浅野友理映「明治三陸津波における救護・衛生対策(抜粋)」

  【はじめに】2011年3月11日、東日本大震災が発生。私の住む宮城県多賀城市では、感染症等の二次的被害を予防するため市職員による石灰の噴霧、市民に対する石灰の分配が行われていた。そこで本研究では、明治29(1896)年の明治三陸津波を取り上げ、当時の宮城・岩手両県下の救護活動及び衛生対策を明らかにすることを目的とする。   【研究方法】『宮城県海嘯誌』、『岩手県災害関係行政資料』といった行政史料、その他当時発行されていた新聞、雑誌等を史料として研究を行なった。   【被災地における救護・衛生対策】①津波後の衛生上の注意:宮城・岩手の両県知事は、被災地の汚染された環境における伝染病の発生を警告し、行政機関や警察に対して衛生上の相当の措置を講じるよう訓令し、被災者には衣食住の範囲で規定した摂生の心得を告諭し自衛を促した。 ②臨時病院における医療救護:臨時病院では、医師や看護人により負傷病者の救護が行われるとともに伝染病の発生や蔓延を予防するための衛生対策が実施されていた。 ③死体の取片付け(6月~7月):被災地では、負傷者救療に次いで死体の取片付けが急務とされていた。この任に当たったのが、知事の要請を受け派遣された警察官や工兵、津波被害を免れた隣郡からの人夫であった。 ④清潔法の施行(8月):陸上の取片付けが終了した被災地では、漂着死体の取片付けとともに井戸の浚渫が急務とされていた。宮城県では、8月1日から24日にかけて本吉・桃生・牡鹿の3郡で知事によって制定された清潔法が施行されている。   【終わりに】 県当局者・警察・人夫・被災民が出来得る限りの衛生対策に励み、医師らは負傷者救護に当たるとともに、病院内の疾病予防に取り組んだ。結果、幸い被災地に懸念されていた疾病の流行は見られなかった。   原文から抜粋