大学院Graduate School

小口萌愛|明治期教科書を対象とした料紙研究 −和紙から洋紙への移行過程に着目して−
長野県出身
石沢惠理ゼミ

 近年、文化庁により明治以降の紙資料が国や県の指定文化財に認定され始め、保存修復の対象になっている。明治期に紙質が変化した事例として教科書用紙がしばしば挙げられ、複数の文献に、明治36年に文部省が教科書用紙を和紙から洋紙へ切り替えたとする記述が確認された。本研究では、この言説の妥当性を検証するとともに、明治期紙資料の材質に関するデータの蓄積に寄与することを目的とした。

文部省が明治36年に公布した、教科書用紙の原料などを規定した「小学校教科用図書用紙標準」(以下、用紙標準)を調査した。その結果、用紙標準では和紙、洋紙双方の使用が想定され、和紙から洋紙への切り替えを目的としたものではないことがわかった。洋紙の原料には木綿ボロ、藁、化学的木材繊維を、和紙の原料には楮、三椏、藁、化学的木材繊維を用いることとされ、洋紙、和紙の双方において、砕木パルプの使用は禁止された。砕木パルプは繊維が短く微細繊維も多いことから、原料とすると紙の強度が低下する。加えて、リグニンなどの不純物を多く含み変質変色しやすいとされているため、禁止されたと考えられる。また文献により、文部省は「和紙擬ノ機械漉紙」を紙質低下の要因とみなし、この排除を意図して用紙標準を策定していたことが判明した。 この背景を踏まえ、明治8年から45年に東京で出版された教科書160冊、合計181点の用紙を対象に、紙質調査を実施した(図1)。用紙から繊維を採取し、C染色液を用いた繊維分析をおこなった(図2)。その結果、明治36年以前にワタ・アマを主原料とした洋紙が、教科書用紙として普及していたことが明らかとなった。また、明治20年から30年代中頃にかけて、和紙原料と洋紙原料を混合した用紙が確認された(図3)。この理由として、紙質改良の試みや、低コスト化を可能とする原料の模索が推定される。しかし、その過程で耐久性に問題のある教科書用紙が生じ、「和紙擬ノ機械漉紙」として問題視され用紙標準公布の要因になったと考えられた。さらに、用紙標準適応後の明治37年以降に、禁止されていた砕木パルプを含む用紙が繊維分析によって確認され、用紙標準に適合しない用紙も存在したことがわかった。

1. 収集した明治期教科書

2. C染色液を用いた繊維分析

3. C染色液で染色した繊維の顕微鏡画像