新しい芸術大学のかたち

へんな美大と言われて

「地方都市で、アートやデザインが学べるの?」「わざわざ山形にまで行って教える価値はあるの?」「芸大なのに、どうしてみんな就職するの?」「なんだかへんな美大ですね」など、東北芸術工科大学(以下 芸工大)について質問される場面がとても増えています。
確かに芸工大は芸術系大学の中ではとても異色の存在ですが、それもそのはず、そもそもこの大学は、他の芸術系大学のように美術界の発展のために創られた大学ではなく、地域社会に求められて作られた新しい発想の芸術大学なのです。生まれた経緯が違うので、へんな美大と言われても当然です。
芸工大が置かれた山形・東北という場所が、極めて「日本的な地域」であることは、本学の特徴を語る上でたいへん重要です。この地域は古くから農水産業、林業が盛んですが、後継者不足に悩み、失われていく伝統工芸や地場産業も増えています。少子高齢化と過疎化による自動車社会の問題、郊外型スーパーによる中心市街地の空洞化、後手に回る都市計画も次の一手を模索しています。行政は働き口の確保や人材流出を防ぐために大企業の工場誘致を進め、交通網を整備しながら国内外からの観光客に向けた観光資源づくりに懸命です。
このような課題は日本の至る所に存在しています。いわばここは日本社会の縮図、全国のどこにでもある社会的な課題はすべてここにあるのです。そして2011年、不幸にもこの大学のすぐ近くで大震災が起こりました。自然災害やそれに伴う原発事故などは、全国のどこで起きてもおかしくない災害でした。日本列島に生きる私たちが永遠に覚悟し続けなければならない共通課題に、本学は涙を拭いて立ち向かい、エネルギー問題や復興支援を演習に取り組みながら、未来への学びとして今も受け止め続けています。
みなさんが芸工大で学ぶということは、在学中に「日本の未来への課題」と直接対峙できるということです。これらは、東京からは「見えないことになっている」日本の現実の姿とも言えます。
アートとデザインを標榜する大学を、日本の共通課題を抱えたモデル的な地方都市に置いてみる。いわば壮大な実験装置として、生まれながらに使命を帯びた「新しい芸術大学のかたち」それが芸工大なのです。
アートがどこまで人の生活の本質を豊かにすることができるのか?デザインが本当に社会の問題を解決できるのか?在学中にこの課題と向き合うために、本学は地域の各所と公式・非公式にさまざまに提携し、大学そのものが地域をキャンパスとしながら学び続けています。ですから、ここに集う教員たちは社会課題に向き合おうとするプロのクリエイターばかりですし、学生もみんな顔をあげて社会を見ながら学んでいます。本学の卒業生たちが、それぞれに学んだことを駆使するために、社会に向けて巣立っていくのは至極当然のことなのです。

モノ・コトづくりから、かかわりづくりの時代へ

古くは工業技術が、近年では金融経済が世界を作ってきました。それに伴って、大学で学んだ人間が身に付けるべき素養も変化してきましたが、これからはモノやコトを作って売るのみならず、そのかかわりを作り出す時代です。人工知能による社会変革を恐れずに、アイデアでテクノロジーとのかかわりを楽しむ。ついにアート&デザインの力が多方面で求められる時代の到来です。
芸工大の教育プログラムは単に「絵の描き方」「デザインの様式」を教えるのではなく、その運用方法を学生とともに考え出していきたいという構想のもとに緻密に設計されています。
教員たちは常にジャンルを超えてかかわり合い、教え方やカリキュラムの方針をアップデイトし続けています。
クリエイターに託された時代のバトンをしっかりと握り、アート&デザインの力で周りの人々や日本の社会の概念を幸せな形に変容させてゆける。美大を超えた新しい芸術大学のかたちがここにあります。
芸工大の多才な教授陣と、四季の多彩なこの土地が、まずはあなたとのかかわりを待っています。

中山ダイスケ
なかやま・だいすけ/アーティスト、アートディレクター。コミュニケーションを主題に多様なインスタレーション作品を発表し、現代美術の新旗手として国内外から注目を集める。1997年より6年間NYを拠点に活動。1998年台北、2000年光州、リヨン(フランス)ビエンナーレの日本代表に選出される。舞台美術や店舗空間など、デザインや企画で参画したプロジェクトも多く、常にアートとデザインを行き来している。


上:2007年より本学教授に就任。新しいデザイン教育のメソッド作りを行っている。/下:山形県産果汁100%のジュース「山形代表」のデザインや広告をはじめ、地方都市のデザイン復興プロジェクトを数多く手掛ける。