インターローカルな芸術祭が社会に与えるインパクトについて

北川フラム

講演採録=2009年10月13日夜・アジアハウス地下
写真=宮本武典+瀬野広美

『アジアハウス(旧三共ビル)』地下スタジオでの講演風景

『アジアハウス(旧三共ビル)』地下スタジオでの講演風景

新潟の『大地の芸術祭』(注1)は1996年から構想がはじまりました。もともとこの芸術祭は、新潟における六市町村の大合併から派生したプロジェクトです。新潟全体を12の広域圏として捉え、長岡、新潟、私が生まれた高田などを中心に合併が進められて、最終的には112の市町村が現在は約30に統合されました。
 平成以降、市町村の合併は行政活動を効率化させるために全国でさかんにおこなわれているわけですが、当然そこにはいろいろな問題が起こります。まず、合併してできたあたらしい自治体をどのように名付けるのか? これは最初に突き当たる難しい調整ですね。
 この芸術祭を『越後妻有アートトリエンナーレ』と名付けたのは私ですが、『越後妻有』は実は地図にない場所なのです。『妻有(つまり)』とは平安時代の荘園の名前です。古く遡ることで名付けのハードルを何とかパスしたわけですね。
 さて、私がこの地域に関わりはじめた1996年当時、日本には三千二百程の市町村がありましたが、現在は1800程度、だいたい半分になりました。国がやろうとしているのは、全国の市町村を〈行政の効率化〉の名のもとに、中核都市を人口20〜30万に設定し直して、最終的にはだいたい300〜600市町村くらいを目標に合併させていくことです。
 しかし、例えばフランスの人口は日本の半分よりちょっと多いくらいですが、1万程度の市町村があります。人口が少ないところでも、行政単位として小さな村々をちゃんと残してあるのは、「固有の歩みをしてきた地域の文化的なアイデンティティはそのまま残すべきである」という考えがあるからです。日本はそれを捨ててきた。今日は『大地の芸術祭』をモチーフに、この〈効率化〉という大問題についてみなさんにお話しするつもりです。



. 〈創造都市〉の誕生と均質化する世界

アントニー・ゴームリー『もうひとつの特異点』越後妻有アートトリエンナーレ2009

アントニー・ゴームリー『もうひとつの特異点』
越後妻有アートトリエンナーレ2009

さてヨーロッパでも、この間にECからEUになり、経済から政治を含めた一大共同体をつくりました。そのなかでギリシャがいちばん貧しい国だったのですが、EU加盟時のギリシャには、『日曜はダメよ』という映画に出演した元女優のメリナ・メルクーリ(注2)という文化大臣がいた。彼女は軍政の中で逮捕・投獄され、ギリシャが民主化されたとき文化大臣になった気骨の人なのですが、EUの共同体形成の議論のなかで、「政治経済的な共同体というのは良いだろう。しかし〈文化〉だけはそうはいかないのではないか? ヨーロッパとはもともと各地で成立した都市国家の集合体なのだから、それぞれの都市にある固有の文化を尊重すべきだ」と主張したのです。
 確かに、ギリシャのないヨーロッパはヨーロッパじゃないという気がします。なにしろ人類史における最初の都市ですからね。いちばん貧しい国の文化大臣だったメリナ・メルクーリのこの主張が、今日のヨーロッパの強さの一つになっているわけです。アメリカに端を発した世界的な効率化の流れのなかで、ヨーロッパは異なるベクトルを示した。『欧州文化首都』(注3)を提起し、それをEU圏内のいろいろな国や都市が相互に応援し、連携しあう関係が生まれていったのです。
 そうした流れのなかでヨーロッパの街づくりに『創造都市(=クリエイティブシティ)』(注4)という概念が出てきた。とりわけ有名なのは、フランスの都市・ナントを中心とする文化圏ですね。ナントはロワール川の河口にある人口28万人の都市ですが、サン・ナザーレという上流の街から河口までに暮らす約80万人を文化的な共同体として捉えてた『河口プロジェクト(ESTUAIRE NANTES―SAINT-NAZAIRE)』(注5)
を2年毎に開催しています。また、古いビスケット工場を『リュ・ユニック(Le Lieu Unique)』という先鋭的な文化センターにリノベーションしたり、この街を拠点とするアート集団『ラ・マシン』(注6)が、昨年は横浜に巨大な機械仕掛けのクモを歩かせたりと、文化・芸術による街づくりや世界の他の創造都市とのネットワーク構築において世界をリードしています。
 こうしたナント市の動きは、1989年にジャン=マルク・エロ(注7)という市長が、おそらく世界ではじめて文化・芸術による街づくりを唱えて当選したことからはじまりました。エロが文化政策を唱えた当時のナントは、河口に位置する典型的な街として造船などの重工業を主産業にしていましたが、それが時代の流れのなかで軒並み駄目になり、経済的に息も絶え絶えの状態だった。そんな疲弊した街を、彼は文化・芸術によって再び立ち上げたわけです。
 今日における文化・芸術活動は「その地域に流れる固有の時間をどう組織するか」という一言に尽きると思います。そうでない限り、ぜんぶ一律に都市化していく時代です。二一世紀は都市の時代でした。都市は万能であり、全てを解決してくれると私たちは信じてきた。けれども、どうも都市は地球環境によろしくない。そして、ジョージ・ブッシュの時代において、都市は〈世界〉とパラレルに、「すべてが一元化されたほうが効率いい」という正義によって成立しているということがわかった。
 ブッシュのアメリカがやろうとしたのは、冷戦の構造が終わり、世界が多様なものと認識されたときに、(彼らから見て)グチャグチャになっていた生活や、思想や、宗教の違いを効率よくまとめていくことだったのですね。その違いを越えるための手間や相互理解の時間をとっぱらい、アメリカはグローバルに世界基準をつくろうとした。どんどん中央集権化していく都市を支えるために、みんなを一元化し、均質化し、まるでロボットのようにつくり変えようとしていったわけです。



