黄金蒼生|沖縄における天秤腰機の現状に関する研究
沖縄県出身
村上智見ゼミ
私たちが今、身につけている服のほとんどは、電力を動力源とした「動力織機」という織り機で織られている。動力織機の発明以前の世界では、人の身体で動かす「手織り機」を使って布が生みだされてきた。世界各地で様々な形態の手織り機が存在するが、東アジアの一部で使用が確認されている「天秤腰機」(図1)は、日本においても大正時代ごろまで主流な織り機として用いられてきた。かつて沖縄県に存在した琉球王国においても天秤腰機が用いられ、当時の染織文化を反映する道具の一つとして考えることができる。沖縄県では、明治20年に日本より「高機」という手織り機が導入され始めると、効率が向上する点や身体への負担が軽減する点などを理由に、産業化の流れと共に普及していった。現在、日本の徳島県や茨城県など複数の地域では、天秤腰機の製織技術を含めた技術が重要無形民族文化財に指定され、技術の保存と継承に向けた取り組みが行われている。しかし、沖縄県では伝統的な織り技法が織物組合や保存団体により継承されているものの、現場における天秤腰機の使用や技術継承は必ずしも重視されてこなかった。
本研究では、沖縄県内における天秤腰機の保存と技術継承を行うにあたり、所蔵場所や所蔵方法、技術継承の現状を把握・記録することが重要であると考え、現地での機台調査と聞き取り調査を中心に現状の調査を実施した。今回行った調査では、40台の天秤腰機(図2)(図3)に関する情報を記録することができ、内2台の機台のみが製織に使用されており、ほとんどの機台が現在使用されていない現状であることが確認できた。また、復元・復興の取り組みをきっかけに製作された機台や、製織を行ったケースも複数確認でき、このような取り組みが天秤腰機の存続に大きく影響を与えていることがわかった。製織技術の継承においては8名の方に聞き取り調査を行い、現在離島において技術継承が続いていることが判明した。 沖縄県における天秤腰機は、博物館や資料館において複数の保存が確認できたが、技術継承は十分行われておらず危機的状況と判断できる。しかし、技術継承は完全に断たれたわけではなく、これから技術の継承を図ることはまだ可能であると考える。

1. 名護博物館所蔵の天秤腰機

2. 記録を行った天秤腰機の分布

3. 地域ごとによる機台所蔵数の比較