観光資源としてのアイヌ民族―白老地区を中心とした絵葉書から―
野寄夏穂
大阪府出身
田口洋美 ゼミ
アイヌ文化は北海道観光のメインスポットとして脚光を浴びてきた。しかし、そのなかで和人国家によって差別問題や同化政策など窮地の立場へ負わせた受難な歴史が存在する。
本研究では絵葉書を資料として主に扱い、絵葉書が他者へどのような影響を与えたのか、アイヌと観光の関わりについて考察をする。
19世紀末から20世紀初頭に絵画やイラスト・風景・写真を印刷した絵葉書が世界中で流行した。今回、扱う資料は「アイヌ風俗」というタイトルの7枚入りの絵葉書である(図1・2)。撮影は木下清蔵、監修は河野廣道、解説は更科源蔵である。
アイヌが観光と関わりをもったきっかけは1881年明治天皇が来道したのをはじめである。のちに民衆へと情報が広がった。支笏湖・洞爺湖の国立公園の指定や交通機関の発達などから観光客が増加。そして昭和後半では北海道ブームが巻き起こった。観光には宮本イカシマトクや熊坂シタッピレなど様々な人が関わった。そしてアイヌ個人で営んでいたものが次第にアイヌ文化の「継承」「啓蒙」という目的を固め1984年にアイヌ民族博物館へと公共施設として転換していく。
この絵葉書は北海道白老へ訪れた者へ記念品または土産物として来訪者の手に渡った者だと考えられる。また、解説者である更科源蔵は現在のアイヌは同化政策によって生活様式が変化しているなど当時の現状を述べている(図3)。そのことから、これは外部からきた者のために記念品または土産品として製作された絵葉書だと考えられる。そして絵葉書に写っているアイヌは「真景」ではない操作された「演出」であるということがわかった。このような絵葉書は白老地区だけではなく、旭川や二風谷、さまざまな地域の絵葉書が見つかった。これらは観光資源としての需要があったと考察することができる。また、アイヌと観光の関わりは旅行者への認知のルートであり、啓蒙・継承の活動のためアイヌと観光の関わりは欠かせないひとつの役割だと考える。
これはアイヌの人権問題とは限らず、日本には様々な方言や慣習、文化をもつ人々がいる。私たちはお互いの個性を理解し、認め合うことがこれからの世代の中で重要となるのではないだろうか。