DEPARTMENT OF FINE ARTS | SCULPTURE|彫刻コース

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彫刻コース

「対談 in 居酒屋『大山』」 奥村拓郎(4年)×信時茂 講師

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いろんな素材の中から木彫に行き着いた理由はなんだったのですか?
奥村
楽しいっていうのが一番のところ。2年生の素材体験で木彫が一番合うかなって。この先、木彫をやっていくかもわからないけれど。
信時
素材にはこだわってないと思うんですよ。最初は木彫らしいものをやろうとしていたけど、これをずっとやりなさいって俺らは言わないじゃない。これやりたいなら、やってごらんなさいっていうのが彫刻コースだから。
俺も塑造やり始めたとき、塑造にこだわっていたけれども、発表を重ねると別のものを触りたくなるんだよね。チャンスさえあれば常にやろうって思っているし、自分で枠は作らないようにしてる。
奥村
僕も木にこだわっている部分もあるけれど、幅狭くいかないで幅広く。鉄も使ったし。
信時
体は一つしかないから、負け惜しみなのかもしれないけれど、今はこれで答えを出すしかない。みんなそうだと思うよ。今やりたいって気持ちは、ずっと残ると思うよ。違う大学だけど俺が学生の時、選んだ素材は、3年4年、絶対やりなさいっていうのが暗黙の了解だった。ここは違うじゃん。あれこれやっていいのが現状だし。俺は迷いに迷って塑造をやって。でも選んだからにはやろうって思ってやった。
――
悩む時期は誰にでもあるものなのですか?
信時
悩むんじゃない?飯も食えないくらい何していいかわからなくなる奴もいれば、こうなったからこれでやろうって適当に迷う奴もいるし、迷い方がわからないってやつもいるし。俺はどうしたら悩むのか分からないタイプだから、塑造を選ぶ時、これか?って始めた。
奥村
俺は今も悩んでいるし。作る形が、例えば粘土だといいのか、石で彫った方がいいんじゃないとか。ただ、3年間も木でやってきたし、やりたい感じに一番近付けられるのが、僕の技量で木なのかと思う。
形を作りやすいのもあるし、木も好きだから。ノミ跡の肌とか、好きだからやっている。悩んだら作品に残ると思うし。迷わずやりたい形にたどりつくのはすごいと思う。俺、絶対できないから。
信時
迷おうとも迷わずとも、答えを出すのが卒制なんだよね。大学のカリキュラムの中では、締切はあってもないようなものだった。卒制の場合は、この日が締め切りですっていったら、それ以後手をつけられないから、それが答え。未完成だろうと、4年間のすべての答えを出しきりましたっていうのが卒制なの。
俺が学生の時、卒制の締め切り前後は狂ってるやつたくさんいたよ。実際俺もその辺の記憶は定かじゃないし。でも、作品は残っちゃってる。それが卒制のスタイル、在り方なのかもしれない。今回提出作品は2点だよね。俺は、等身大2体だった。1点はその前に何とか出来上がったけど、もう1点はラスト1週間で心棒組み立てて、粘土作って、石膏取りしてポリ取りして、提出。等身作っちゃったの。でも、答え出し切ったと思うし。今見ればすっごい未熟なところもたくさんある作品だけど、絶対好きな作品だったりする。
そういう異常な精神状態になるのが、卒制。自分の作品が半分以上できているのに、なぜか作品を突然切り出して走り出しちゃった人もいるし。そのくらい悩む時間でも、ある。それを見てると、まだみんなのんびりしているなって、当人たちはすごく悩んでいるとは思うけれど。でも、まだキレてねぇなコイツらって思うときもある。
奥村
まだやれるなっていう・・・。
信時
まだやれる。
――
卒制で、4年生にかかるプレッシャーとは?
奥村
僕自身もそうだけど、プレッシャーに負けてる感じが。卒制だからいいの作らなくちゃいけないっていうのが絶対あるわけじゃん。けど、学部の生活では最後だけど、一生の中ではたぶん最後じゃないわけじゃん。プレッシャーを受けても今の俺のできることをやろうっていう。気持ちを抑えてるわけじゃなくて、プレッシャーに負けたくない。俺は俺で作っていたいっていう、ね。
信時
それは世代の差がある。俺らは、ある意味ストイックになるのが美学だ!って言うのがあった。
奥村
それは僕にもありますよ。今日も木彫室でストイックっという言葉を連呼してしまい、隣でやっているシンちゃんに多大なる迷惑をかけた(笑)まだ荒彫りも始めてない木を見て4、5時間くらい、何していいかさっぱりわからなくて、ずーっと迷ってたし。優柔不断な性格もあるけれど、「この点を切ろうと思ってるんだけど、シンちゃんどうですか?」って、聞いてしまったし(笑)
全員
(笑)
奥村
自信がないのもあるし、勇気がないっていうのが一番あるかもしんない・・・。結局切ったんだけど。
