歴史遺産学科Department of Historic Heritage

今野茉央|翡翠製装身具からみる縄文時代の交易
宮城県出身
青野友哉ゼミ

 縄文時代には、非常に硬い翡翠に穿孔を施した翡翠製装身具が存在する。装身具の翡翠は、ほとんどが新潟県糸魚川市姫川産であり、北海道から沖縄県まで流通しているため、縄文時代の交易を探るうえで重要な資料である。そこで、本研究では翡翠製装身具の長さ・幅・孔径などの規格や、穿孔部断面の形状から地域間の穿孔方法の違いを検討し、翡翠製装身具の製作と流通の実態に迫った(図1)。対象遺跡は、原産地周辺の製作遺跡(富山県境A遺跡・新潟県寺地遺跡・新潟県長者ヶ原遺跡)と岩手・宮城・福島県域の68遺跡であり、翡翠製装身具の時期別の規格と穿孔方法を把握した。

 製作遺跡である境A遺跡では、長さ2㎝未満の小型品が主流だが、2㎝以上の資料には管錐による片面からの穿孔がみられた。資料が晩期中心の寺地遺跡では、4㎝未満の小型品に棒錐による片面穿孔を行っており、長者ヶ原遺跡の装身具は中期に盛行した3㎝以上の大型品が多くみられた。次に岩手県域では24遺跡65点集成し、青森県域で製作(再加工)されていた丸型で中央に穿孔される根付形や、長軸に穿孔のある緒締形、三角形大珠が存在していた。宮城県域では小型品が6点のみと出土数が極端に少なく、福島県域では25点出土しているが岩手県域でみられた根付形や緒締形などの形態は確認できなかった。

このことから、岩手県域と福島県域では製作遺跡および流通経路が異なり、原産地である新潟県域から青森県域へ日本海ルートで北上し、岩手方面へ南下するルートと、新潟県域から会津・福島方面へ広がるルートが存在したと考察する(図2)。 次に、岩手県大向上平遺跡出土の翡翠製装身具2点が、後期初頭の埋設土器内から出土している一方、装身具の形態が大型の鰹節形という中期の特徴を有していることから、中期に製作された装身具が後期まで伝世したものであると仮説を立て分析を行った。分析の結果、岩手県域で出土している「中期」の翡翠製装身具と規格が同一であること、岩手・宮城・福島県域出土の大珠・小珠とも形態・規格が類似することが判明し、大向上平遺跡の大珠1・2は中期に製作されたものであると判断した(図3)。また、この装身具2点は製作遺跡である境A遺跡の中期の大珠と、規格・形態・穿孔方法ともに共通していることから、大向上平遺跡の大珠1・2は北陸地方の製作遺跡から搬入され、後期初頭まで伝世した可能性が高いと結論づけた。

1. 装身具の計測位置

2. 想定する流通経路

3. 大珠1・2と中期出土大珠・小珠の比較