歴史遺産学科Department of Historic Heritage

[優秀賞]
扇采加|オシラサマ像の多様性-意識に基づくオシラサマ信仰の変容-
宮城県出身
松田俊介ゼミ

 オシラサマは現代において、蚕・養蚕の神という性格が強いとされる。これを出発点とし、本研究では、オシラサマはなぜ蚕・養蚕の神として信じられるのか、インフォーマントはオシラサマをどう捉えているのかを、2025 年現在を中心に明らかにすることを目的とした。

 遠野市立博物館(2000)によると、遠野市のオシラサマ全79 件中養蚕の神様とする家が最多であり、陸前高田市でも同様の結果となっている。しかし、遠野市立博物館によれば、オシラサマを養蚕神として祀っていながら、養蚕を行っていなかった家も存在していたようだ。このように、オシラサマの性格の特性は先行研究の調査に表れない場合も多く、正確な把握にはさらなる精査が必要となる。

 遠野市立博物館の学芸員・前川氏は、現地での調査活動をもとに、オシラサマは家の神として知られていると語った。これは前述の調査の結果からも裏付けられる。オシラサマが蚕・養蚕の神としてよく知られる理由については、遠野地方でもオシラサマを持つことのできる家は限られており、それ以外の者は『遠野物語』をはじめとした物語で、初めて内情を知るようになっていたことに起因すると考えられる。また、遠野市のオシラサマは道具的な側面が強いという特徴が見られた。陸前高田市立博物館の学芸員である熊谷氏も、オシラサマは家の神として信じられることが多いと語った。その一方、同地域ではオシラサマ自体に神様が宿っているという考え方が多く見られ、オシラサマと暮らすという表現や、博物館に泊まる、という表現が用いられている。

 以上のことから、オシラサマが蚕・養蚕の神としての性格が強いとされる理由の1 つには、遠野物語が関わっていることが明らかになった。また、本研究では、「オシラサマを採物(巫女などが用いる祭具)として扱い、祭祀の際に神が降りてくる」という考え方と、オシラサマそのものが御神体であり、常に神が宿っている」という考え方の2 つが存在するとわかった。  筆者はこれを、前者を「託宣型」、後者を「神体型」と名付ける。この類型の違いに着目することで、これまで外見や性格的に同じとされていたオシラサマでも、インフォーマントの意識によりその本質は異なってくると考えられるだろう。

松田俊介 准教授 評
扇采加さんは高校時代より「オシラサマ」の研究を継続してきた。一般に、また現存地域においても「蚕の神」という理解が定説化しているが、実際の信仰のあり方は極めて多様である。本研究は、この定説が浸透した経緯と、実情との乖離を鋭く分析した。
 定説形成の背景には、柳田國男の『遠野物語』で描かれた馬と娘との悲恋の民話(馬娘婚姻譚)の影響が色濃い。一般住民がその言説を受容する一方で、実際に祀る家庭では本来の多義的な意義が継承されており、それがオシラサマ理解の相違を生じさせていた。さらに彼女は、オシラサマに「祭具」「神体」という二つの側面を見出し、その特性をあざやかに弁別・理論化した。
 膨大な文献調査と聞き取りを通じ、定説を覆して、さらなるオシラサマ研究の深化を遂げた本作は、彼女の地道な研鑽が結実した、秀逸な学術的成果である。

1. 岩手県遠野市