歴史遺産学科Department of Historic Heritage

金子悠高|蔵王高速電鉄の記憶ー未成で終わった鉄道を巡る記録と考察ー
福島県出身
志村直愛ゼミ

戦後直ぐに山形と上山、蔵王温泉を結ぶ鉄道として計画された蔵王高速電鉄は、朝鮮戦争による資材価格高騰で工事中に中止され、そのまま未成線と化した。(図1)蔵王高速電鉄を記した資料は限りなく少なく、現存している少数の遺構も目立った保存活動が行われていない為に、その認知度はかなり低いと推測される。(図2)計画から80年が経過した2020年代は当鉄道を知る人々に話を聞ける最後の機会と考えられる事から、未だに認知されていない情報も含めて蔵王高速電鉄を後世に語り継ぐきっかけとなるべく研究に踏み切った。

本研究では蔵王高速電鉄の計画から工事中止に至るまでの詳細、蔵王高速電鉄の必要性、建設された路盤の行方、現存遺構を用いた保存活動の検証を行う。研究手段としては現存している蔵王高速電鉄の株式目録などの書籍資料や航空写真の調査、現存する遺構の現地調査、発起人の子孫へのインタビューを行った。また建設中止前に発注された車両が保存されている岡山県の保存団体への取材も行った。(図3) 蔵王高速電鉄の目録見書には工事計画に用いる資材量や建設費用、開業後の収支推定まで産出されており、かなり具体的に建設計画の見込みが立てられていたのが判明した。しかしながら、実際の建設日程は予定から9ヶ月遅れで開始されただけでなく、建設中に尽きた2500万円の資本金の同額増資に苦戦した事で、発起人が私財を投げ打って工事が進められる状況に陥っており、朝鮮戦争の資材価格高騰だけが工事中止の要因ではなかったと明らかになった。蔵王高速電鉄が結ぼうとした山形~上山間には計画時点で国鉄線と路線バスが走っており、最盛期には路線バスが15~20分間隔で走っていた時期もある為に新たな鉄道の必要性はあったと考えられる。工事中止までに建設された路盤に関しては発起人が投じた私財を回収すべく売り捌かれた可能性が有り、計画終了の5年後には一部の区画が壊されていたのが確認出来る。これらの経緯から現存する遺構を用いた蔵王高速電鉄の保存活動は難しいと思われるが、概略を記した看板を置く、蔵王高速電鉄の存在を広める取り込みは出来ると考える。(867字)

1. 蔵王高速電鉄の路線図

2. 田畑の中に残る駅のホーム跡

3. 岡山県玉野市に保存されている車両