第1部:何故巨大な作品に挑み続けるのか?

 

パネリスト=長沢明/岡村桂三郎/佐藤裕一郎/峰岡正裕/吉田有紀(出品アーティスト)
モデレーター=和田菜穂子[美術館大学センター准教授]
日時=2009年10月3日[土]15:00−18:00
会場=東北芸術工科大学7階ギャラリー

注1 村松秀太郎(1935−)
静岡県生まれ。1961年東京藝術大学修了。新制作協会展初入選、以降毎年出品 1974年第1回創画展に出品、以降毎年出品、大会。1997年「失楽園」(日本経済新聞社・渡辺 淳一著)挿絵、2001年増上寺落慶法要天井画制作(中広間 『双龍と天女』)。

注2 松本俊喬(1941−)
熊本県生まれ。1964年東京藝術大学卒業。1967年法隆寺金堂壁画再現模写に従事。新制作協会展に出品。1971年シェル美術賞展佳作賞。1972年政府招待により中米エル・サルバドルで個展。1974年第1回創画展に出品(創画会賞/77、79、85年)、95年まで毎回出品し、退会。

注3 野地耕一郎(1958−)
神奈川生まれ。成城学園大学卒業。山種美術館学芸員を経て、現在、練馬区立美術館学芸員。

注4 速水御舟(1894−1935)
東京生まれ。徹底した写実、精密描写から、抽象的、装飾的表現へと進んだ。「炎舞」「名樹散椿」は、昭和の美術作品として初めて重要文化財に指定された。

 

1. METAとは?

岡村桂三郎談
METAの発起人は、村松秀太郎さん(注1)、松本俊喬さん(注2)らで、彼らから「展覧会をやろう」と僕にも声がかかったのがきっかけでした。最初は日本橋の丸善のギャラリーで展覧会をはじめて、その後若い人がどんどん入ってくるようになりました。そのうち作家だけでなく評論家も仲間に入れるようになって・・・。それが練馬区立美術館の野地耕一郎さん(注3)などです。彼らとはもともと飲み友達でした。無料で評論を書かせるという策略ですね(笑)。あわないと辞めていき、その代わり新しい人も入ってくる、そういうゆるやかな団体です。なんとなくルールができて、(ジェンダーの問題もありますが)女性は入れないことになっています。肉食系男子の集団で、汗臭い感じです(笑)。METAはまず5年間続けて、一度解散しました。でも若い人から「またやりたい」という盛り上がりがあってMATA2ができました。今は2年に1回くらいのペースで展覧会をやっています。ふだんはそれぞれで個展をやっています。METAはいつまで続くのかわからないし、やめてもまた誰かがはじめるかもしれない。今後は女性が入るかもしれません。

 

2. それぞれの作品について

吉田有紀談
2005年からMETAに参加しています。イギリスから帰ってきてふらふらしていたら、職場(予備校)が一緒だった長沢さんから入らないか、と話がありました。ほとんどが東京芸大の卒業生で、男ばかり。自分は多摩美出身だったので、ちょっと悩みました。「いいじゃん、やろうよ」と誘われ、1回で終わると思って参加。なんだかバンドっぽい雰囲気で、新しい挑戦をしている人たちの集まりだと思いました。
僕は抽象画が好きです。自分でも不思議ですが、遠目でみているとだんだん具象に見えてくるんです。「Groove Line」は細胞のイメージ。ひとつひとつが細胞壁に囲まれています。ふたんはバス亭に立っている人や電車に座っている人などをスケッチしています。それを大量にストックしておき、家に帰ってからドローイングします。最近はデジタル・トイカメラに凝っていて、人間の影や残像がうつるのが面白いと思って撮っています。「Groove line」というタイトルは、「溝、線、つながり」という意味。ひとつひとつは単体で別だけど、つながっています。他には「楽しい、ノリ」という意味もありますね。

佐藤裕一郎談
自分の卒業した大学で展示ができるのはとてもうれしいです。手伝ってくれた学生にも感謝しています。METAに参加したのは2007年から。長沢先生に誘われました。卒業してから発表することに飢えていたので、とてもうれしかったです。学生のときから長沢先生と何か一緒にやれたら、と思っていたので…。
山形にいるときは、植物や自然がキーワードでした。地中に内包するエネルギーがテーマで、大地にうごめく大きな力を表現したい、そう思って表面的なテクスチャー(画面の表面を盛り上げる、土のような表現)にこだわっていました。
今は川口市に移って、見るもの、空気、すべてが異なります。自然と遠ざかっています。内向的になっていく自分がいて、物質感の追究に行き詰まりを感じました。「もうひとつ違う段階に進みたい」。そう思って自分の得意なところ、物質感の表現をいったん封印し、今までやってきたことと正反対のことをやってみました。だから作風が変わったのだと思います。

