第3回 夏の色を終わらせに|本棚からひとつまみ/玉井建也

コラム

 夏休み中の大学教員は暇なんでしょ。とよく言われるのだが、夏休み中に自分の研究をしないといつやるんですか。夏にいたるまでの日々は学生たちの講評書きで過ぎていくんですよ。あとやがてやってくる後期の授業準備も緩やかに進めないといけないわけです。などと言い返したいのをこらえて、にこやかに「大相撲も7月は名古屋で行われますからね」とテキトウに答えている。ちなみに今場所(9月場所)は琴ノ若を応援しているが、どうだろうか。

 学生の皆さんは集中講義を受講していない限り、8月上旬から9月末までが夏期休暇期間のはずなので、夏は自分自身の時間を生きていると思う。長編小説を書いていたり、短編を複数書いてみたり、イラストやゲーム、マンガなど多様な表現方法を模索しているかもしれない。しかし、何かに没頭し続けているとそこから日常生活に戻ってくるのが億劫になってしまう。私も今年の春休みに論文を書いていたら、4月からの講義が始まった際、急に発声をしようとすると大いに困った記憶がある。声を出していない期間が長いのと脳で考えていた文章が口語向けではないので、齟齬が発生してしまうのだろう。

 9月末に後期授業がスタートし大学生活が再開した際、うまく乗り切れないまま過ごすと、だんだんと授業に出席しなくなり、課題を提出せず年度末の成績が悲惨なことになってしまう。なんとかしないといけない。誰かに言われる前に何とかしよう。その一歩を踏み出すにはどうしたらいいのだろうか。

玉井建也 #03 中田永一『私は存在が空気』 書影
中田永一『私は存在が空気』(祥伝社、2015年、文庫版は2018年)

 こう書いていくと教室内の関係性とかくだらないよね、という平々凡々な結論に行きつきそうだが、そうではない。もしくは自分をいじめたやつらへの仕返しをして、スカッとしようぜ、というわけでもない。物語の最後で教室に戻っていく主人公を見ると、関係性は無数にあり、人間の立ち位置は多様なものだと自覚させられる。

玉井建也 #03 畑野智美『海の見える街』 書影
畑野智美『海の見える街』(講談社文庫、2015年)

 自らの境遇を変えるには、思い切って踏み込む必要があるかもしれない。なんせ我々には超能力がない。持ってるよという人がいるかもしれないが、少なくともお友達にはなりたくないので視界には入っていない。

 それは強固で明確な「身分」が顕在化していない社会に生きているせいなのだが、他者との差異が存在しないわけではない。生まれてからの家庭環境や生活環境、背景に存在している文化資本の違いは他者とのコミュニケーションのなかで自覚できてしまう。話が合わないし、価値観も違うかもしれない。それでも恋愛感情を抱いてしまった場合、無理だからと身を引くのか、それでも諦めないのか。踏み込めない葛藤とそこからの一歩を描いたのが「肉食うさぎ」になる。

玉井建也 #03 今井哲也『ぼくらのよあけ』、『文芸ラジオ』5号 書影
今井哲也『ぼくらのよあけ』(全2巻、講談社、2011年)と『文芸ラジオ 5号』

 物語には必ず終わりがある。「行きて帰りし物語」を挙げるでもなく物語が終わるのは当たり前のことだが、その終わりをきちんと描くのは非常に難しいし、2巻の短さで得られる充実度合いが予想を上回るのも珍しい。そして物語には終わりはあれど、我々の日常生活は続いていくので、学生の皆さんはまた後期の授業で会うことにしよう。別に誰かと話す必要もないし、大学の授業内容から小説のネタを探すのもいいではないか。

(文・写真:玉井建也)

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玉井建也(たまい・たつや)
玉井建也(たまい・たつや)

1979年生まれ。愛媛県出身。専門は歴史学・エンターテイメント文化研究。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。東京大学大学院情報学環特任研究員などを経て、現職。著作に『戦後日本における自主制作アニメ黎明期の歴史的把握 : 1960年代末~1970年代における自主制作アニメを中心に』(徳間記念アニメーション文化財団アニメーション文化活動奨励助成成果報告書)、『坪井家関連資料目録』(東京大学大学院情報学環附属社会情報研究資料センター)、『幼なじみ萌え』(京都造形芸術大学東北芸術工科大学出版局 藝術学舎)など。日本デジタルゲーム学会第4回若手奨励賞、日本風俗史学会第17回研究奨励賞受賞。