. ミッションなき日本

鉢&田島征三『絵本と木の実の美術館』越後妻有アートトリエンナーレ2009

鉢&田島征三『絵本と木の実の美術館』
越後妻有アートトリエンナーレ2009

 日本の向かっている方向もアメリカと同じですね。私はほとんど救いようのない国だと思っています。まず教育でいえば、基本的に五%の主導層と20%のテクノクラート(これには主導層の5%も含まれる)、そして80%の置き換え可能な労働力をつくる―これが今の日本の基本的な教育方針ですね。マニュアルがあれば働ける人間を養成している。
 日本はこの60年間、たまたまの冷戦構造のなかの、たまたまの地政学的位置によって〈世界〉の富をとにかくぜんぶ集めた。まあ、私より上の世代の人たちは頑張ったと思いますが、その〈たまたま〉に依拠した戦後生まれの世代は、ほんとうに何の努力もしないで生きてきたというのが私の実感ですね。
 明治期の日本は世界のなかでもダントツで学力が高かったはずです。戦後もそうだったでしょう。しかし今や40位くらいですかね。トップが40位に転落するというのは、要するに「何もしなかった」ということ。つまりミッションが何もなかった国なのですね。省庁はとにかくお金を減らしたくない、だから予算だけは勢力争いをして確保する。それが各省庁の力の根源でした。そして、今や政府も省庁も、「無駄遣いをやめる」という情けないミッションしか共有していない。
 農業についても深刻ですね。現在、主食ベースで日本の食料自給率は40%を切っている。そんな先進国はありませんよ。フランス、イギリス、イタリア、ドイツなどは100%以上の自給率を保持しています。ヨーロッパの先進国はみな農業国なのです。けれども私たちの国は、約30年前からアメリカとのバーターで主食ベースの40%を切ってでも農業を捨てました。国が「とにかく農業をやめなさい」と指導したのです。
 まずかったのは、そのときに国が「農業をやめたらお金を出す」といういい方をしたのです。貰うのは当たり前ですよ、国が出すといったら。私たちは私利私欲の徒です。お金をくれるといわれれば手を出す。だけどその瞬間に、私たちはいろいろな大切なことを捨てざるをえないのです。これが実際にあったのが夕張(注8)ですね。「お金を払う」といわれて炭鉱をスッパリと切り捨てた。しかし、お金をもらった瞬間から、夕張市は何もできなくなって自己破綻に追い込まれていくわけです。これが戦後の日本でずっと続いているシステムですね。金がなければもっと知恵を絞って工夫をせざるをえなかった。けれども私たちの国はアメリカの稚児として生きることで、世界の富を集めることができた。だから何でもお金で解決する体質になり、次第にアイデンティティを失っていったのです。
 黒潮に囲まれた、アジアのなかにある小さな列島で、私たちはどう生きていくべきか? 地球環境がどんどん厳しくなっていくなかで、価値観そのものが歪みはじめているときに、どのようなミッションを持つべきか? そのような問いを持ったとき、「もう私たちには〈地域づくり〉をやるしか道がない」というのが私の偽らざる実感です。現に今、経済産業省は地域活性化に助成金をさかんに出していますが、国家の戦略として考えてみると、これは非常に悲惨な状況ですね。〈地域づくり、街づくり〉は、とても美しいこと、有難いことのように思えるかもしれませんが、もうこれしかないからやっているのです。



