ミサワクラス▶PLAY

川上謙 + 黒田良太

写真=瀬野広美、ミサワクラス

TRACK-01 空洞化する街

空洞化する街

はじまりは、東北芸術工科大学の馬場正尊ゼミがはじめた『山形R不動産リミテッド』。その活動は、母体となる『東京R不動産』と同じで、街に眠っているユニークな〈空き物件〉を発掘する行為を通して、都市の抱えている問題を浮き彫りにしていく作業だった。しかし、僕たちのホームタウン・山形の街を調査していくうちに、トーキョーにおける〈R〉と、ヤマガタにおける〈R〉との間は、実際にはかなりの落差があることに気づく。想像していた以上の物件が続々と出てきて、そのほとんどが5年以上も空いている状態。まるで街全体が巨大な空き家のような状況だ。宅地は郊外にどんどん移動し、中心街は空洞化している。それによって商業も衰退し、「テナント募集」の看板がたくさん掲げられている。果たして、こんなにも生々しい街の現実から目をそらして、気楽に〈物件探し〉に興じていていいものか? いや、そもそも物件探しという行為そのものが成立しないように思えた。(黒田)



TRACK-02 交渉こそ重要

交渉こそ重要

僕たちはまず、自分たちがそのような空き物件に暮らしてみることを通して、空洞化しつつある山形の街に向き合うことにした。そのために見つけたのが本町の『三沢旅館』。厨房やトイレ、風呂はシェアすることにして、客室を個室として利用する。ちょっと変わった〈シェアアパート〉のイメージだ。さっそく交渉がはじまったが、ビルのオーナーは5年以上も無人化した建物に高い固定資産税を払い続けていたのに、僕たちの提案にはじめは賛同してくれなかった。「協力したいけどなかなか難しいね―」。問題はお金だ。何度も企画書をつくり、プレゼンを繰り返し、やっと話が進みはじめたのは、きちんと建設業者に初期投資に関する見積りをとってもらって、賃貸物件としての利益回収率を示してからだった。こんな交渉は学生としての判断領域を少々超えていたけれど、明確な数字に落とし込まなければ、不況の地方都市では何も進まない。最終的にリノベーション時の内装のデザインプランも大幅に変わってしまった。でもこの辺のリアル感が都市部のR不動産と違うところ。僕たちは賃貸交渉が実現したことをひとつの成果として、とにかく三沢旅館での共同生活をスタートさせたのだ。(黒田)



TRACK-03 孵化器のような建物

孵化器のような建物

三沢旅館は木造の建物で、構造や消防法などに留意しさえすれば、壁や床に自由に手を加えることができた。現在でも、僕たちはオーナーの理解もあって、暮らしながら少しずつ建物内部のリノベーションを進めている。共同生活なので、キッチンやトイレの共有にはいろいろと気を使う。その分、プライベートな空間ぐらいは、自分の思い通りにしたいという欲求が溢れ出てきて、かつて客室だった個室はそれぞれが好き勝手にいじっている。もともとアパート仕様ではないので、不便な面も確かにあるが、考えようによってはここはありきたりのアパートとは違って、制約に囚われることなく、僕たちの溜まったリノベーション欲求(?)の放出を受け止めてくれる柔軟さをもっているのだ。〈暮らし〉と〈リノベーション〉は同時進行。その分、空調設備とか収納とか、普通のアパートならちゃんと備わっている機能はあまりよろしくない。でもそれは、ここでは生活の知恵やデザインの種だと捉えられている。(黒田)



TRACK-04 豊かな共有生活

豊かな共有生活

三沢旅館に住みついた一二人の若者は、もともと友人関係だったわけじゃない。はじめは、一緒に暮していても〈友達〉と〈他人〉の間のような関係を保っていた。その気になれば、自分の個室に籠れるので三沢旅館内での人間関係はその人次第。食事も好きな時間に好きなものを食べる。でも、自由すぎるのはかえってコミュニケーションをぎこちなくすることがわかってきた。だんだんみんなのなかで自浄欲求が溜まってきて、スケジュールを合わせて全員で食事したり、共同生活に必要な小さな家具などをつくるようになった。とにかく大切なのは、〈みんなと共に何かをする〉こと。コミュニケーションを潤滑にするためのその〈答え〉が、三沢旅館の日常をだんだん面白いものに変えていった。田舎の両親から送られてきた差し入れ食料が、いつもキッチンのテーブルに「みんなで食べて」というメモ付きで乗っている。農園でバイトしているメンバーがもらってきた高価なブドウやラ・フランスのB級品がごろごろしている(貴重なビタミン)。誰かが借りてきたDVDをプロジェクターで壁に映してみんなで観る。祭りの夜にはガレージでBBQ…。生活に足りないものの多さが、しぜんと道具や空間や時間を仲間と共有することにつながっていく。共有することが、ここでの生活の日常になっていった。(黒田)



