歴史遺産学科Department of Historic Heritage

神道・仏教から見る修験道の在り方―羽黒町手向地域を事例に
大川恭平
山形県出身
田口洋美ゼミ

目次 研究目的/研究方法/星野文紘さんのお話/島津慈道さんのお話/共通点/まとめ/引用文献・資考資料

 地元である羽黒町手向地域は出羽三山の一つである羽黒山の麓にあり「山岳信仰の地」として有名である。古来より手向地域は羽黒山の門前町(図1)として栄え、現在も宿坊が数多く建ち並ぶ町である。観光地やパワースポットとしても有名なようで休日にも多くの観光客が来ている。羽黒山をあらわす言葉の一つに修験道というものがある。長年の生活の中で「修験道」というものに対し言葉としては知っていても実際には理解していないことに気づいた。
 本研究では史料や聞き書きによって調査することを中心に、現在の手向地域での神道と仏教の関わり方、修験道を修めている正善院の住職である島津慈道さん、宿坊大聖坊の主人で羽黒山伏である星野文紘さんに話をお聞きし、修験道に対する考え方などの比較、地域における修験道との関わり方を知ることを目的としている。
 星野さんの考える修験道とは「頭で理解するのではなく、感じたことを考える学問」とのことである。修験道は「道(どう)」である。「道」というものは「みち」であり先があり、終わりの存在しないものである為、「これ」という明確な答えはないのであると言われた。星野さんの考えは聞き書きと星野さん自身の著書2作(図2)の内容が混在したものであるが、「自分の修験道に対する考え方は口伝である為、話した内容を書き留めたものであるためこの本自体が自分の感じた思いであり、考え方であり生き様である」との言葉をいただいたためである。
 島津さんの考える修験道とは仏教における密教の「具体的な人間の生きざまをあらわすこと」が島津さんの考えている修験道であるという。それは仏教における曼荼羅(マンダラ)ともいえるという。(図3) 島津さん曰く、子供の「なんで、どうして」という疑問を持つことがすべての勉強の始まりであり、自分にとっての「生き様」のきっかけになるという。それが島津さんの考える『修験道の極意』であるそうだ。
 修験道を修めた方々の聞き書きから手向地域における修験道と、それらに向き合うこととはなにかを研究によって探ってきた。羽黒山の歴史からみる明治以降の神仏分離による思考の変遷を神道・仏教それぞれの立場から地元の人間という視点でまとめることで明らかにすることができたと考える。
 今回の研究が人々の「修験道」について知るきっかけとなり、それと同時に羽黒山手向の地域理解の一助になればと自分は考える。

図1 手向宿坊図

図2 星野さん著書2作

図3 曼荼羅(マンダラ)図