. 〈妻有〉という土地を拓く

NGOファー・ポンルー・セルパク『カンボジア、ぼくらの村で』公演風景越後妻有アートトリエンナーレ2009

NGOファー・ポンルー・セルパク『カンボジア、ぼくらの村で』公演風景
越後妻有アートトリエンナーレ2009

 さて、以上のような前提の中で、いよいよ本題の『大地の芸術│越後妻有アートトリエンナーレ』がどのような背景をもって実現していったのかお話ししましょう。私は越後妻有で1996年からいろいろな活動を通年で続けていますが、そのなかで『大地の芸術祭』はトリエンナーレ形式を採り、3年に一回の大きな祭として開催しています。
 今日はここ山形でもドキュメンタリー映画祭(注9)を開催していますね。私にしてはめずらしくはやく会場入りできて、少し時間が空いたものですから、実はさっきまで上映会場をいくつか案内してもらって、ほんの30分程度だったのですが小川紳介監督の『ニッポン国・古屋敷村』(注10)を観てきました。そうしたら意外にも会場がものすごく混み合っていて、若い人たちがたくさん観にきていた。
 それで嬉しくなってちょっとテンションが高まっているのですが、越後妻有は要するにこの映画で記録されていた山形の村と同じですね。近代化のなかで農村の担い手が労働者として都市に流出する、あるいは戦争に農家の次男三男が駆り出される、戦後になったら教育の機会を求めて若者たちが都市に流れていく…と、ずっとお国の発展のために喜んで我慢してきた地域なのです。
 ところが1980年代に入って、合併前の六つの市町村のうち2つが、お年寄りの自殺率ベスト5に入ってくるようになった。現在は秋田県の自殺率の高さが社会問題になっていますが、地方の中山間地域で農業をやっている地域はみんな似ています。しかし、お年寄りの自殺率が高いのは新潟の山奥や秋田などの東北に集中している。先祖がものすごい苦労をして、田畑を切り開いてきた地域ほど自殺率が高いのです。
 越後妻有は人口が3万人以上住んでいる場所として、世界でもっとも雪が深い地域です。雪がたくさん降る地域は他にもあるけれど、そんな山深い豪雪地帯で米づくりはやっていない。雪が深いということは日照日数が少ないのですね。お米は日照日数が100日はないと駄目ですから、それはもうたいへんな労力をかけて日当りの良い山の斜面に棚田を拓いてきたのです。
 今でも妻有では峠の上にたくさんの集落があり、山の下まで棚田がずっと続いている。米づくりの経営としては労働効率がめちゃめちゃです。こんな山のところでこれだけの田んぼを未だ維持しているのは、つくづく不思議だと思います。
 しかし、2004年10月にこの地域に深刻な被害をもたらした新潟県中越地震のとき、国の指導で「労働効率がいい」とか「疲れないで済む」といって、圃場整備を入れた耕作地や農道は全滅しました。しかし地域のおじいちゃんたちが長い時間をかけてつくってきた田んぼは崩れなかった。それが棚田です。地下水脈は当然のこと、モグラ道まで熟知してやっているから崩れないのです。
 この地域を拓いた人々は、伊勢や尾張の一向宗(注11)の門徒たちの子孫です。彼らは一向一揆の乱で、越前越中でついに織田信長と豊臣秀吉の軍勢に破れ、命からがらこの山奥の大降雪地帯に逃れてきた。そして権力者たちから隠れながら死にもの狂いで田んぼをつくってきたのです。
 近世において山間部に移り住んだ人たちは、別に悪事を働いたわけではなく、様々な謂われがあって権力中枢から疎外されていた。そこで生きていくしかないから、森を拓き、水路や集落を築き、棚田や瀬替(注12)といった大規模な造成を繰り返して現在の里山をつくりあげてきたわけですね。
 そんな彼らに追い討ちをかけているのが、小泉政権がはじめた構造改革です。ここでの〈効率化〉とは、簡単にいうと「そんな不便な集落に住むのはやめましょう」ということですね。雪深い山奥で農業なんか続けられたら農道整備も除雪も大変だという。
 この地域は760平方キロメートルで、琵琶湖よりも少し大きい程度。そこに約200もの集落があり、12月の後半から5月の連休くらいまで雪に閉ざされたなかで助け合いながら生きてきたのですが、いったん車社会になった日本で、「除雪しません」といわれたら生活は成立しないですよ。しかも、政府は夕張の炭坑と同じで、「住むのをやめるなら500万円を払いますよ」とささやく。そういうレヴェルでの効率化を行政がやりだしたときから、この地域は急激に厳しくなっていきました。
 現在、妻有の高齢化率は歯止めが利かなくなってきている。村のお年寄りは自分たちの息子たちの世代まではなんとか踏みとどまってくれるだろうけども、その後この地域は無くなるだろうと、考えたくはないけど思っています。少なくとも農業は成り立たなくなる。
 先祖代々暮らしてきた土地に、誰も住まなくなる寂しさはちょっと絶望的です。自分の親や先祖のお墓を守れなくなる、あるいは集落そのものが無くなるという現実に対して、ほとんどの人はアイデンティティを喪失するわけですね。これがお年寄りの自殺率の高さにつながっているわけです。
 しかし、彼らはこの過酷な環境を手で拓いて、美しい棚田や集落を守ってきた。それはすごいことです。今日、地球環境がますます厳しくなっていくなかで、確かに効率は悪いかもしれないが、それは私たちのあたらしい生き方を指し示すヒントを与えてくれるはずだ。妻有はそんな素晴らしい場所だと私はいいたかった。そのことを、時間を遡って見せる装置として〈アート〉の有用性を考えたいと思ったのですね。これが僕にとっての『大地の芸術祭』の出発点です。



