実践型防災教育を通して、社会全体で地域の未来へつないでいく/コミュニティデザイナー・卒業生 手嶋穂

インタビュー

コミュニティデザイン学科を卒業後、岐阜県飛騨市でさまざまな教育支援・事業に取り組む株式会社Edoへ入社した手嶋穂(てじま・みのり)さん。現在は飛騨市全体を一つの学園と捉える「飛騨市学園構想」のもと、手嶋さん自らも中学校の教壇に立つなどしながら日々、防災教育プロジェクトに取り組んでいます。そこで、大学時代の学びが今どのように活かされているのかお聞きしました。

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より多くの選択肢を子どもたちへ

――手嶋さんの現在のお仕事内容について教えてください

手嶋:岐阜県飛騨市に拠点を置く株式会社Edoで、主に教育支援や教育事業の仕事を行っています。今は防災教育が私の仕事の柱の一つになっていて、中学校の総合の時間に行う防災授業として、防災と自分の好きなことを掛け合わせて地域貢献する「防災マイプロ」というものに取り組んだりしています。例えば防災とデザインとか、防災とスポーツとか、防災とボードゲームとか。そういう授業を先生たちと伴走しながら進めたり、また違う中学校では防災と掛け合わせた保健体育の授業や、防災と掛け合わせた公民の授業のように、防災を通した教科横断というものをやっていて、私も自ら教壇に立って主導で授業を進めさせてもらったりしています。

株式会社Edo 手嶋穂(てじま・みのり)さん
お話をお聞きした手嶋穂さん。

――飛騨市というのは、もともと防災教育に対する意識が高い地域なんでしょうか?

手嶋:防災授業自体はもともとあったんですが、これまでは総合の授業などに穴があいてしまった時、そこを埋めるような形で行われていたんですね。でも防災ってすごく大事なことなのにそれじゃもったいないよね、という話になり、もし中学校でちゃんと学ぶことができたら地域に目を向けられるようになるし、他の教科とも横断できるし、その後のキャリアともつながってくるし―。そういったところから、現在は学校さんからいただく「こういう防災教育がしたいんだけど…」という相談に対し、1メンバーとしてカリキュラムを開発したりその一部を実施させてもらっています。

株式会社Edo 手嶋穂(てじま・みのり)さん
飛騨市内の中学校で防災授業を行う手嶋さん。
株式会社Edo 手嶋穂(てじま・みのり)さん
飛騨市教育委員会と共に手嶋さんが手がけた、防災について学んだ小中学生や高校生が、実際に町中へ出向き、防災を肌で体験するという取り組み「防災タウンウォッチング」は、「第3回防災活動大賞」(清流の国ぎふ防災・減災センター主催)で大賞を受賞した。

――どんな時にこの仕事のやりがいを感じますか?

手嶋:大学では地方創生について学んでいたので、特に教育畑で育ったわけではないんですけど、もともと中高生と関わる時間というのがすごく好きだったんです。それで私の思いとして、「生徒たちに1個でも選択肢を増やしてあげられたら」っていうのがあって。中学生とかであればまだ知らないことがたくさんあるのは当然で、多分私みたいな金髪の移住者が教室の前に立つだけでもみんなの選択肢が1個増えると思うんですよ(笑)。

そうやって中高生と関わりながら、いろんな事例とか私が今楽しんでいることとか、あとスキルとか思考方法みたいな勉強的なところをしっかり伝えていけると、何かを決める時のみんなの選択肢が広がっていくんじゃないかなと。そして、そうやって選択肢が増えていく姿を見られることに喜びを感じています。

株式会社Edo 手嶋穂(てじま・みのり)さん

――ちなみに手嶋さんご自身は中高生の頃、選択肢を常に多く持てているタイプでしたか?

手嶋:いや、むしろ高校までは静岡の富士市にずっとこもっていて、別に旅行をする家族でもなかったし、あまり広い世界を知らなかったんですけど、進学のために山形に出てきたらいろんな人がいたんですよね。実は美術はどちらかというと苦手な方で、高3の時に一番仲が良かった友達にも「手嶋が芸大に行くの!?」と驚かれるくらい、アートやデザインは私にとって未知の領域でした。でも芸工大に入ったことで、これまで自分が足を踏み入れたことのない雰囲気とか空気感に触れて、そこで一気に世界が広がりました。

――逆に、仕事で大変さや難しさを感じるのはどんな時ですか?

手嶋:Edoは2019年に創業した新しい会社で、私は代表・副代表に続く社員一号として2021年に入社しました。新卒でありながらすぐに現場を持たせてもらう、という状況で仕事が始まっていったので、実際に動きながらやり方を模索していかなければならないところが大変でした。まさに最初の頃は、職人さんみたいに代表たちの背中を見て学ぶ、という感じでしたね。次の年には中途採用で社員が1名増えて、今はコアメンバー4人でやっているんですが、3年目になってちょっとフェーズが変わってきたなと感じています。

株式会社Edo 手嶋穂(てじま・みのり)さん
手嶋さんが勤務するEdoオフィス内の様子。明るく開放感のある空間で、中高生向けのスクールなども行われている。

自分に任せられるものの規模が大きくなってきたというか、先日も生涯学習プロジェクトの一環として行われた700人規模のイベントの統括を任されて、何ならもっと先まで求められてる感じがあって、もちろん大変ではあるものの、3年目でそれだけ大きいプロジェクトの全体を見ることになったり、授業の開発とかカリキュラムの作成を担当できるというのはありがたいです。それこそEdoには学校だけじゃなく社会側と関われる事業もとても多く、その真ん中に2023年に本開校した中高生向け探究スクール「Edo New School」というものがあります。民間の小さい会社でも、そうやって地域全体を見つつ教育に携わっていけるというのはすごく魅力的なことだと思っています。

株式会社Edo 手嶋穂(てじま・みのり)さん
「Edo New School」…地域の課題や資源を題材に、中高生たちが自分たちのやりたい活動を地域の中で行っていく探究型スクール。その地域で活躍する社会人がメンターとなって学生に伴走したり、AIによる効果検証を取り入れたりしながら学びが進められている。

リアルな学びの空間で得られたもの

――芸工大でコミュニティデザインを学ぼうと思ったきっかけは?

