北野博司 #04 上信電鉄上信線下仁田駅(群馬県甘楽郡下仁田町)

盛夏を普通電車で行く|駆けずり回る大学教員の旅日記 #04/北野博司

コラム

ここのところ出張ではよく在来線の普通電車を使うようになった。

6月の津山城跡は岡山から津山まで津山線で16駅、89分。7月の篠山城跡は尼崎から篠山口まで福知山線(区間快速)で17駅、75分。先日行った肥前名護屋城跡と唐津城跡は福岡空港から唐津まで地下鉄空港線・筑肥線で31駅、73分。みな程よい時間である。出張では高速バスやレンタカーも使うが、乗降客の方言を聞き、車窓の風景をのんびり眺める在来線の旅が好きである。歴史を感じさせる駅名や名所案内、土地独特の景観をウォッチするのが最近の楽しみになっている。

梅雨が明けた8月初旬、高崎から吾妻線(群馬県渋川駅から嬬恋村の大前駅)の普通電車に乗った。
目指すは天下の名湯草津温泉と言いたいところだが、長野原草津までは行かず、途中の中之条で降りる。12駅、64分。そこには私が「真夏のオアシス」と呼んでいる夏にこそ行きたい遺跡がある。

北野博司 #04 群馬県地図 Map

その名は東谷風穴(あずまや・ふうけつ)。アクセスが悪いせいで来る人はほとんどいない。
風穴とは自然の岩塊の隙間から年間を通して冷風が吹き出す場所で、先人たちはそこに石積みをして上屋をかけて天然の冷蔵庫として利用した。風穴自体は全国にあるが、これを養蚕の「種紙」貯蔵所として盛んに利用したのは長野県、山梨県、岐阜県、群馬県など、いわゆる海なし県である。山形県内陸部もこれに加えてよい。いずれも山がちな地形で養蚕が盛んだった地域である。

北野博司 #04 東谷1号風穴
東谷1号風穴。大きさは南北約11m・東西約8m。内部は地上1階、地下2階。写真奥にシラカンバの林が見える。

これらのうち保存状態が良好で歴史的価値が高いとして、平成22年2月22日に群馬県の「荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡」が国の史跡に指定された。

ネギの産地で有名な下仁田町の荒船風穴(あらふね・ふうけつ)は、当時日本一の貯蔵規模を誇り、全国の養蚕事業者と取引をしていた。荒船は世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産になっており、富岡と併せて訪れる人も多い。高崎から上信電鉄に乗って終点下仁田まで20駅、63分。そこから観光タクシーで約30分。車なら直接、風穴駐車場まで行って徒歩800m

冷風は夏場でも2~3℃とひんやりしており、長時間はじっとしていられない。湿度が高い時には急激に冷やされた外気が霧状となり、時には幻想的な姿を見せる。夏場なのに雨の日に体を濡らし、寒くて凍えたこともある。自然は正直で、東谷風穴の周りにはシラカンバ(白樺)の木が生え、斜面には冷涼を好むクリンソウやヤマオダマキが花を咲かせる。

北野博司 #04 荒船風穴
3基の石室が連なる荒船風穴。谷奥の1号風穴が明治38年に作られ、その後程なくして手前に2基が増築された。1号風穴の冷気が最も冷たい。運がいいと霧に包まれた幻想的な風景に出会える。

風穴は夏秋蚕の種紙を冷温貯蔵し、発生時期を遅らせることで年に複数回の蚕育を行えるようになり、繭の生産増大を可能とした。日本の近代化に貢献した養蚕・製糸業の陰の功労者でもある。大正末~昭和初期にはアンモニアの気化熱を利用した冷蔵庫が登場し、天然の風穴は衰退していった。