. 大地の芸術祭がはじまった

松澤有子『enishi(制作風景)』越後妻有アートトリエンナーレ2009

松澤有子『enishi(制作風景)』
越後妻有アートトリエンナーレ2009

 『大地の芸術祭│越後妻有アートトリエンナーレ』は、第1に場所の力を表す仕掛けとしてアートを使いました。ただし、サイトスペシフィックなアートは〈他者の土地〉でつくられるので、当然のことですが、住民からの反発が起こります。けれども反対や批判のなかで勉強し、地域社会とコミュニケーションを取りながらプロジェクトを進めていくと、だんだん人や土地とのつながりができてきます。これが2つ目。
 3つ目に、それが面白いアート作品なら観客が集まる。音楽や映画と違って、アートというのは極めて空間的なものですから現地まで足を運ばないと分らないのです。4つ目に、観客がどんどん動いていくことによって地域が開かれ、観光事業として成り立つようになり、結果的に村が元気になるのです。簡単な説明ではありますが、以上が地域活性化においてアートが起こしうる4つの流れです。
 今日では、そういう力が確かにアートにはあると大地の芸術祭は証明しているのだけれど、「アート」と発した瞬間にみんな一斉に大反対しますね。妻有地方には当時の六市町村でちょうど100人からの議員さんたちがいましたが、見事なまでに芸術祭開催には全員反対でした。第1回目のトリエンナーレは2000年7月25日にオープンしましたが、その前の月の6月15日まで議会のOKは出ませんでした。OKが出たとしても、開催まで実質1ヶ月で準備できるわけがない。だから結果的には「やめろ」といっているのと同じです。「今からでもやれるものならやってみろ」という話ですね。ですから行政だけに頼らないで、2年間かけて自前で準備を重ねて苦労してやっと開催にこぎつけたわけです。
 もうちょっと苦労話をすると、ほんとうに大変だったのは、4年半かけて開催予定地域をまわり、2千回を超える説明会をおこなっても、住民の方々にまったくオーサライズされなかったことです。2千回ですよ。それが最終的には、オセロゲームのように黒が白にひっくり変わっていった。あれだけ根強く反対していたのに、みんな面白くなりだしたのです。
 特に四回目となる2009年の今回は爆発的に変わりました。行く先々でお年寄りが作品や自分たちについて語ってくれるようになった。観客たちは夏の里山をめぐりながら、各地域に根ざしたアート作品だけでなく、その集落のおじいちゃんおばあちゃんたちの元気な姿に出会っていく。これが従来の美術展とはまったくことなる性格を大地の芸術祭に与えているのです。
 越後妻有という山のなかに、この夏は一泊二日の滞在を平均として、三七万を超える人々が来てくれました。これは奇妙な話ですが、私も手伝っている『横浜トリエンナーレ』(注13)という、日本最強の自治体・横浜市が主催し、なおかつ外務省や国際交流基金、朝日新聞やNHKともタッグを組んで行政やメディアによる後方支援も万全、何よりも東京からも半日で観にこられる場所で開催された芸術祭よりも、大地の芸術祭は観客動員数で上回っているのです。
 それにはいろいろな理由があると思いますが、私はその1つに、里山のお年寄りの元気な姿があると思っています。さきほど僕は街づくり、あるいは地域再生に関わらざるをえない時代で、お年寄りたちの喜ぶことをとにかく私たちはやるしかない、それがこの『大地の芸術祭│越後妻有アートトリエンナーレ』の出発だといいました。では、おじいちゃんおばあちゃんの〈喜び〉とは何だろうか?
 若者だったら賑やかな都市に出て、いろいろな情報を漁ることが面白いでしょう。都市がつくり出す様々な興奮や刺激、あるいは消費行動に惹かれるでしょう。しかしそれは瞬間的な気晴らしにはなっても、お年寄りにとってほんとうの喜びではない。おそらくほんとうの喜びとは、若い人たちが地域のなかで頑張ってくれたとか、自分たちが守ってきた暮らしや風景にはちゃんと意味があったのだとか、思い出すと沸々と心に湧き出てくるような静かな充足感が、私が考える〈持続的な喜び〉なのですね。
 私たちは砂を噛むようにこの時代を生きている。そんなとき、ふと自分の足元を見つめて、「これからどう歩くか?」と考えたときに、妻有の人々が守ってきた里山の景観は、ほんとうに見事なものとして胸に迫ってくる。これまでのお年寄りたちの頑張りを寿ぐ(ことほぐ)ことをちゃんとしながら、地域文化や芸術こそが宝であると、眼の前に確かに在る歴史をきちんと見て認識すること。そこからしか私たちは再出発できない、と思っています。

