前田美咲「東国にみる民衆の戦い -『奥羽永慶軍記』を素材として-(抜粋)」

  研究概要 藤木久志『雑兵たちの戦場 -中世の傭兵と奴隷狩り-』では、戦国の戦場で乱取りと呼ばれる掠奪行為が雑兵たちの手で行われていると述べた。また戦場の村に目を向け、乱妨狼藉に曝された民衆のたくましく生き抜く試みについて論じた。いざという時、領主や大名の城は民衆の避難所に替るとし、民衆たちの多彩な自力の風習を示した。更に藤木久志『城と隠物の戦国誌』では、民衆が城に避難する「あがり城」についても、兵の動員要請という一例もあると示した。 本研究では、東国の民衆がどのように合戦と関わっていたのかを明らかにする。これまで民衆研究の史料としてあまり注目されなかった『奥羽永慶軍記』から事例を拾い上げ、更に鮮明な「東国の民衆像」を描きだせるよう努めた。   『奥羽永慶軍記』について 戸部正直によって編纂された、戦国時代の東北地方を中心とした軍記物語である。天文元年(1532)~元和九年(1623)までを書く。   1. 乱取り 研究の結果、東国でも乱取り(人・物の掠奪)が行われていたと分かった。民衆は合戦の度に掠奪や暴力・苅田の脅威に曝されていた。しかし、同時に乱取りに参加している例も確認された。特に合戦後の落人狩りに民衆の登場が多い。 更に東国では、雑兵たちが攫った子供を養子にする、という事例も確認された。   2. 民衆の合戦 これまで、民衆の戦闘員としての合戦への参加は否定されていた。しかし民衆は集団で合戦に参加していることが確認された。更に領主による徴兵ではなく、自主的に参加している可能性が高い。民衆はどの領主に付くか、自ら選択し加勢していたようである。 民衆の集団は大勢であることが多い。そのため民衆の加勢が合戦の勝敗に大きな影響を与える。 また民衆の合戦への参加は基本的に自由で、近辺の民衆すべてが合戦に参加することも逃げることもあり、民衆の意思に委ねられていた。   3. 東国の民衆 「東夷の愚なる心を能察して、賞を重く、罰を軽く、慈悲を深くせられしに」とあるように、東国を統治する武将は民衆に寛大な対応を取っていた。一例に伊達政宗の一揆への対応が挙げられる。伊達政宗は一揆勢を制圧した後、主犯数名以外をすべて許している。しかし上方武将たちは一揆勢を皆殺しにし、圧政を行った。このような上方武将たちは民衆の信頼を得られず没落した。また、関白秀吉が東国に武将を派遣した時にも、民衆は懐いた旧主に従い一揆が多発した。 つまり東国は民衆の自立心や影響力が強かったと考えられる。   4. 籠城 民衆は合戦の際、武士と共に 籠城していることが確認された。また民衆は戦闘員として戦いに参加している。藤木(2009)では、民衆の籠城を「敵の濫妨狼藉を逃れての避難」としている。更に民衆の戦闘員化については特殊な事例とし、松山城・忍城の例を挙げている。つまり本研究で確認された戦闘員としての民衆は全国的に珍しいと言える。これは東国という地域の特徴であると考えられる。 また、郭に民衆を住まわせ、敵の襲撃に備えるという事例も確認された。この郭のシステムは、①敵の襲撃を察知すると、女性が太鼓や注進を以て、武士に伝える②男は弓・鉄砲・長柄を持ち駆け付け、敵を防ぐ③その間に、武士は武具を固め、馬に乗り、決められた持口を固める、というものである。このような郭は、藤木(2009)で古代中国の城郭都市の例を挙げ、領主の「城」と民衆を保護する「郭」の二重構造を紹介している。日本の城郭でも領土争いの激しい境目の地域では、郭に民衆が住み防衛を行っていることが確認された。   5. 戦場の女性たち 女性や子供たちは掠奪の対象になり易い。しかし戦闘員としての役割もあると分かった。特に籠城戦で女性の活躍が多くみられる。『奥羽永慶軍記』で確認された女性の役割は、①石を落して、堀への侵入を防ぐ②弓・鉄砲を打ち懸ける③棒や竹竿をもって、武者の後ろに並び、大勢に見せかける④疲れた兵士に水を出す、というものである。また、籠城戦での女性の避難場所は本丸の可能性が高い。   6. 結論 東国の民衆は合戦に積極的に参加している。集団で合戦に加勢することもあれば、女性たちが籠城戦に参加することもある。「被害者で第三者」という今までの民衆像は、東国において当てはまらないと確認できた。また、民衆と武士という境が曖昧であると感じた。 更に、郭の存在や民衆の自立心など東国の特徴と思われる事例も確認された。   7. 参考文献 戸部一憨斎正直『奥羽永慶軍記』校注 今村義孝 無明舎出版 2005年 藤木久志『雑兵たちの戦場』 朝日新聞社 2007年 藤木久志『城と隠物の戦国誌』朝日新聞出版社 2009年 笹間良彦『図説 日本戦陣作法事典』柏書房 2000年 等   原文から抜粋