高校の先生から勧められる形で芸工大へ進学した春原直人(すのはら・なおと)さん。美術科日本画コース、そして大学院で絵を学び、現在は山形にあるアトリエ「STUDIO CORE’LA(スタジオコアラ)」を仲間と共に運営しながら、アーティストとして活躍されています。その注目度は高く、ザ・リッツ・カールトン日光のスイートルームに作品が展示されたり、また最近では有名アウトドアブランドとのコラボレーションが話題に。その一方で、海外留学に向け準備を進めているという春原さんに、近況や学生時代の学びについてお話を伺いました。
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山形と長野の違いが気付かせてくれたこと
――はじめに現在の活動について教えていただけますか?
春原:この「STUDIO CORE’LA」は、大学を卒業した後も山形に残っていて、仕事しつつも制作はしたいというモチベーションある後輩や同期を誘って使っているアトリエになります。計4人で共有していて、僕以外の3人は普段仕事をしながら、そして僕はここで四六時中、絵を描いているという感じですね。
ちょうど大学院を卒業する頃にコロナ禍が始まって、みんなが一番警戒して外出できないような時期に作家活動をスタートさせたんですけど、本当は卒業したら海外に留学しようと思っていたんです。なので2020年はその準備の年にしようとアーティスト・イン・レジデンスのこととかいろいろリサーチして、このアトリエもその準備のために借りた場所だったんですね。制作は続けていたかったですし、大きい場所を借りてみんなでワイワイやったら面白いかもって思ったので。なのにいつの間にか3年くらい経ってしまって…。でもコロナも落ち着いてきたので、もうそろそろ行けるかなと思っているところです。できればスイスかノルウェーあたりに留学してみたいですね。
――アーティストとしてやっていこうと思ったのはいつ頃からですか?
春原:大学1年生の頃から何となくは思っていて、すでに美大に入るという選択をした時点で片足を突っ込んでいる感じはあったんですけど、学年が上がるにつれてその感じがどんどん増していったかなと。
高校2年までは硬式テニス部で結構頑張ってたんですよ。でも、ひょんなことから美術室に行く機会があって、その時に先生に目を付けられて「美大に行く気はないのか?」って。それで東京の予備校へ行っているうちに、いつの間にか美大への進学を決めていました。勉強はできませんでしたけど(笑)、美術の先生には毎回褒められてましたね。当時は描くことが好きというより、得意なことがそれくらいしかなかったという感じで、やっぱり褒めてもらえたのが大きかった気がします。
――春原さんはよく山をモチーフに絵を描いていらっしゃいますが、そのきっかけは?
春原:2年生の後期くらいに、みんなが山形について制作する「それぞれの山形」という課題が日本画コースであったんですけど、山形で2年間暮らしてみて一番違和感があったのが山の低さだったんですね。僕が高校まで住んでいた長野県東御市は谷底に町があるようなところで、そもそも傾斜が違うというか。あと長野の山ってギザギザしてるんですけど、山形の山は日本昔ばなしに出てきそうな山って感じがして、そこが一番気になったんですよね。あと東御はいつも晴れていて、冬はすごく乾燥するけど雪は降らないって感じの場所なのに対して、山形は湿度が高くじめっとしていて、曇りの日も多いみたいな(笑)。その曇りと丸い山っていうのが、僕が思う山形らしさで。言ったら長野も山だし、山形にも山があるから「山描いてるんでしょ?」って思われがちなんですけど、実は、自分が今まで見ていたようで見ていなかった存在がなくなった時の違和感みたいなものをテーマにしようと思って描いていました。
その課題をきっかけに山を描くことを掘っていったんですけど、そこからわりと想像で蔵王のお釜とかを描いていたら、やっぱり限界が来てしまって。そんな時、日本画の先生に「山を描いているんだったら、一度山に行った方がいいんじゃないか?」って言われて、それで実際に蔵王のお釜に行ってみたんです。前にも何回か行ったことはあったんですが、お釜の色とか周りの岩の質感とかちゃんと見るぞ!って思って見た蔵王は、想像の5倍くらい大きくて。いかに自分が狭いスケールで描いていたかがそこで初めて分かりました。自分の中で勝手に「こういう感じだろう」とか「こう見えているはずだ」っていう偏見みたいなものが作られてしまっていて、それをわりとそのままにしてしまっているというか。でもいざ筆が動かなくなって、自分が思っていたものを疑い始めた時に、じゃあ実際のものを見てみようって思って見た時の「全然違う」っていう。それも違和感ですよね。山に対する違和感というよりは、自分自身に対しての違和感。そんなふうに人それぞれが持っている「こういう感じ」によって見え方が変わるのが面白いな、と思ってそのテーマを結構掘っていました。
――今はどんな作品が多いですか?