●Profile

  • 北川フラム|Fram Kitagawa
  • 北川フラム|Fram Kitagawa
  • 新潟県高田市(現上越市)出身。株式会社アートフロントギャラリー代表。東京芸術大学美術学部卒業後、アートディレクターとして国内外の美術展、企画展、芸術祭を多数プロデュースする。一九九七年より越後妻有アートネックレス整備構想に携わり、2000年から開催されている『大地の芸術祭│越後妻有アートトリエンナーレ』では総合ディレクターを務める。主な役職は、財団法人直島福武美術館財団常務理事、アメリカ合衆国コサンティ財団理事、地中美術館総合ディレクター、東京都現代美術館美術資料収蔵委員、『水都大阪2009』プロデューサー、『瀬戸内交際芸術祭2010』総合ディレクター。2006年度芸術選奨文部科学大臣賞(芸術振興部門)受賞。
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  • ●Lecture Program
  • ◯〈再生のスタンス〉
  • 10月9日[金]18:30〜20:30
  • 「生まれた街を、好きな街にかえていくために」対談:馬場正尊(東京R 不動産/建築家)×阿部公和(「亀や」代表取締役社長)
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  • 10月10日[土]18:30 〜 20:30
  • 「個人史を赤裸々に映画化する」講演:スーザン・モーグル(映画監督/アメリカ)
  • スーザン・モーグル
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  • 10月11日[日]18:30 〜 20:30
  • 「インスタレーション企画からビルマの民主化運動とアートを考える」講演:アマル・カンワル(映画監督/インド)聞き手:小川直人(logue/せんだいメディアテーク)
  • アマル・カンワル
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  • 10月12日[月・祝]18:30〜20:30
  • 「映画〈湯の里ひじおり〉に見る、若者たちのいま」座談会:赤坂憲雄(東北文化論)×渡辺智史(映画監督)×肘折地区青年団
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  • 10月13日[火]18:30〜20:30
  • 「インターローカルな芸術祭が社会に与えるインパクトについて」講演:北川フラム(アートディレクター/越後妻有アートトリエンナーレ総合ディレクター)
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  • 10月14日[水]21:30〜23:00
  • 「アジアハウスの打ち上げセレモニー:キドラット・タヒミックを迎えて」パフォーマンス:キドラット・タヒミック(映像作家/フィリピン)
  • キドラット・タヒミック
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  • 注1 大地の芸術祭
  • 新潟県南部に位置する、越後妻有(十日町市と津南町)の里山を舞台に、3年に1度開催される世界最大の国際芸術祭。作品を一箇所に展示するのではなく、760平方キロメートルの広大な地域(200の集落をベース)に作品を散在させ展示している。住民たちは観客としてではなく協働者として作品に関わり、また数多くの都会の若者がボランティアとして参加するなど、アートを媒介とした地域・世代・ジャンルを超えた人々による新たな地域づくりのあり方は、新しい芸術祭のモデルとして海外からも高い評価を得ており、全国の様々な地域づくりに影響を与えている。
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  • 注2 メリナ・メルクーリ (Melina Mercouri)
