期なんだって思いながら、畑が広がる道を走ってた。

矢部寛明

――自分の内面を豊かにすることが、これからの日々を自分らしく生きる視点なんですね。

矢部:そう。自分の内側からくる声を大切にした方がいいと思う。たとえば、アイドルが好きだったら、なんで自分はアイドルが好きなんだろうって探求する。探求することで自分が見えてくると思う。社会的に評価されないことでも続けていくことが、自分らしく生きることに繋がると思う。

矢部:僕が大学に入ったのが23歳で、周りの人たちからは「何考えてんの!」とか言われたけど、学びたいタイミングで学んでいいよなって思ったし。震災の時も気仙沼にあの状況で入るのは危ないって言われて、確かに危なかったのかもしれないけど、もし僕がそこで周りに流されてたらそれはそれで後悔してたと思う。だから、自分らしく生きるためにいろんな視点で脳内会議する「矢部会議」っていうのをずっとやってきたかな。

矢部寛明

――矢部会議!(笑)世間からすれば回り道だけど、それに流されず、自分で自分の気持ちを知るための会議ですね! 

矢部:そう。常に自分らしくありたいって思うから。だから妻と結婚する時も、「突拍子もないことするけど大丈夫?」、「僕は自分の気持ちに嘘つけないので大丈夫ですか?」ってよく聞いた(笑)

――それが矢部さんらしさかなって思います!

矢部:矢部らしいって言われるのっていいことだよなあ(笑)

――最後に。このコロナ禍が終息したら芸工大でどんなことしたいですか?

矢部:やっぱ学生たちとたくさん馬鹿笑いしたい!

 

矢部さんに出会っていなかったら。芸工大の学生ではなかったら。私は自分にとって豊かな生き方とは何かを考えることすらしなかったと思います。矢部さんは私たち学生にとって、自分がやりたいと思っていることを実現しているカッコいい大人の一人です。迷っている時には相談に乗り背中を押してくれる。不安がある時には勇気をくれる。そんな矢部さんとまたこの芸工大で馬鹿笑いできる日が早く訪れてほしいです。

照井麻美(てるい・あさみ)/コミュニティデザイン学科4年
1998年生まれ。宮城県丸森町出身。高校生の時にガウディ建築と出会いデザインの面白さに気付く。また当時から工芸品にも興味があり、地域とデザインを学べる芸工大のコミュニティデザイン学科へ進学。現在、様々な地域性をリアルに体感しながら学んでいる。2019年の台風19号で地元が被災。自分にできることで地元の復興に携わりたいと思い、ボランティアセンターのロゴや、チラシなどの制作を行った。

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東北芸術工科大学 広報担当
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