歴史遺産学科Department of Historic Heritage

伝承と史実から見る狼―可畏(かしこ)きカミと人―
小林奈生
福島県出身 
田口洋美ゼミ

本研究では、日本の人々がこれまでどのようにニホンオオカミと交渉し、どのように狼を位置づけてきたのかを文献とフィールド調査を行い、生態と伝承・狼狩の史実から考察した。東北地方から九州まで各地に分布していたニホンオオカミは、1905(明治38)年1月、奈良県鷲家口で捕獲された若いオスを最後に現在まで確実な生息情報がなく、絶滅したと考えられている。この二ホンオオカミは、畑を荒らす鹿や猪を食べていたことで人間にとって農作物を守ってくれる益獣という一面が強かったが、東北の馬産が盛んな地域からすれば、馬を食らう害獣として狼を排除してきた歴史がある。この狼を排除する動きは、西洋の牧畜が主要産業であった地域と類似しており、そこでも狼を神聖なものとする信仰が浸透していたが、排除とともに信仰も消滅している。しかし、東北地方の民俗文化の中には、ニホンオオカミをカミ的存在として祀る面と、野生動物として対応する面が両方表れていた(図1)。

事例として、岩手県大槌町や秋田県北仙などで行われてきた「オイノ祭り」が挙げられる。人間や家畜を襲う脅威である狼を祀り、地域から追い出すことを目的とした「鎮送型」や「祈願型」の儀礼によって、東北の人々は狼との距離を保ってきた。この「狼を祀る」という狼信仰は、埼玉県秩父市の三峯山に鎮座する「三峯神社」や東京都青梅市の「武蔵御嶽神社」が昔から拠点であった。関東地方で盛んだった狼信仰は、江戸時代から火災避けや厄除け・盗賊除けのご利益とともに、全国各地に広がっていった。これは、狼の霊を札に宿し派遣するという形が狼信仰を広めた要因と考える。東北における狼信仰の拠点は福島県相馬郡飯舘村の「山津見神社」(図2)であり、東北から北海道まで77の分社が確認されている。しかし、狼害が多数あった地域では、三峯神社から勧請した神社が多くみられることから、狼自体のご利益を受けることができる信仰と、山の神の「御使い」である狼を信仰することとの認識の違いが見える。

また、人とオオカミの関係を後世に伝える民間伝承には、狼報恩話や鍛冶屋の婆等があり、狼信仰の有無によるパターンに分かれて各地に伝わっていることがわかった。今後は東北地方に絞った事例から、考察を深めていきたい。

図1 宮城県伊具郡丸森町 木造の「狼像」

図2 山津見神社 狼の天井絵