  • 1920年〜1994年/女優・政治家。ギリシャ・アテネ生まれ。祖父は元アテネ市長、父は元内務大臣の政治家一族出身。1960年『日曜はダメよ』に主演し、カンヌ国際映画祭女優賞、アカデミー主演女優賞受賞。1960年代後半から軍事政権が成立したギリシャ政府を批判し、国外追放となる。1974年の軍事政権崩壊とともに帰国し、国会議員を経て、1981年、ギリシャの文化大臣に就任。1997年には、文化活動、環境保全活動などの功績を記念した「文化景観保護と管理に関するメリナ・メルクーリ国際賞」が制定された。著作に、その半生を綴った『ギリシャわが愛』(合同出版、1975年)がある。
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  • 注3 欧州文化首都(European Capital of Culture)
  • EU加盟国の中から一都市を選び、1年間を通して様々な芸術・文化行事を展開する事業。「真のヨーロッパ統合には、文化の相互理解が不可欠である」というギリシャの文化大臣メリナ・メルクーリの提唱により、1985年、アテネを最初の指定都市として発足。文化首都に選出されるには、欧州全体の文化の特徴を備えたプログラムを計画し、開催されるイベントでは、テーマ、芸術家、運営者も欧州各国から集めること。またその都市の住民参加も必須条件とされ、プログラム自身も、都市の長期的な文化、経済、社会発展に継続的な効果のあるものでなくてはならないとされる。単なる文化事業ではなく、観光客の誘引、都市開発の契機となることなどから、経済効果も大きい事業として注目されている。
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  • 注4 創造都市(=クリエイティブシティ)
  • イギリスの研究者、チャールズ・ランドリーによる『創造的都市』(日本評論社、2000年)の発表以来、世界の都市計画者たちの間で広まった都市戦略モデル。芸術や文化とまちづくりの一体化を志向する新しい都市創造の概念であり、芸術家やデザイナー、建築家など、創造的仕事に携わる人材の力で市民の創造性を引き出し、同時にグローバルな環境問題やローカルな地域社会の課題に対して、自ら問題を解決していく都市のこと。日本においても、バブル崩壊後の経済活動の縮小や、人口減少による中心部の空洞化などの問題から、地方都市の再生の切り札として注目を集めている。
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  • 注5 河口プロジェクト(ESTUAIRE NANTES―SAINT-NAZAIRE)
  • フランス・ナント市の街の中心部を流れるロワール川を、下流に位置するサン・ナザール市と組んで、河口流域約50キロメートルに渡る地域を芸術によって観光開発しようとする取り組み。世界各国のアーティストの作品を展示するなど、市民参加型の多彩なプログラムを実施する試みは、文化的な住環境を創造し、ナント市を観光都市として発展させたと同時に、従来のモニュメントの概念を越えて、観光や環境と結びついた芸術作品の新たな可能性として世界からも注目されている。
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  • 注6 ラ・マシン(La Machine)
  • フランス・ナント市を拠点に活動する、総勢50人のアート集団。1999年にフランソワ・ドゥラロジエールが、劇団ロワイヤル・ド・リュクスや他のカンパニーで、ショーのマシンを作っていた技術者や彫刻家、建築家、クリエーターと共に結成。「生命のある機械」を用いることによって「街を劇場に変える」ことをコンセプトとし、巨大な機械仕掛けの人形を用い、街中を縦横無尽に駆け回るパフォーマンスを行っている。2007年には、フランス・ナント島の「マシン・ド・リル」プロジェクトで、一般の人が乗ることができる巨大な機械の象を発表した。
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  • 注7 ジャン=マルク・エロ (Jean-Marc Ayrault)
  • 1950〜/政治家。メーヌ=エ=ロワール県生まれ。1976年にロワール・アトランティック県会議員に当選後、サンテルブラン町長、国民議会(下院)議員を経て1989年からナント市長を務める。造船業の傾きとともに活力を失っていた当時のナント市を、「文化と歴史によるまちづくり」、「造船所などの跡地を職住近接地として再生する住宅政策」、「トラム(LRT)を中心とした公共交通の構築」を軸として再建した。現在ナント市は文化創造都市のトップランナーとして世界から注目され、「フランスで最も住んでみたい都市」「欧州で最も行ってみたい都市」に位置づけられている。
