水戸城下町の土地利用変遷と影響-絵図の各年代比較調査から-
木村颯斗
茨城県出身
北野博司ゼミ
本研究では、複数の『水戸城下町絵図』及び近世地図・現代地図資料の総合的な比較・検討から水戸城下町の土地利用変遷を追認し、近代以降の市街地形成に藩政期の拠点施設等が与えた役割とその影響を明らかにすることために、水戸の城下を描いた現存する絵図資料(図1)および同地区の現在に至るまでの現存している近世地図・現代地図資料を対象として収集を行った後、収集資料を景観年代順に整理し水戸城下図一覧(図2)の作成を行った。
弘道館とその周辺における絵図・地図資料の比較検討(図3)では、明治期における廃藩置県の影響を受け、三の丸地点を中心とした県庁をはじめとする裁判所や警察署、各種官公庁等の施設、二の丸・本丸地点を中心とした學校等の施設の急増が確認できることからも、弘道館周辺が政治・文化・教育の中心地となる程めまぐるしい発展を遂げていることが明瞭であり、ここに明治期以降における水戸城下町の急激な都市化変遷を見出すことができる。
一方で現代に至るまでの弘道館は、建設された天保~現在にかけて全ての絵図・地図資料同地点に弘道館が確認でき、天保期から弘道館は変わることなく残存しており、都市形成において『弘道館』が歴史・観光資源としてのシンボル的存在となっていると考えられる。藩校としての役割を失った弘道館だが、現代も教育施設の中心として残存しており、当時の藩校の中で育まれた学びに対する精神・思想は失われていないことが推察できる。
また千波湖とその周辺における絵図・地図資料の比較検討では、大正期に実施された千波湖の埋め立てによる面積減少が周囲の農業地帯に影響を及ぼすとともに、区画整備による埋め立て地の市街地化が顕著に見られたことから、現代の水戸の都市形成と千波湖が密接的関係にあり市街地の発展に伴い千波湖の変遷も見出すことができる。
今後の変遷分析において絵図資料の活用は、視覚的にビジュアルな情報として比較検討が可能であり、さらには複数資料との照合分析として活用することでこれまで不明瞭であった資料の明瞭化などといった歴史的資料の価値向上にも貢献でき、文献資料との総合的な比較分析によってより鮮明な変遷の追認が期待できると考える。