TRACK-05 『ミサワクラス』の誕生

『ミサワクラス』の誕生

あわただしくはじまった三沢旅館での共同生活が落ち着いてくると、「生活をシェアしているだけだと、ここは単なる〈学生寮〉になっちゃうよね」という声が出てきた。この中心市街地に暮らしながら、クリエイター集団として何ができるのか? と話し合うようになっていったけれど、いったいどんなアクションが可能なのか、僕たちだけではなかなか企画がまとまらない。そこで、キッチンに大学でお世話になっているいろいろな領域の先生たちをゲストに招いて意見交換をすることにした。これが僕たちの最初の企画。その名も『スタジオキッチン』。R不動産の馬場正尊さん、みかんぐみの竹内昌義さん、アーティストの中山ダイスケさん、デザイナーの坂東慶一さんなど、そうそうたるメンバーが、キュレーターの宮本武典さんの呼びかけで三沢旅館に集まってくれた。みんなで同じテーブルを囲んで食事をしながら議論し、まず決まった大事なことは、僕たちをたんに〈三沢旅館に暮らしている若者たち〉ではなく、コミュニティー、プロジェクト、インキュベーションサイトとして捉えなおすための新しい〈名付け〉をおこなうことだった。三沢旅館に〈暮らす〉、そして学びの〈学級〉、住まい方に求めていきたい〈あるレヴェル〉など、いくつかの意味を含んで、そのとき『ミサワクラス』は誕生したのだった。(川上)



TRACK-06 街へのアピール―ロゴとネオン

街へのアピール―ロゴとネオン

『三沢旅館』改め『ミサワクラス』での生活がはじまったが、建物の入口に掲げられた表札はあいかわらず『三沢旅館』のまま。そのせいで、町内会の人たちからいつまでも同じ質問をされる。「賃貸契約はどうなっているのか?」、「誰か代表はいるのか?」。おそらく本町のほうでも、不思議な共同生活をはじめた若者たちをどのように理解し、迎え入れたらよいのかいまひとつ掴めなかったのだと思う。そりゃそうだ。こんなスタイルで若者が街中に入り込むことは稀なこと。僕たちはこのプロジェクトの主旨や、一人ひとりの顔を地域に知ってもらう必要があるのだ。そのために僕たちは、大学の支援を得て、まず版画の大学院生にお願いして『ミサワクラス』のロゴをつくり、それからここでの日々の暮らしを公開するウェブサイトを立ち上げた。暗かった建物の入口には、ネオン管による『ミサワクラス』の文字を表札代わりに取付けた。道行く人は、シンボリックに輝く六つの文字に、この街の変化の兆しを感じたに違いない。ここから何かがはじまるのだ。(黒田)



TRACK-07 ケンチクテキカグノススメ

ケンチクテキカグノススメ

一二人も一緒に暮らしていれば、キッチンはいくらひろくたってすぐに散らかってしまう。食器、食材、調味料、その他モロモロの物品が散乱し、誰のものなのかも分からない。そんなカオスを解消すべく、共同で収納付きのテーブルセットを製作することにした。せっかくつくるからには、完成したら『オープンスタジオ』の企画にして街の人たちにミサワの内部を見てもらおうということになった。さて、ミサワクラスでしかつくれない家具とは? 試行錯誤の末、そのままミサワクラスの建物の形をしたユニークな建築的家具が完成。ひとり一人の椅子の座席の下には、蓋付きの収納箱が設けられ、個人の食器や食材が入れられるようにした。このテーブルセットの登場により、キッチンのカオスが解消したのはもちろん、建物のなかに建物があるような、面白い風景がキッチンに出現した。これはまるで〈日用使い〉のインスタレーションだ。(川上)



