歴史遺産学科Department of Historic Heritage

佐藤陽一郎|東北地方南部における後・晩期の注口土器に関する使用・用途の検討~容量と使用痕の観点から~
山形県出身
佐藤祐輔ゼミ

本稿は、縄⽂時代草創期から晩期にかけて東⽇本を中⼼に出⼟する注⼝⼟器について、容量計測と使⽤痕の分析を通じて、その使⽤・⽤途の変化を検討した研究である。注⼝⼟器は、特に晩期⻲ヶ岡式⼟器の中で精巧な造作と複雑な装飾を持つ象徴的な器種として知られ、これまで編年や⽤途に関する多くの研究が⾏われてきた。しかし、後期後葉から晩期初頭にかけて容量が減少し祭祀的⽤途へ移⾏したとする従来の⾒解は、主に形状変化に基づく感覚的な考察にとどまり、実測データに基づく検討は⼗分ではなかった。そこで本稿では、具体的な数値分析により使⽤・⽤途の変化を明らかにすることを⽬的とした。分析対象は、⼭形・宮城・福島・新潟県下越地⽅出⼟の注⼝⼟器103点であり、実測図と表計算ソフトを⽤いて容量を計測した。計測は注⼝部や有効容量など三段階に分けて⾏い、時期ごとの容量割合や⾼さ割合を⽐較した。時期区分は後期後葉から⼤洞A₁式までとし、既存の形状分類に加えて新たな類型を設定した。また、底部形状を平底・丸底・上げ底に分類し、容量変化との関連を検討した。その結果、後期後葉から後期末葉にかけて注⼝⼟器は⼩型化し、容量が⼤幅に減少することが判明した。このことから、この時期に使⽤・⽤途が儀礼的なものに変化した可能性が⾼いと考えられる。後期末葉から⼤洞B₁式では容量⾃体に⼤きな変化はみられないが、注⼝部の位置が上昇し、底部形状が丸底中⼼へと移⾏した。⼤洞BC₁式以降は容量が増加し、⼤洞C₁式からC₂式にかけて形状・容量ともに最⼤化し、使⽤・⽤途が貯蔵器に変化したと考察した。また、最終段階の⼤洞A₁式では再び⼩型化し、容量が⼤きく減少したことから、使⽤・⽤途が再び儀礼的なものへと変化したと考察した。さらに、注⼝⼟器の様々な部位71点を対象に使⽤痕を観察した結果、注⼝部や底部だけでなく、⼝縁部や突起部など突出した部位に磨滅痕が集中していることが確認された。この特徴から、⼟器を袋状のものに⼊れて運搬した際に、突出部のみが擦れて磨滅した可能性を指摘した。また、補修痕に関して後期後葉のみに確認されたことから、この時期に補修⾏為が活発であったことが⽰唆される。以上より、本稿は注⼝⼟器の晩期に関する容量変化を提⽰するとともに使⽤痕の分析を通じて、使⽤・⽤途の変遷を実証的に⽰すとともに、新たな解釈を提⽰した。

1. 底部形状分類

2. 後期後葉から⼤洞B₁式への形状変化

3. 観察した磨滅痕・補修痕確認⼟器