大牧怜二郎|近世山形の災害と疫病の関連性 〜旧村山郡を事例に〜
神奈川県出身
岡陽一郎ゼミ
1. 研究の背景と目的 本研究は、2020年以降の新型コロナウイルス感染症のパンデミックと、近年の大規模自然災害時における感染拡大(複合危機)を背景としている 。近世の山形県旧村山郡(現・山形市、東根市周辺など)においても、民衆は疫病と自然災害の双方に苦しめられてきた 。本研究は、地域に残る疫病関連の石碑(疱瘡神、牛頭天王など)の建立時期と、当時の災害・飢饉の発生年次を照合し、それらの因果関係と民衆の対応を明らかにすることを目的とする 。
2. 災害・飢饉・疫病の連鎖構造 『山形県史要覧』などの史料分析により、旧村山郡では延宝2年(1674年)から文久2年(1862年)までの約190年間に、少なくとも14回の疫病流行が確認された 。特筆すべきは、これら流行の約9割(12回中11回)が、大規模な洪水、干魃、火災、あるいは火山噴火に伴う凶作・飢饉の直後1〜5年以内に発生している点である 。 この連鎖の要因として、①飢饉による栄養不足が住民の免疫力を低下させたこと、②災害後の流民や乞食の増加が感染源の拡散を招いたこと、③洪水による飲料水汚染や避難所での密集といった衛生環境の悪化、の3点が指摘される 。
3. 石碑建立と「複合危機」仮説の検証 著者は、旧村山郡内の石碑13基を現地調査し、建立年次を分析した 。その結果、疫病関連の石碑は単独の疫病流行時ではなく、災害・飢饉・疫病が重なる「複合危機」の際、またはその直後に集中して建立されていることが判明した 。 例えば、印役町の石碑(1729年建立)は大洪水と干魃の最中に建てられ、その2年後に疫病が大流行している 。これは、石碑が単なる「疫病除け」ではなく、重なる災厄に対する生存祈願や、将来の危機への事前対応として機能していたことを示唆している 。 4. 結論 近世の石碑は、民衆が恐怖を共有し、共同体を結束させるための実践的な媒体であった 。災害と感染症が複合化する現代において、これら先人の記録と「目に見えない仕組み」は、単なる歴史遺産に留まらず、地域のレジリエンス(立ち直る力)を再考するための重要な示唆を与えている 。

1. 成澤八幡神社 牛頭天王

2. 高瀬満徳寺