TRACK-08 仮設的な建築? いやそれはアートなのだ

仮設的な建築? いやそれはアートなのだ

新しくなったキッチンでの雑談が、次々と新しいプロジェクトのアイデアを生む。誰かが、「隣の空きビルをどうにか活用できないか?」と言った。ちょうど秋には『山形国際ドキュメンタリー映画祭』の開催が予定されていた。ミサワクラスの存在をひろく知ってもらうには絶好の機会だ。さっそく隣の『三共ビル』を不動産屋さんに開けてもらって、映画祭事務局の高橋さん、キュレーターの宮本さんとともに現場で何ができるかを話し合った。そして生まれたミサワクラスの次なるミッションは、映画祭に集まる海外からの長期滞在者のために、このカビ臭いビルをまるごと無料の宿泊施設『アジアハウス』として利活用するというもの。この決定からのミサワクラスの現場仕事はとても瞬発力があり、宮本さんのディレクションのもと、ものすごい速度で三共ビルの再生が進んでいった。プロジェクトは街に与えられたものだけれど、僕たちはそれにどんな意味があって、どう面白いのか、瞬時に嗅ぎ分け、決断し、作業を楽しんだ。10年間も重く閉ざされていたシャッターがガラリと開けられ、路面から眩しい光が差し込んだかと思うと、二週間後には三共ビルはアジアハウスに生まれ変わっていた。一階には馬見ヶ崎にある『Café Espresso』の全面協力のもと交流カフェを、二〜四階はドミトリースペースに、地下はシアターに改造された。路面側の窓には全体に映画のワンシーンを印刷したスクリーンを取付けて﹇写真15﹈映画祭へのオマージュとした。僕はこれら全体をして『インスタレーション・アーキテクチャ』と勝手に呼んでいる。それは建築であり、アートであり、コミュニケーションの場であり、再生行為である。恒常的な建築ではなく映画祭とコミットした仮設的インスタレーションなのだ。(川上)



TRACK-09 〈R〉の嗅覚

〈R〉の嗅覚

ミサワクラスのメンバーは、大学で建築や絵画、グラフィックデザイン、鍛金、陶芸、漆工芸などを学んできた。共同制作の際には、当然それぞれが得意な分野で力を発揮する。集客イベントのプランニング、フライヤーなどのデザイン、施工作業、各種の交渉ごと… メンバーのプロジェクトへの多様な関わり方が、ミサワクラスの仕事を多義的なものにしていく。けれどもプロジェクトの全体を貫くのは、R不動産から受け継がれた「打ち捨てられた空間やモノの創造的活用」だと思う。アジアハウスの仕事にしても、制作費用は潤沢ではなかったけれど、閉館になった映画館『シネマ旭』にお願いして椅子を無償で提供してもらったり、中山町のカーペット会社『穂積繊維工業』では社長のご厚意で、工場内の整理をお手伝いする代わりに質の良いカーペットを安価で譲っていただいた。予算はない。でも〈R〉的な嗅覚やアンテナを張り巡らせてアジアハウスをつくるための素材を収集していった。建物の内装も、新しく何かを付け加えるのではなく、まずは徹底的に余計なものを削ぎ落とす。朽ちた土壁や建具を取り除き、さわやかな風を通した。ベッドは運搬用の木製クレート積んだもの、布団はメンバーが他のプロジェクトでお世話になっていた肘折温泉から無償でいただく。お金をかけずに身体を動かし、街の人たちと関係をつくっていけば、しぜんと心地よい空間が用意されていくものなのだ。(川上)



TRACK-10 ドキュメンタリストたち

ドキュメンタリストたち

山形国際ドキュメンタリー映画祭のために僕たちが完成させたドミトリー・アジアハウスは、メイン上映会場である『az七日町』のすぐ隣にあり、映画漬けの一週間を過ごすには最高の立地だ。一階のカフェはドミトリーの宿泊者だけでなく、たくさんの映画関係者や運営スタッフが利用してくれた。ミサワクラスは山形にある。ここはほんとうにローカルな場所だけれど、映画祭期間中はアジアハウスを起点に国境を越えたネットワークがつながり、国籍不明な場所へと変貌していった。そしてアジアハウスの地下では、毎晩日替わりで、多彩な講師陣による『再生』をテーマとするレクチャーがおこなわれた。大学からは馬場さんと、民俗学者の赤坂憲雄さんがそれぞれの地域にける再生のプロジェクトを語り、映画祭からはアメリカの女性監督スーザン・モーグルによるセクシャリティーに関する映画論、アマン・カンワルが語るビルマの民主化運動の記録、キドラット・タヒミックによる儀礼的なヴィデオインスタレーションなど、重厚な映像と言葉が交錯する。そして、越後妻有アートトリエンナーレのディレクター・北川フラムさんも山形まで駆けつけてくださった。このレクチャーでミサワクラスが受けた知的な刺激は半端ではない。(川上)