しかし、東谷風穴は戦後、荒廃した国土の復興を目指す日本の造林事業の施設として再利用されることになる。貯蔵施設を買い取った営林署が建屋と石垣を修繕し、薪炭林の伐採ではげ山同然となった山林にヒノキやスギ苗を受けるための種子を保存したのである。電気が引けない山中でも先人から受け継いだ地域の遺産を活用したアイデアに拍手を送りたい。

風穴は現役を退いてからもう60~70年がたつ。木造の覆い屋は朽ち果て、石垣は崩れたりはらんだりしている。風穴の石垣は斜面から出る冷風を室内に取り込み、一方で外へ逃がさないように工夫している。当時の石積み職人の技術を継承しながら修理し、史跡として安全に見学してもらうにはどのような整備がよいのか。関係者らとともに調査し、議論するのが私の仕事だ。

遠い過去に起こった山体崩壊と岩屑なだれ。そんな偶然の自然の営みの上に人々の暮らしはあった。冷気に包まれる風穴遺跡は大地の不思議と悠久の時間、非日常の空気を味わえる数少ない史跡である。

北野博司 #04 東谷風穴上部の崖錐(がいすい)地形
東谷風穴上部の崖錐(がいすい)地形。崖錐とは、崖や急斜面から崩落した岩屑(がんせつ)がその斜面の下部に堆積した地形をいい、冷風はこうした堆積物の隙間の空気が地下で冷やされ、気温差や気圧差で外にでてくる。
北野博司 #04 東谷2号風穴の熱画像写真
熱画像写真。手前は小型の東谷2号風穴。用途は不明ながら今も冷気が出ている。人との温度差に注目。

私が石垣の調査でいつも持ち歩いているグッズの一つに「赤外線熱画像カメラ」がある。
これは空港等で体温の高い人を感知する最近おなじみの装置である。石垣は背面の地盤に多量の雨や地下水が流れ込むと排水機能が低下する。そうなると不安定化し、崩壊を引き起こす素因となる。背面の水は石垣表面の温度差としてあらわれるので、これを熱画像カメラで撮影して健康状態を把握するというわけだ。風穴でも冷温の吹き出し口を特定したり、風穴内と周辺の温度分布を計測するのに役立っている。

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梅雨明け後、連日真夏日が続いている。夏の季節感を表すのはセミの鳴き声である。

石川県で生まれ育った私の記憶では、夏休みとともにニイニイゼミがチィーと頼りなく鳴きはじめ、やがて暑苦しいアブラゼミがジイジイ唸り、終盤には夏休みの終わりを惜しむかのようにツクツクボウシが、ジィー、ツクツクボーシィ…ツクツクウィーヨッ…と鳴くというのが定番だった。

日暮れにカナカナ鳴くヒグラシも暑い夏の一シーンを思い起こさせてくれる。山形に来たての頃、ミーンミンミンとなくミンミンゼミの声が珍しかった。
昨年、浜松城跡では頭上の木々でシャーっとなくセミの大合唱にびっくりした(浜松駅前のムクドリの大群にも)。午前中だけ鳴いて午後はぴたりと止んだ。同行のネイティブに聞いたら昔はアブラゼミがほとんどだったのにいつからかクマゼミが優勢になったという。先日行った博多や唐津ではシャーシャー鳴くクマゼミばかり。地元の人にはワシワシと聞こえるらしい。

北野博司 #04 JR筑肥線の車窓から、唐津湾を望む
JR筑肥線の車窓から、唐津湾を望む。

近年、全国的にアブラゼミが減り、西日本ではクマゼミが増えている。そういえば、日本のスズメはここ20年で6割減ったそうだ。タイではいまも電線にスズメが鈴なりになってチュンチュンうるさい。日本も昔はそうだったなあと懐かしむと同時に、ゆるやかに(急激に?)進行する自然の変化になんとなく心がザワザワするのである。

