歴史遺産学科Department of Historic Heritage

石山椋大|近世町役人の由緒–酒田三十六人衆を中心に–
山形県出身
岡陽一郎ゼミ

 山形県酒田市には、平泉藤原氏の家臣三十六人の子孫を称する「酒田三十六人衆」と呼ばれる集団が存在した。彼らは近世酒田の町政を担い、その由緒は酒田の歴史を語る際に用いられることが多かった。しかし、この由緒を全国的な視野で検討した研究は存在していない。本研究では、酒田三十六人衆の由緒の特徴と成立背景を明らかにするため、他地域の町役人由緒との比較を行った。

酒田三十六人衆の由緒は、平泉藤原氏滅亡後、藤原秀衡の妹または妻とされる徳尼公が、三十六人の家臣と共に平泉から落ち延び、泉流寺を建立し、酒田の町を創始したという「徳尼公伝説」を基盤としている。しかし先行研究では、この伝説の史実性に関する意見が分かれており、屋号や地誌の記述からも、中世以来の集団であることに疑問が呈されている。これらを踏まえると、徳尼公伝説および三十六人衆の由緒は後世に創作された可能性が高い。

比較対象としては、中世以来の湊を示す史料である『廻船式目』の伝来地域および同書に記された10の湊を調査した。その結果、酒田を除く12の湊から44例の町役人由緒が確認された。その内3分の2は安土桃山時代以降に成立しており、先祖としては武士が大半を占め、貴種への憧憬が共通して見られた。また、由緒主張の動機として、町役人間の対抗意識や特権確保が指摘できる。 以上を踏まえると、酒田三十六人衆の由緒には三つの特徴がある。第一に、酒田が平安時代末期を舞台とする文学に登場するため、由緒を成立させるには、到来時期が平安時代末期以前である必要があった点である。第二に、奥羽の正統な支配者と認識され続けた平泉藤原氏の威光を、酒田の町政運営に利用した点である。第三に、出自の異なる町役人を統合するため、由緒を共有し「倫理的共同体」を形成した点である。徳尼公伝説を核とする「倫理共同体」は、現在の酒田にも受け継がれており、由緒創作の強い影響力を示している。本研究により、酒田三十六人衆の由緒の特徴を明らかにすることができた。

1. 徳尼公廟(泉流寺 筆者撮影)

2. 三十六人衆之碑(泉流寺 筆者撮影)