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  • 注8 夕張
  • 北海道の中央部にある空知支庁管内の市。夕張メロンの産地や、映画「幸福の黄色いハンカチ」の舞台として知られる。かつては10万人以上の人口を抱える炭鉱の町として栄えたが、石炭から石油へのエネルギー政策転換により、1990年には「炭鉱の街夕張」としての歴史に幕を閉じた。閉山後、雇用の受け皿がなく、若者が都市へ流出し人口が激減。少子高齢化が進むなか、人口流出の抑止、雇用創生などを図るため、「炭鉱から観光へ」と方針転換したが、テーマパーク、映画祭の開催などといった、過大な観光開発により財政破綻。2007年には財政再建団体となっている。
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  • 注9 山形国際ドキュメンタリー映画祭
  • (Yamagata InternationalDocumentary Film Festival)
  • 1989年以降、山形市で2年に1回開催されているドキュメンタリー映画の国際映画祭。ドキュメンタリー映画監督・小川紳介の発案で、山形市制施行100周年記念事業として開催したのがはじまり。ドキュメンタリーのための映画祭ではアジア地域初のもので、アジアを中心に世界中の映画作品や監督が集まるイベントとして知られる。1990年には映画祭実行委員会が設立され、山形市と実行委員会の共催で行ってきたが、2007年からは「特定非営利活動法人山形国際ドキュメンタリー映画祭」として活動している。山形での開催の他、東京・大阪での上映会も行われている。
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  • 注10 ニッポン国・古屋敷村
  • ドキュメンタリー映画監督の小川紳介と小川プロダクションが、1982年に発表した初の長編映画。山形県上山市に移住し農業を営みながら、8年の歳月をかけて蔵王山中の戸数わずか8戸の古屋敷村の暮らしを追った作品。古屋敷村独特の冷害による凶作の原因究明からはじまり、冷害の歴史、老人たちの個人史や戦争体験など、近代化がもたらした過疎の歴史を通し、「ニッポン国」の村に生きる人々の暮らしを農民の視点から描いた。ベルリン国際映画祭国際映画批評家賞受賞。
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  • 注11 一向宗(いっこうしゅう)
  • 浄土真宗。主として他宗派からの呼び名。ことに本願寺教団を指す呼称として使われる。一向(ひたすら)に阿弥陀仏を信ずる宗派の意から、一向一念宗ともいわれる。室町・戦国時代に近畿・北陸・東海地方に起こった一向一揆では、僧侶、門徒の農民を中心に、名主・地侍が連合して、守護大名・荘園領主と戦った。90余年も加賀一国を支配した加賀一向一揆や、徳川家康・織田信長と戦った三河一向一揆などが有名。
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  • 注12 瀬替(せがえ)
  • 戦国時代末期から江戸時代にかけて行われた治水工法の一つで、河川の人工的な流路変更。山間地など耕地が乏しい地域では、少しでも耕地を確保するため、蛇行した川の流れを人工的に開削して埋め立ててつなげ、川の流路を変えることで耕地を確保した。
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  • 注13 横浜トリエンナーレ
  • 横浜市の都心臨海部を会場に、2001年以来3年ごとに開催される大規模な国際美術展。各回異なる総合ディレクターが掲げるテーマのもと、世界各地より作家を選定し、最先端の現代美術を展示。ポジウム、ワークショップなどのイベントも開催。「市民との協働」をコンセプトに、街を取り込んだ大規模な「芸術の祭典」を開催することで、文化芸術によるクリエイティブシティの実現に取り組んでいる。
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