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大学は前期の授業がすべてパソコンを使ってリモート方式となった。講義はZoomによるライブ、演習はYouTubeによるVOD配信を活用した。
前半は機器の操作に慣れるのやら、学生の反応を探りながらで準備と応答に四苦八苦していたが、後半は学習支援システムも含め使える機能が増えていった。おかげで、先日唐津で行った石垣修理技能者への取材では対面人数を限定し、各地の研究者にZoom中継で参加してもらうことができた。リモート授業を余儀なくされた副産物であるが、これからも技能者らの講義研修など、多方面に活用できそうだ。

5月25日の緊急事態宣言解除後、全国の自治体の会議はしばらく様子見だったが、6月末からぼちぼち再開しだした。ここまで対面会議が半分、書面会議やリモート会議が半分といったところだ。

進行を任された場合、言いたいことがある委員は手を挙げる前に目や素振りで合図がある。対面では発言や議論の流れを読みやすい。一方のリモートでは、アイコンタクトが取りにくいので間合いが難しく、議論が途切れたり、行ったり来たりする。会議では参加者が会場固有の空気を共有しながら、思考し、アイデアが生まれ、派生していく。まだリモートの仮想空間に慣れていないせいか、議論の流れに乗り遅れてしまうことがある。対面型は人が集うことで発しあう様々なエネルギーが脳を活性化させてくれるのかもしれない。

北野博司 #04 中之条から高崎に向かう特急草津の車窓から、吾妻川を見る
中之条から高崎へ。帰りは特急草津を利用。JR吾妻線は利根川支流の吾妻川に沿って走る。

7月後半から再び感染者が急増し、第二波の到来と世間が騒がしくなってきた。
社会は「経済を回す」ことと「移動の自粛」を同時に求めてくる。このアンビバレンス(両価性)は史跡整備事業を進める自治体や私自身のなかにもジレンマを生む。人は判断や行動が難しくなると不安がつのり、思考停止に陥りやすい。極論、自己正当化にはしり、自粛警察のごとく社会のためと他者を攻撃するものまで現れる。

感染症予防は人並みに毎朝の検温と行く先々でのこまめな手洗い・除菌、携帯電話の接触確認アプリで当面の対策をとっている。人と会うときの距離や電車内の手すり、エレベーターのボタンなど、日常的に接触には気を付けるようになった。

北野博司 #04 コロナ騒ぎ以降のバックパックの中身
出張は3泊までならだいたいバックパック一つで出かける。荷物をできるだけ小さくするのは歩くときのためである。家族から「家出カバン」と揶揄されるこのバッグには、平時から洗面セット等の旅行小物、マスク、常備薬が入っており、コロナ騒ぎになってからアルコール除菌タオルが増えた。

私たちは昔から自然災害はもとより戦争や交通事故、犯罪、火災、感染症などさまざまな人的災害のリスクを抱えながら生きてきた。災害の少ない社会、減災を目指すのはいいが、その一方で平和ボケ、安全ボケした人を量産するようでは社会そのものが脆弱化してしまう。

災害はなくならない。自然知や災害知に学び、危機に対応できる身体感覚もさび付かないようにしておこう。予期せぬことが起こり、先が見通せない世の中ではあるが、決して悲観的ならず、情報感度高く、粘り強く、しなやかに生きていきたいものである。(続く)

(文・写真:北野博司)

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北野博司(きたの・ひろし)
北野博司(きたの・ひろし)

富山大学人文学部卒業。文学士。
歴史遺産学科教授。
 
専門は日本考古学と文化財マネジメント。実験考古学や民族考古学という手法を用いて窯業史や食文化史の研究をしている。
城郭史では遺跡、文献史料、民俗技術を駆使して石垣の構築技術の研究を行っている。文化財マネジメントは地域の文化遺産等の調査研究、保存・活用のための計画策定、その実践である。高畠町では高畠石の文化、米沢市では上杉家家臣団墓所、上山市では宿場町や城下町の調査をそれぞれ、地元自治体や住民らと共に実施してきた。
自然と人間との良好な関係とは、という問題に関心を寄せる。