長沢明談
ポスターになっているこの作品。ふくろう?ぺんぎん?これは片仮名で「トブトラ」と書きます。以前は抽象をやっていました。何を描こうかと思っていたとき、阪神タイガースが優勝して、それ以来トラを描き続けています。トラは昔から題材として描かれていましたが、野生のトラは知らない。動物園のトラしか知らない。トラがトラらしくなくていい。むしろトラらしくないほうがいい。見た人が心の中に、表情などが残ってくれたらいい。そう思って描いています。
このブルーはクレヨンを使っています。子供のレゴブロックをみて、この強烈なブルーを使いたいと思ったんです。顔料では出なくて、クレヨン。今回初めて使いました。ほっとするでしょ?日本画と違うギャップがあるでしょ?
「トブトラ」という意味は、自分が軽やかになりたい、と思っているから。描いているときはしんどい。大げさだけど、命を削っている。ひねくれているけれど、絵にしたくない。絵にすると自分が支配することになる。それがいやでそこから出てくれたら、そう思ってトブトラにした。画面の中で遊びたい。そのアイディアのきっかけがレゴブロックでした。

 

竹内啓談
METAには岡村先生から誘われました。実はそれまで知らなかったんです。卒業後、アトリエで描いていて行き詰まりを感じて、外で写生をするようになりました。富士山にもスケッチに出かけました。何も考えないで感じたことを描きだしていくうちに、外で作品を仕上げてしまおうと思うようになりました。アパートの一室では狭くて、置き場所も困ります。外なら好き勝手できる、そう思ったのがきっかけです。
山形にちなんでもってきた「月山」。地面に和紙を敷いて、その場で大きさを決めます。絵具の色もその場で決めます。途中で休むことはないですね。音楽を演奏するつもりで、流れにのって色を選んでいく。場所からうけた印象を描く。タイトルにある時間は、絵筆を置いた時間。濡れた状態でうごかせないから、1晩おいておきます。絵具が流れていくので、半分は自分が描き、半分は自然の力が描くことになります。ハプニングも多くて、突然雨が降ってくることもしばしば。真冬は結晶になって残ることもあります。動物や鳥などが足跡をつけていくこともあります。車の跡がついていることも・・・。ときには台風がくることもあります。素材として水を大事に考えています。「水の循環」。そこに自分が参加しているつもりです。

岡村桂三郎談
1990年代の初期はバブルの余韻があって、ある程度絵が売れたんです。ちょうどアメリカから帰ってきて、いろんな大学から声がかかった頃です。グループ展をやろうということで、最初は膠で絵を描くことから「膠彩画」などいろんな名を考えていました。本当はグループを作りたくなかったのですが、断れなくて参加しました(苦笑)。METAという名は実は自分が提案したものです。「メタモルフォーゼ(変容)」とか、接頭語としてのMETAということで提案したら、たまたま採用になりました。そしてその言葉通り、グループは変化していきました。
出品している「月の兎」はロマンチックでしょ?兎をかくと、速水御舟(注4)を思い浮かべます。芸大に通っているとき、上野公園を歩いていて、右端にすごくいい形が見えたの。何だろうと思って近づいていったら、白くて、兎のかたちだった。それは上野動物園のポスターで、もっと近づいて行ったら、速水御舟の絵だった。速水御舟のことは芸大にいるとステレオタイプで聞かされるのですが、「やっぱり御舟はいい」とフィルターなしで思った瞬間でした。
自然がいっぱいの山形から多摩美に移って、環境だけでなく心境の変化もあって、「世の中うんざりだな」と思っていました。政権が代わった時期でもあり、人間の愚かさや欲望など、人間界が見えて嫌気がさしました。そして鬼をたくさん描いたんです。それが最初でした。鬼の頭がいっぱいある絵を描いて、そのあと全部消しました。結果としてはひとつの鬼になったけれど、鬼がさまよっているイメージです。「百鬼」というタイトルは気に入っています。

 

峰岡正裕談
上下2段の展示は芸工大のギャラリーの高さがあってのもの。高崎市タワーミュージアムでは横並びでケースに入っていました。反射して見づらかったのですが、今回は見ごたえのあるものになりました。META参加のきっかけは、2007年に大学院を修了した数日後、吉田さんから電話があったんです。「METAやらない?」とラフな誘いでした。大学1年の丸善の展示からずっとみていたので、うれしかったです。「考えさせてください」と電話を切りましたが、2、3分後、またかけ直して「是非やらせてください」とお返事しました(笑)。
僕は院生になってから半獣人を描くようになりました。「鳥男の堕落」は人間の堕落を描いています。絵のなかで悪者を懲らしめてやろう、有頂天に上っている人間はいつか落ちてしまうだろう、そう思って描きました。
自分の中にため込んだストレスを発散したい、のびのびしたい、という気持ちから「魚男の遊泳」を描きました。横長のすっとした構図です。僕は小さいころから落書きが好きで、ヒーローものの模写をよくやりました。今もその延長だと思っています。色もカラフルというより、くすんだ色を使っています。これは仮面ライダーのアマゾンをイメージしています。

