第2部:超越する現代絵画の行方?

 

モデレーター=三瀬夏之介[芸術学部美術科日本画コース准教授]
日時=2009年10月3日[土]15:00−18:00
会場=東北芸術工科大学7階ギャラリー

注5 千住博(1958−)
東京生まれ。1987年東京藝術大学修了。1994年第7回MOA岡田茂吉賞、絵画部門優秀賞。1995年ヴェネチア・ビエンナーレ優秀賞受賞。滝のアーティストとして知られる。現在、京都造形芸術大学学長。

 

1. モデレーター三瀬からの質問:「日本画とは?」

三瀬 僕は日本画考の授業(1年生の授業)で、「自分にとって日本画とは何か?」を問うています。以前、美術手帖が日本画の特集をしたときに僕が執筆した「日本画復活論」という文章からの日本画の定義をここに紹介したいと思います。

1)日本絵画すべてのこと Japanese paintingあるいは Painting in Japan
2)西欧美術導入以前の絵画の総称 traditional painting
3)明治以降、西洋の文化が入ってきてそれに対抗する近代絵画 Japanese traditional –style painting after Meiji
4)50-60年代 日本画に批判的な日本画
5)80-90年代 日本画に寛容な日本画 千住博(注5)、岡村桂三郎など。画材に特化しているもので、現代日本画とよばれるもの
6)2006年 日本画に相対的な日本画、現代絵画への越境 長沢明、吉田有紀、三瀬夏之介など。
7)そして今

ここで、みなさんに質問です。絵画における素材や価値観を自分の経験や知識だけによって決定することや、それが事後的に「日本画」というジャンルに落とし込まれることは不安でないのでしょうか?ぼくは不安だし、孤独だと思っています。
長沢 後ろ振り返るといつも「日本画」というラベルがついていて、自分では外して制作していても、どうしてもついてくるもの。日本画を定義付けようとすると、素材で結びつけようとして、結局は行き詰ってしまう。「自然」ということは外せないけれど、それは「ナチュラル」であって、「ネイチャー」ではないものだと思う。
吉田 難しい質問だね。
僕は二つの考え方があると思う。ひとつは素材を活かす考えと、描きたいものにあわせて素材を選ぶ考え。素材を考えるとそれは日本画になる。日本画コースにたまたま入ったけれど、アンチにいるのはその存在があるから。だから日本画の素材は外せない。箔だったり、和紙や顔料だったり・・。でも自分のやりたいことを表現するときは、エアブラシとかいろんな素材を使ってます。
「日本画」という言葉に縛られる危険性があって、「日本画」というフィルターを通してみられると、「これって日本画なんだ」と言う人がいます。その人の「これって」というのが味噌なんです。その裏にある意味に興味があります。
三瀬 多くの価値観が乱立してきている中で、信念をもって発表を続けていくことや、大きな評価軸がなくなってきていることに不安はないですか?
吉田 まさしく「こんなの」が評価軸なんじゃないの?
竹内 膠とか中国から伝わってきた材料だし、もともと日本ではない。日本の歴史はもっと古くて、明治以降ではないでしょう。古墳時代、弥生土器からも日本的なものがあります。さらに縄文時代の1万年以上前から、先祖はずっと暮らしていました。平面ではありませんが、立体の土器があって、文化的な遺伝子はどこかに繋がっているはず。僕は縄文土器のかざりの輪が重要な気がします。あの世とつながっていると考えていたんじゃないかって。
峰岡 「日本画」という言葉がついてくるのはこわいが、自分はまだ表現者として確立されていないので、言葉よりもまず描いてみること。今は言葉にとらわれたくないです。「日本画」とは距離をおいて、そのことは頭に入れないで、自分の表現をつきつめていきたいと思っています。言葉はそのあとでいいでしょう。
佐藤 難しい質問ですね。「なぜ巨大な作品をつくるのか」ですが、その傾向は屏風とかふすまとか、そういうものからきているのではないかと思います。自分の作品を空間でどう作るか、日本画の人がそう考えるのは特徴的かもしれません。「自分の作品は日本画です」とも言い難いところもありますが、僕は日本画を目指して作品をつくっているわけではありません。作家として最優先しているのは、自分がどういう表現をするのか、まずは作品づくりを目指しています。
岡村 なんだか、面接試験みたい(苦笑)。受験生の気持ちがわかったなあ。不安っていったでしょ。僕は不安じゃないといけないと思う。「こうあるべきだ」みたいなものがあって、それに向かっていくとしたら、すごく安心してしまう。それじゃやっぱり面白くない。絵をかくことは、常に不安がつきまとう。不安と確信とがないまぜになって作品をつくる。まず重要なのは不安感。その中で自分が勝ち取っていく価値観。誰かがそれに共鳴できる部分があるはずだと思って発表していく。形や規定をつくってしまって、そこにむかえば安心というのはよくないし、あってはいけないと思う。安心して絵を描いているのは全然信用できないと思う。もはやこれは日本画の問題だけではないでしょう。
 

2. 学生からの質問:「どういう人にみてもらいたいですか?それから、地球上のどこでも展示できるとしたら、どこに展示したいですか?」

長沢 こどもが振り返ってくれないので、特に中学生層に振り返らせたい。おじさんもきちんとやっているところをみせたい。場所は教会のような一点に集中できるところ。何かのエネルギーが内包されている空間で展示したい。
佐藤 幼稚園児と小学生に絵を教えているので、こどもにみせて反応をみたい。なかには自分を天才だと思いこんでいるこどももいます。彼らは見た印象を正直にいうので、聞いてみたいですね。それから今、川口に住んでいて工場が多いので、工場の跡地で展示したいです。跡地は時間の経過が感じられて、鋳物の金型が無造作に置いてあったりして、わくわくするんです。
岡村 「あやしい人にならないために展覧会をする」とある人が言っていました。そうだな、社会のために展覧会をやらなければいけないと思う。他人に見せたいとは思っていません。見せたいのは、うちのかみさん。自分のことをいろんな意味で理解してくれるから。展示は具体的にどこでやりたいとは言えないが、空間との関係性とか、そのせめぎあいの中で展示してみたいです。

(トークイベントの一部抜粋)

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