日塔真由子「両墓制の現在 -山形県米沢市中関を事例に(抜粋)」

  はじめに 私が両墓制を初めて知ったのは、大学1年次に履修した授業の中でだった。両墓制について詳しく調べていくと、その分布は日本全土に広がっており、様々な事例が挙げられていることが分かった。しかしその反面、両墓制自体の定義の曖昧さなど、様々な問題点が浮き彫りになったままの状態で研究が進められている状況を知った。 一方、両墓制研究の対象である土葬は時代の変化とともに火葬に移り変わっていったこともしばしば目にする。現在では火葬の他にも自然葬や自由葬など様々な葬送方法が注目されてきている。 そのような変化の中、土葬を基本とする両墓制は地域の中でどのように変化し現在に至っているのか。本研究では、文献資料で遡れる昭和46年頃から今現在に至るまでの山形県米沢市中関における両墓制の変遷を検討する。土葬から火葬に移り変わる中でどのような変化が見られ、現在はどのような状態で地域に存在しているのか、両墓制の現在を知ることを本研究の目的とする。   1. 先行研究 一般的に日本の土葬墓制では、死体を埋葬したその場 所に死者供養のための石塔を建てる。しかしそれに対して、死体を埋葬する墓地と、その死者のための石塔を建てる墓地とをまったく別々に離れて設けているような例がある。そのような事例を、一人の死者に対して墓が2つあることから両墓制と呼び、一般的な事例を単墓制と呼んで両者を区別している(新谷 1991:1)。 両墓制という呼称は『山村生活調査第二回報告書』の中の「両墓制の資料」において大間知篤三が初めて使用した。この結果、両墓制という用語が成立・定着し重要な民俗ということで多くの調査結果が報告されることとなった(福田2004)。 上記のような両墓制研究の中、山形県の両墓制については各市史や報告書で事例が紹介されている。米沢市の事例については『米沢市史 民俗編』などで報告が確認できた。   2. 中関における両墓制の現在 実地調査を通して、中関では現在も両墓制を行っていることがわかった。それは遺体を直接土に埋めているということではなく、遺体を火葬し遺骨の状態にして 埋葬墓に埋めるというもので、つまり土葬を行っていたころ埋葬墓に埋めていた遺体が、火葬後の遺骨になったということである。石塔墓には何も埋めないということだった。埋葬方法に関しては、中関の住民によると「一番大きく変化したのは、ウメバカに埋めるのが遺骨になったということである」という。また遺骨の埋葬方法については「遺骨の埋め方は、骨壺をとり袋に入っている遺骨を木箱に入れ土に埋める」ということである。 山形県米沢市中関の両墓制についての文献調査は、主に和田氏の「米沢市中関集落に見る両墓制」(1971)と米沢市史編さん委員会編の『米沢市史 民俗 編』(1990)の記録によるものである。また、中関では1979(昭和54)年以降土葬から火葬に変わっており、したがって「米沢市中関集落に見る両墓制」が発行された年は中関ではまだ土葬を行っていたことを筆者の実地調査で明らかにした。 埋葬方法が土葬から火葬に変わって中関の両墓制はどのようになったのか。上記の文献資料と筆者の実地調査を比較した結果、火葬になっても大きな変化はあまりみられないことがうかがえた。   3. 両墓制の多様性 最上氏によると、埋める所と別に詣る所を設けるという仕組みができたのは、けがらわしい遺骸を葬った場所を忌みさけ、清らかな所を祭りの場所として選んだものと考えられるという(最上1980)。つまり、埋葬墓はけがれた死体を埋め忌みさける場所という意味を持っており、それに反し石塔墓は死者を祭る清ら かな場所であるということが考えられる。堀氏によれば、そのような両墓制に火葬が取り入れられると、両墓制の火葬遺骨は石塔墓の方へ納められ、いわゆる単墓化しつつあるという(堀1951)。 つまり土葬である両墓制に火葬が取り入れられると、火葬後の遺骨は石塔墓に納められ、埋葬墓を作る必要性がなくなり単墓化してしまうということだ。しかし中関における両墓制の場合、土葬から火葬に変化しても単墓制になっておらず上記のようなことは当てはまらない。 筆者の実地調査によると、中関の近くには大樽川という川が流れており、その川は暴れ川で昔はよく氾濫していたという。その頃は中関の墓は大樽川の近くにあったらしく、川が氾濫するたびに墓が流されてしまっていた。それでもなんとか先祖を供養できないか、というところから始まったのが中関における両墓制の始まりではないかということだ。しかし中関にはそういったことが記されている文献などは残っておらず、真相はわからないという。 つまり中関における両墓制の場合、最初から死穢の忌避が目的で両墓制が成り立ったというわけではないかもしれないということが考えられる。こういったことから、両墓制は その成立要因として土地の地形や自然災害などの自然現象の影響を受け成立する場合も大いに考えられ、地域やそこに住む人々によって様々な形態が考えられるのではないだろうか。   おわりに 両墓制研究は今、研究者によっては既に終わったものだという見解もある。しかしながら中関の両墓 制は、火葬を取り入れ現在も地域に根付いている。この中関における事例は、両墓制の様々な可能性の一つであると筆者は考える。今後このような両墓制がどのように変化していくのか大いに注目しなければならないと考えている。   原文から抜粋