歴史遺産学科Department of Historic Heritage

西ノ前型土偶の脚部底面の窪みの機能と用途
伊藤悠人
山形県出身
青野友哉ゼミ

目 次 研究の目的/分析/考察 

縄文時代中期前葉から中期中葉である大木7a~8b式期に該当する山形県内陸部や宮城県南部を中心とした地域では、西ノ前型土偶と言われる土偶形態が分布していた。国宝「縄文の女神」(図1)を基準とした形態であり、瓶栓形の頭部、「W」字形の乳房表現、臀部が張り出す「出尻形」、有脚立像である事が特徴として挙げられる。また、「縄文の女神」を含む一部の西ノ前型土偶の脚部底面には窪みが見られ、この窪みは焼きムラ防止の工夫であったとされているが、窪みの深さが数mm程度の例もあることから、全ての窪みが一様に焼きムラ防止の工夫であったとは考えにくい。

本研究では、西ノ前型土偶が出土した遺跡を対象とし、各遺跡の分布状況や土偶出土状況、窪みを有する土偶について整理を行い、この窪みの機能や用途について検討する。

山形県内の10遺跡(図2)、宮城県内の4遺跡、計14遺跡について整理を行い、窪みを有する土偶は8点確認できた。8点の土偶については、図3にて示しており、①~④が西ノ前遺跡、⑤が腹の内A遺跡、⑥が落合遺跡、⑦が山居遺跡、⑧が上野遺跡で出土した土偶である。

分析をした結果、想定される規格は、①・⑤が大型、②・③・④・⑦が中型、⑧が小型であり、窪みの深さ・幅は、必ずしも土偶の規格に比例するものではなかった。該当時期は、脚部の特徴から、③・④・⑥が大木7b式期、①・②・⑤・⑧が大木8a式期、⑦が大木8b式期以降の土偶と判断した。

窪みを有する西ノ前型土偶は、西ノ前遺跡やその周辺の遺跡、現在の村山地方に位置する遺跡で出土している傾向にあった。また、 時期が最も古い土偶は西ノ前遺跡出土の③・④、落合遺跡出土の⑥であり、2遺跡のいずれかで初めて製作され、他の遺跡へと伝播した可能性が想定される。

窪みの機能・用途については、土偶を安定して立たせるための工夫である可能性も考えられる。しかし、②の土偶は窪みが土偶の規格に対して小さすぎる点、接地面が広がるた め安定して自立できる点から、どちらとも考えにくい。このことから、②の窪みは先に製作された窪みを有する土偶を模して作られたものであった可能性が想定でき、機能性を持たない窪みを有する土偶も存在していた。

図1 国宝「縄文の女神」

図2 山形県内の西ノ前型土偶出土遺跡

図3 窪みを有する西ノ前型土偶