[優秀賞]
小笠原暖|学校事業としての山菜採取―上山市立山元小中学校を事例として―
山形県出身
松田俊介ゼミ
筆者は父より、学校行事として「わらび取り」を行い、その売上で学校備品の購入に当てるという興味深い取り組みについて聞いた。学校主導で行われる山菜採取については、いかなる文化的な背景があり、いかなる主旨で行われてきたのか。本研究では山形県にある旧上山市立山元小中学校(図1・2)で実施されていたわらび取りを事例として取り上げる。また、同県小国町における類似事例との比較も交えつつ、学校事業として山菜採取が教育の一環として導入された背景にある労働観と教育との関係性について明らかにすることを目的とする。
事例となる山元小中学校は、2009年に変更し現在では校舎が公民館兼診療所として使用されている。B氏(1953年卒)によると、在学中は集落ごとに生徒のみで分かれてワラビを採取していたという。採取後は、集落ごとに採ったワラビの量が大きく書き出されるため、生徒たちは集落同士競いながらできるだけ多く採ることを目指した。また、長橋氏(1956年卒)によると、当時の教員は生徒がリアカーを売り歩くことを重視し、自ら販売することが生徒にとっての社会勉強や、生業のための演習となると認識していたようだ。その後は、採取量の順位に加え、景品授与の追加等、競争の動機づけに変化がうかがえた。また、比較事例として小国町において調査を実施した。F氏(旧小国町立小玉川小中学校 1966年卒)によれば、学校でのわらび取りが行われていた一方で、ゼンマイは家計に直結する事業とされていたことから「ゼンマイ休み」があったという。このような事例から、山菜でも品種によって植生や価格の点で、位置づけの違いがあり、実生活と多様な関係性がうかがえる。また、現在もわらび取りが行われている小国町立叶水小中学校では、学校事業としての山菜採取が、地域社会との交流、学校経営、教育活動の三領域を横断する複合的な実践として成立している。 学校事業としてのわらび取りの歴史は4段階[競争→報酬→地域交流→体験の定型化]に分けられる。採取の過程では、資源を持続的に利用するための規範と、ワラビを商品化するための規範が設けられている。また、「わらび取り」は、協力的慣習や競って学校に贈与する意識がみられた。以上からわらび取りは、学校財源の補填を目的としつつも、地域生活に独特の広がりと深みを与える営みであり、多様な意義をもった教育実践としても位置づけられる。
松田俊介 准教授 評
小笠原暖さんの研究テーマは「学校による山菜採取」の歴史である。山菜採取は、主要な食糧確保の手段ではなく、収益性も低く、地元住民ですら軽視しがちな営みといえる。しかし、一見副業にも満たないこうした活動(遊び仕事:Minor Subsistence)こそが、地域社会の生活史に豊かな彩りを与えてきた。
彼女は、学校史や文集の精査、丁寧な聞き書きを通じ、採取に携わった人々の動機の変遷や多様性、独自の規範を見事に分析した。特に当事者たちへの膨大なインタビュー記録には、学界で共有すべき高い価値がある。
「重要で公的な歴史」への記録が積み重ねられる一方で、本作のような「些細で見過ごされがちな歴史」は霧散しやすい。本来、民俗学とはこうした日常の断片に光を当てる学問であり、本研究はその志向を十二分に果たした成果といえるだろう。

1. 学校要覧1990年版を参考に電子地形図25000(国土地理院)を加工して作成

2. 旧上山市立山元小中学校校舎(2025年筆者撮影)