手嶋:私は富士市立高校の総合探究科出身で、当時、地域に出て行ってシャッター街が抱える課題にどうアプローチするかを自分たちなりに考える、という授業にすごく楽しさを感じていました。それで、「これをそのままやりたい!」と思って担任の先生に進路を相談する中で、「コミュニティデザインが良いんじゃないか」ということになり。最初は建築の道に進むことも頭にあったんですけど、私が興味あるのは箱物以上にその“使い方”なんだというところに気付いたのと、あと芸工大のコミュニティデザイン学科の先生が私の高校に出張授業で来てくださったことも進学のきっかけになりました。

株式会社Edo 手嶋穂(てじま・みのり)さん

――芸工大に入ってみて、地域をフィールドにした学びの機会は多かったですか?

手嶋:すごく多かったです。今でもよく立ち返るのは、やっぱり山形県戸沢村で行った防災×コミュニティデザインの卒業研究ですね。戸沢村は1ヶ月のうちに2回大きい水害を受けるという過去を持っていたこともあって、研究のフィールドにしました。ちょうどコロナ禍だったので顔も分からないまま区長さんと電話でやりとりするようなところからスタートして、でもコロナが緩和されて地域に行けるようになると、お家でお昼ご飯を食べさせてもらうような機会も増え、家主さんが飼っていた猫さんと仲良くなるくらい何度も通わせてもらいました(笑)。毎日必死でしたけど、すごく楽しかったです。

その時に研究していたのは、防災訓練を地域の人たち自らつくることができる「防災訓練カスタマイズ」というツールだったんですけど、課題を設定して、検証して分析して、つくったものを実際に使ってもらって、ちょっと違うってなったらまたつくり直して…というところに1年半かけて没頭できたのは今でもとても大事な経験になっています。

株式会社Edo 手嶋穂(てじま・みのり)さん
取材当日は、後輩であるコミュニティデザイン学科の2年生に向け、デザイン思考に関するレクチャーも行っていただいた。

――そういった山形でのフィールドワークが、今の飛騨でのお仕事に直結していると感じることはありますか?

手嶋:飛騨も小さいところなんですけど、あんまりギャップなく、スッと入れているということはそういうことなんだと思います。コミュニティデザイン学科にいた時から地域の中に入っていろんな世代の人と関わる経験を数多くしてきたので、関わり方がすでにインストールされているんじゃないかな、と。またスキル云々の前に、地域に入る際はまず何よりも挨拶が大切だということを最初に学科で教えてもらえたことも大きかったです。

――今後、挑戦してみたいことなどあれば教えてください

手嶋:贅沢なことに、選択肢がありすぎて迷子なんですよね(笑)。ただ、高校生の時から何か一本、自分で事業を立ち上げたり、ゼロから何かやってみたいというのはずっとあります。今は自分の中の「やりたい」が広がりすぎて、一度振り出しに戻った感じではあるんですけど。

でも最終的には静岡に戻りたいと思っています。高校生の時に授業で行ってこの道に進むきっかけになったあの商店街とか、自分の地元である富士市の千鳥町という小さな地区のために何かできないかな、と。せっかくコミュニティデザインをやっているのにまだ地元に還元できていないというモヤモヤがあって、他の地域がどんどん良くなっていくのを見ているとなおさら。なので“地元に対して”というところは選択肢の中でも割合は大きいと思います。

――それでは最後に受験生へメッセージをお願いします

手嶋:芸工大に入ってすごく育ったものの一つに“感性”があると思っていて、もともと私は美術館に入っても5分で観終わっちゃうタイプだったんですけど、今は「感性痩せてきたな」って思うと一人で美術館に行くくらい、アートに触れたりデザインを観たりするのが自分の中ですごく大切なことになっています。好きなことを徹底して探してみる時間をつくるというか、そこに一度向き合ってみるっていうのはすごく大事なことだと思いますし、それがそのまま仕事にならなくても、どこかしらで必ずつながってくるというのを社会人になってより強く感じているところです。

株式会社Edo 手嶋穂(てじま・みのり)さん

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芸工大にいた当時は東日本大震災の話を聞く機会も多く、気仙沼などにも実際に足を運んだという手嶋さん。「私の出身地・静岡も、南海トラフの影響で“明日地震が来てもおかしくない”と言われています。だからこそ今のうちにちゃんと向き合えたら、と思ったことが防災に関わるスタートであり、その大きな理由になっています」と話してくれました。その思いを胸に、今日も地域の子どもたちと共に楽しく学び、高め合う手嶋さんが一体どんな未来を切り開いていくのか、想像しただけでとてもワクワクします。

(撮影:布施果歩、取材:渡辺志織、入試課・須貝)

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東北芸術工科大学 広報担当
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