歴史遺産学科Department of Historic Heritage

関口郁萌|気仙大工の仏教寺院の特徴 -真宗寺院本堂を例に-
宮城県出身
志村直愛ゼミ

気仙地域(岩⼿県⼤船渡市、住⽥町、陸前⾼⽥市)と呼ばれる地域には、17世紀半ばごろから気仙⼤⼯と呼ばれる⼤⼯集団が存在している。本研究では、気仙⼤⼯の技術伝承の⽅法を特定するための前段階として、真宗寺院本堂を取り上げ、建設を⾏った際の諸職⼈の構成と気仙⼤⼯によって作事された寺院本堂の特徴を明らかにすることを⽬的とした。気仙⼤⼯の技術系統や伝承⽅法に関して、集団内部の構造を明らかにできるまとまった資料は⾒つかっていない。⾼橋(1986)は気仙地域内に残存している雛形本や秘伝書などの調査から、盛岡藩の⼤⼯棟梁である本林常将が発⾏した「新撰早引匠家雛形」が最も多く残存していることを指摘し、幕末から明治期の気仙⼤⼯は墨稽古などにおいて本林の雛形本を参考に技術を継承してきたと推察している。本研究では、気仙地域内の気仙⼤⼯による建築である浄福寺(住⽥町)、正徳寺(陸前⾼⽥市)、⻑安寺(⼤船渡市)の3件を主な調査対象とした。棟札より本堂の作事に関わった諸職⼈の構成とその特徴の調査・分析と、本堂の平⾯調査より⼀般的な真宗寺院本堂と気仙⼤⼯が作事した寺院の⽐較を⾏った。棟札調査より、浄福寺本堂と正徳寺本堂は共通して松⼭の五郎吉が⼤⼯棟梁を務めている他、⼤⼯職⼈の中で両寺の棟札に「伊三太」「⾦蔵」「伊三郎」「伊太郎)」の4名は共通して名前が挙がっており、それらの⼈物が棟札に記されている順番はほとんど⼀定であることが確認できた。よって、五郎吉が棟梁を務めた普請において、⼤⼯職は⾏動を共にするものが少なからず固定されておりその中での序列も決まっていたと推察できる。今回調査を⾏った気仙地域内の3件の寺院本堂に共通して、参詣の間・外陣を囲うようにして板の間の廊下が設けられていた。これは禅宗や浄⼟宗の寺院の⼀部にみられる特徴ではあるが、⼀般的な真宗寺院本堂であれば、階段と外縁が設けられることはあるが、本堂の壁や⼾で仕切られた内部に廊下が敷かれることはない。また、気仙⼤⼯の作事した3カ寺で、廊下と参詣の間との間、参詣の間と外陣の間、外陣と脇陣の間、脇陣と内陣の間すべてが段差で区切られていた。このように⼀般的な真宗寺院と⽐較した際に不⾃然な点が多くみられるのは、気仙⼤⼯が家⼤⼯でありながら依頼を受けた際にも寺院建築を作っており、専業で寺院建築を作事していた⼤⼯ではなかったためと推察した。