 

3.質疑応答(1)

学生からの質問 「新しい日本画、ちょっと違った日本画、という言葉を聞いて、アンチ院展から作品が生まれたのかな、と思ったのですが…」
佐藤 とくに院展とか考えていません。好きだし。見るのも描くのもどんな絵でも好き。
岡村 僕が学生だった頃と今とは日本画の感じ方が違っていると思う。もっと伝統に根ざしていて、日本云々、という存在感があって絶対的だった。日本画は守られていて、考えずに済んだ。しかし今は状況が変わってしまった。日本画そのものの存在も危うい。つまり言いたいことは、「日本画を描く」ということはもう考える必要はなくて、絵画にしろ、自分なりに考えを持っていないといけないと思う。自由な分、きびしい。団体展もなくなるかもしれない。あと10年もするとがらりと変わっているはず。

4. 質疑応答(2)

モデレーター和田からの質問 「なぜ巨大な作品に挑み続けるのか?」
長沢 巨大という割に大きくないですね(苦笑)。
和田 大きいっていう概念はいろいろだと思いますが…。正直、私も「意外とちっちゃいじゃん」って思いました(苦笑)。写真ではその大きさがわからなかったので。でもこの展覧会の起点が高島屋で、そのギャラリーの大きさに合わせた、と聞いて納得しました。
長沢 それは言い訳かもしれないですね。
和田 タイトルについていろいろ考えましたが、結果として「HEAVY META U: ダイナミズムの源流」に落ち着きました。
長沢 「汗臭い」「男くさい」イメージということで、「挑戦しつづける日本男児」とかいろいろ出ましたね(笑)。
竹内 「HEAVY META」といえば、ヘビーな作品をつくろうと思うと、アメリカ、ヨーロッパの作品には負けちゃう。そもそも体格が違うから。日本の武術は小さい人が大きい人を投げる強さがあります。作品が大きいから勝てる、というわけではないと思います。
長沢 竹内さんの作品は台風をとりこんでいるという点ではスケールが大きいですよね(笑)。
吉田 大きさ自体はそれほど重要ではないと思う。作品が大きく見えるかどうかは内包するパワーだと思う。画面が大きい、イコール、イメージがでかい、わけではないでしょう。
でも展示する空間の高さがあれば、高さのある作品を作りたいと思うし、空間を支配したいとも思う。作品が持つうねり、パワーを表現したい。それを感じる作品もあれば、波長があった人にだけ伝わる場合もあるでしょう。画面が大きくても小さくても作家の労力は同じだと思います。
岡村 ぼくは大きさ、重さは、表現の一部分。絵にとって絶対的ではないけれど、ぼくにとっては重要です。そこに置かれているという事実はとても重要なんです。なぜ大きいのが描きたいのか考えていて、子供のころを思い出しました。僕が小学1年の頃、町内に映画館があって、そこで「地球の最大の決戦」をやっていました。(映画館の)幕が開いてゴジラの足が出てきて、とても衝撃をうけました。「世の中には計り知れないものがあるんだ」って思ったんです。自分たちの力の及ばないものへのひそかな憧れがあったから。僕は大田区の生まれで、飛行場でジャンボジェット、港でタンカーをみて育ちました。だから、大きさ、重さを重要だと思うようになったのかも?スクリーンでゴジラの足しか映らない、部分しか映らない、それって僕の絵と同じだな(笑)。映画のワンシーンみたいで、インパクトがあるでしょ。知らないことへの憧れの表現かも?
吉田 お台場でガンダム展があって、ガンダム世代の僕にとっては、「1分の1だったらこうなんだ、実物ってすごい」って感動しました。子供のころ受けたインパクトって、18歳の頃のアートに影響が出てくるんじゃないかな。子供のころは、わけのわからないものを認識できて、大人になった今はそれらを再構築しているのかも。
長沢 おれは「ブルースリー」。「燃えよドラゴン」で、ブルースリーが戦って相手を倒したあと、物哀しい顔をふっと見せる。ブルースリーは超人的な強さを持っていて、しびれてしまう。でも僕の作品の中にも、ブルースリーに似て、どこかに「はかなさ」があると思う。
峰岡 僕は欲しかったおもちゃを買ってもらえなかったとき、模写をして満足していました。ヒーローに悪者をやっつけてもらいたいといつも思っています。「北斗の剣」が好き。勧善懲悪。正義は勝つ。小さい頃からその構図は埋め込まれています。
吉田 日本画は勧善懲悪な気がします。抽象画を書いていたころ、いろんな素材を使ったら、そのとき教授に「日本画絵具が泣いている」と言われました。絵具の使い方にルールがある、という発想が「終わっている」と思いました。そこでのルールは凝り固まっていて、違うことをすると絶対だめと勧善懲悪的にきられるのはむかついたし、そういう世界になじめないと思いましたね(苦笑)。

(トークイベントの一部抜粋)

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