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実際に制作している大学内のアトリエで展示することについてはどう思いますか?
奥村
いいと思う。美術館に展示するのは、確かにいいとは思うけど、去年初めてアトリエ内で展示(※卒展は一昨年まで美術館で催されていた)して、俺はすごいよかったと思って。なんか綺麗じゃないけどいい。俺は好きでした。大学内でやるの。
信時
俺は親に対して見せる部分ってあると思うの。第三者に見せる卒展や、自分で働きながら学費出してるやつもいるけれど、育ててくれた親に対して、一応ここまでやりましたっていう部分もあるから。ここで作ったって、学内に飾るのもいいのかもしれない。
それと、4年生が暮らしてきた大学であるし。彫刻は、山あり谷あり、4年間一緒に作ってきた仲間がいるから、美術館でやるよりいいのかもね。いろんな見方あるのよ。そりゃ実際ホワイトキューブ(※展示場)で自分の作品それぞれ見せたいって、欲を言えばあるのよ!
奥村
それぞれのベストで見せたいと思うし。
――
作品を作るときの意図と、見る人が感じていることのギャップはあると思いますか?
奥村
もちろんあるでしょ。とくに抽象の作品は。題名見る人、形だけ見る人、いろんな人がいると思うから。俺は一回「器」っていう題名で、器の形じゃないのを作ったけど、コメントカードに、器の形じゃねぇだろって書かれたことがある(笑)気にしてないもん。ギャップとか。
信時
自分の手から離れているときに、第三者がどう見ようとそれは自由。聞かれたら、これこれって言うときはあるけれど。
奥村
だから説明するのが、すごくいやだ。
信時
俺は大学院のレビュー(院生が自分の作品について教授、生徒に語るイベント)で、みんなしゃべれねぇな、「クスっ」て笑うけど、それもアリだと思うし。
奥村
むしろ俺、説明はしなくていいと思う。聞かれたらするけど、自分からは絶対しゃべりたくない。
信時
人に対してじゃなくて、自分が作りたいから作るってのが第一にあるし。それはいけないって誰か云うかもしれないけれど。でも、みんな絶対そう。自分が描きたい、作りたい、デザインしたいからこそ、大学にいるし。それがたまたまデザインの世界だと、人に受け入れられてなんぼの世界で、工芸だって、用の美だとか、大前提にあると思うの。その中だと、外に向けられているけど、ファインアートっていうのは自己満足があっていいのかも。それでたまたま、人が認めてくれて、買ってくれたら、ヤッター!!
奥村
やったー!!!!
信時
自己満足があって、人にこういうふうに見せたいからこういう表現をするのはあるじゃない。伝えたいためのものと、自己満足の折り合いというか・・・。作っていると、当然よく見せたいっていうのは絶対、ある。売れる、売れない抜きでも、これがステキに見えるようにって意識する。だけどいつの間にか自己満になってるのもあるし・・・。
――
4年生の将来の姿って見えますか?
信時
見えない。でも生きている限り、見ざるをえない。拓郎が、あとから来たら蹴落とさなきゃいけないもん。今は学生だから蹴落とせないけど、ちょっとアレ!ってなったらフンって!やっていかなきゃ、こっちの身が持たなくなる。続けている限り見るし、やめたと思ってたやつも続けてたっていうのもあるからわからない。だから面白いって言っちゃぁ面白い。モノを作るという同じ目標だから、何をやっていくかを見るのは、興味津々っていうか。今のうちに足出して、転ばしとかないと。構えてないと。シビアな部分もあるよ。そんなに蹴飛ばしたりしないけど。若いうちはヨシヨシって、頭をなでなでしてあげるけど、そのうち背中を押してもらわないと。っていうのがある。
奥村
将来何を作っているかは、わからない。彫刻を続けていきたいから、作家になりたいとかは後付けで、全然意識はしない、作家になろうとか、固まった考えはない。他の素材をやりたいとか考えてるし。今は卒制をやってるけど、違う素材もやりたいし。僕はまだ大学で彫刻に上がって4年だから木に決めるのは早いと思うし、いろんなものを触らないとわからない。もしかしたら木が一番合っていないかもしれないし。やってみないと分かんない。最低5年は続けるとわかるって、そういうことありますよね。
信時
俺は卒業してから10年やれって言われた。10年やっちゃうと、引っ込みがつかなくなる(笑)だまされたって思ったり、やってて良かったっていうのもあるしね。大学はやってもいいっていう環境がある。そこからが出ると、明日はどうしよう、家賃どうしようって、違う問題も抱えるようになる。そういう状態で社会で10年続けちゃうと、どうにも引っ込みがつかなくなる。まぁ、面白かったから今、こんなところにいるわけだし。
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