春原:最近はモノクロの作品が多いですね。山って毎日見てるといろんな色があって、青い日もあれば黒っぽい日もあるし、茶色っぽい日もある。だから緑色じゃないなって思ったんです。じゃあ何色?って思うけどそこであんまり右往左往したくないし、鑑賞者の人にも多分そこを見てほしいわけじゃないよなって。ただ霧がかった山がすごく好きで、その表現に一番適しているのは墨だと思いました。僕は青っぽい墨を使っているんですけど、青く見える日もあれば、墨で描いていない部分が黄色っぽく見える日もあったりして、その色の幅が僕が見ていた山の色の感じと近いものがあったんですね。それでモノクロにしていたんですけど、今は逆にこの山の色合いみたいなものを見逃さずにちゃんと出していきたいと思うようになっていて、わりと色を使っちゃってます。結構好き勝手やってますね(笑)。
――そうやって春原さんの中に生まれた違和感を常に大切にしているからこそ、絵のスタイルも変わっていくのかもしれませんね
春原:そうですね。そこが多分、一番のモチベーションかなと思います。ある種の探究心というか、例えば色を変えたらどういうふうに見えるんだろう?とか、モノクロじゃない表現にしたらまた見え方が変わってくるのかな?とか。でもそういう違和感って日常生活では当たり前として通り過ぎてしまっているものだったりするので、その当たり前なことを掘れているのは僕が絵を描いているからなのかなって。違和感を「次はこうしてみよう」って表現できるものがあるから、続けられているのかもしれません。
作品がグッズになることで得た、身軽さ
――これまでのお仕事の中で、特に印象に残っているものは?
春原:直近だとTHE NORTH FACEとのコラボ ですね。大学4年の頃から山登りをしているんですけど、以前、後輩と山登りした時「THE NORTH FACEの服とか作ってみたいよね」って話をしていたら、その数ヶ月後に本当に連絡が来て。僕は寝ている時以外、ずっと音楽を聴いているんですね。制作している間もずっと。動画もそうですけど、そういうサブスクとかで流行っているメディアって、いろんなところで見たり聴いたりできるじゃないですか。フェスに行っても音楽があるし、レストランに行っても音楽があるし。それがすごく身軽だなと思っていて。でも絵画ってフットワークが軽くないので、そういう身軽なものに憧れがあったんですね。だから自分の作品が服になるって、すごくフットワークが軽いことをちゃんとできたって感覚になれてすごく良い仕事でした。反響はまだ怖くて聞けてないですけど(笑)、第2弾もあるらしいです。
――芸工大で学んで良かったなと思うことはありますか?
春原:いつも学内に教授がいるっていうのは結構、狂気の沙汰だなって(笑)。現役のアーティストである先生方が揃っているというその体制が本当にありがたかったですし、普通に廊下を歩いていてもいるっていうその当たり前じゃない贅沢な環境が一番良かったですね。当時は、番場三雄(ばんば・みつお)先生とか三瀬夏之介(みせ・なつのすけ)先生の研究室に毎日のように行っていました。「来すぎ」って言われるくらい(笑)。
あと1年生の最初の頃に畑で紅花を育てる授業があって、それが6年いた中で一番ってくらい印象に残っています。その授業には建築・環境デザイン学科とかプロダクトデザイン学科といったデザイン工学部の学生がたくさんいて、もちろんテキスタイルコースの学生もいて、そこで一気に友達ができたんですよ。だから紅花の花にはそういう良いイメージがあって。みんなで畑仕事をして収穫した紅花で紅餅を作って、っていうこんな変わったことを自由にできる学校は他にはないと思いましたし、その感じが僕は好きでしたね。
――それでは、芸工大を目指す受験生へメッセージをお願いします
春原:僕は高校の時から、とにかく時間があれば絵を描くようにしていました。朝は早めに学校に行って1時間やるっていうのを徹底して、放課後も16時から21時までずっとやっていて。あと休みで学校が使えない日も、美術の先生の旦那さんが日本画家をされている方だったので、作業場の横でずっと描かせてもらったりしていました。でもそうやってずっと描いていても、「あ、ちょっとうまくなってきたかも」って思えるのって半年くらい経ってからなんですよね。だからもし「なかなかうまくならない」って思っている人がいたら、とりあえず半年頑張ってみると何かが変わってくるんじゃないかなと思います。
それから東京の予備校にはぜひ行ってほしいですね。夏休みの1週間コースとか。あの空気感は絶対に味わった方がいいと思います。どういう化け物がいるかが分かる、すごく刺激的な場所なので。
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山形に来て学んだことで意識した地元・長野との違い。そしてそこから目を向けるようになった、日常の中の違和感。そのきっかけを与えてくれたのは山ですが、「自分が抱いていた違和感を山と限定せず、違うフックで展開していきたい」と春原さん。コロナ禍で先送りになっていた海外への留学が実現できれば、山形と長野の時のように、日本と海外の間にある新たなギャップに出会うことができるはず。それは春原さんの作品の幅を広げる上で絶好の機会となるでしょう。
(撮影:根岸功、取材:渡辺志織、入試広報課・土屋) 美術科・日本画コースの詳細へ東北芸術工科大学 広報担当
TEL:023-627-2246(内線 2246)
E-mail:public@aga.tuad.ac.jp
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