TRACK-11 アーティストのショーケース

アーティストのショーケース

嵐のようなドキュメンタリー映画祭が終わり、ミサワクラスは放心状態。映画祭の国際的な知的サークルに加えてもらったことは、僕たちの視野を飛躍的にひろげてくれたけれど、さてその〈気づき〉をどのように次に展開させていけばよいのか?そんな問いを抱えたまま、とりあえずは、せっかく再生させたアジアハウスをメンバーのアトリエとして継続使用することにする。冬に大学で開催される卒業制作展にあわせて、メンバーの作品をアジアハウス内に展示することも決まった。タイトルは『I’m here. APT(アパートメント)』。アジアハウスを〈アートの住処〉として捉え直し、地域とコミットしていくのではなく、どちらかというとこれまでの刺激をちゃんと個々人の制作に落とし込もうというコンセプトだ。といっても、ビルのなかで籠ってつくっていてもつまらないので、再びシャッターを開けて、僕たちの制作風景を街の人々にガラス越しに見てもらうことにした。アートが生まれる現場の〈ドキュメンタリー〉だ。メンバーの根本裕子が粘土をこねて陶器の作品をつくる。古川紗帆が毛皮の作品を縫製している。後藤拓朗が壁に絵を描いている。キッチンのテーブルセットもアジアハウスの一階に移設して、企画会議や資料作成などもここでやっていく。路面から見ると、さぞ不思議な集団に感じられただろう。「僕たちはミサワクラスとして、この本町でクリエイションを楽しんでいるのだ」と、どんどん地域にアピールしていきたい。ここがアーティストの拠点として継続し、街なかの『アーティストのショーケース』として機能していったら面白い。(川上)



TRACK-12 満員御礼… そして見えてきたあらたな課題

満員御礼… そして見えてきたあらたな課題

『I’m here. APT』のレセプションパーティーは、このおんぼろビルが〈東京の満員電車〉になるくらい人が集まった。メンバーの新関俊太郎がプロデュースしたパーティーフードは、彼の実家の老舗漬物店とコラボしたミサワクラスとアジアハウスの形状をしたオードブル。つまり、〈食べられるミサワクラス〉だった。ミサワクラスがつくってきた場所、関係、アクションを、それを支えてくれた地域の人、先輩、業者さん、先生、他大学の学生、ボランティアスタッフと共に食し、そのエネルギーを街に伝播させるためのパーティーだ。ごった返すアジアハウスの各フロアでめいめいお酒や食事を囲むなか、新しいメンバーの加入やプロジェクトの可能性も生まれた。これまで街にはアートやデザインを指向する若者たちのための場所はなかった。そんな疲れはじめた街に入り込んでいった僕たちミサワクラスは、はじめは小さな共同スペースだったけれど、このパーティーでそれがもっとひろがりのある、共有の場として認知され期待されていると実感することができた。こんな展開をいったい誰が予測していただろう? けれども個人的には、僕は自分の存在意義をあらためて問われているように思えた。ミサワクラスやアジアハウスの設立ための共同作業で、僕は建築を学んできたはずなのに、現場作業ではまったく戦闘能力がなかった。この一年間、テンションが下がるくらい悩んだが、結局のところ〈力〉を得ようとするかどうかは自分次第なのだ。実践的なスキルを身につけるためには、大学ではなく、実社会での下積みが必要なのは理解している。けれど、僕は今すぐにでもそれが欲しい。個人作業では生まれなかった闘争本能。あらたなモチベーションが共同制作によって発生したのだ。(黒田)



TRACK-13 ミサワクラス▶PLAY

ミサワクラス▶PLAY

僕たち一二人が三沢旅館で、『ミサワクラス』としての生活をはじめてから一年が経とうとしている。ミサワクラスのメンバーとは、なんだか奇妙な関係になってきている。友達よりもっと親密で、でも家族未満の自立した関係。共同生活をしていくことで大切なのは、あたり前だけどみんなの意思をちゃんと尊重し、共有すること。ミサワクラスには一二通りの価値観が存在している。美意識、アート観、時代観、人間観… アートやデザインを学んできたのだから、そのこだわりもプライドも高い。誰かの考え方を強要するのではなく、「みんなの考えをみんなが知り、分かり合う」ことが前提なのだけど、いざプロジェクトをカタチにしようとするときに、話し合っているだけでは前に進まない。それがすごく悩ましい。分かり合っていくことが、何か表現とダイレクトにつなげていけないだろうか? 僕と黒田が『I’m here. APT』で発表した『ミサワクラス▶PLAY』は、そんな「みんながひとつになる方法」をそのまま作品化する試みだった。みんなを理解することが、僕の予測を遥かに超えたところに『ミサワクラス』を連れて行ってくれるはず。そこに僕たちの次のステージがあるのだ。そんなワクワクする期待を込めて―リプレイ、ミサワクラス。(川上)

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