先生とつくる、デザイン選手権大会

黒木 健 先生

黒木 健 先生 | 秋田県立仁賀保高等学校 普通科(本稿執筆時)

※平成24年度より秋田県立西目高等学校 総合学科に勤務

1. 私と「デザセン」(なぜこんなにも夢中になるのか)

私の文章は、美術科やデザイン科などの専門性の高い高校の先生ではなく、「普通高校」の「様々な教科・科目の先生」にこそ読んでいただきたいなと思っています。これに関連したあるできごとがありました。詳しいお話しは文章の後半に出てきますので、しばしお付き合いください。
また、その普通高校は得てして同等の学力層の生徒によって構成されていますが、そのどの学力層の学校に勤める先生にも読んでいただき、デザセンにチャレンジしていただきたいのです。それだけの魅力(生徒を飛躍的に成長させる機会)がこの大会にはあります。

私はデザセン決勝大会に第1回から合計9回出場引率していますが、他のデザセンを愛する先生とは異なる最大のものは、「普通高校で」「学校を異動しても」「それぞれの学校3校で」決勝大会に出場しているということかもしれません。
なぜこんなにもデザセンに夢中になるのか、その一端をお話しさせてください。
あ、ちなみに9回も出ているのに1度も上位3位に入ったことがありません。元愛媛県立松山工業高校の犬伏先生からは、無冠の何とかとの称号を頂戴いたしました。

2. 取り組みは「美術の授業」と「美術部」で

(1) 美術の授業

教員に採用になって3年目の平成6年(1994年)、「第1回全国高等学校デザイン選手権大会」なる長い大会名の案内が届きました。コンクール、展覧会のDMは年中たくさん届きます。そのときも、危うく封も切らずゴミ箱に入れるところだったことを今でも覚えています。
何かを感じたのでしょう、思いとどまり封を切って書類を取り出して読みました。折しも絵画だ、ポスターづくりだといった高校美術の授業に疑問や不満を持ち、悶々としていた青年教師黒木は、その大会コンセプトに「これだ!」と思ったのでした。あたかもNHKのど自慢で合格の鐘が鳴ったかのように。

美術(もっと広くとらえると芸術、アート、さらに文化)の世界を考えたとき、それはとても批判的、革新的、能動的なエネルギッシュな世界の一面もあれば、調和と創意工夫、向上といった豊かな面も持ち合わせています。そのような魅力的な世界を扱う高校美術の授業の現状を見回したとき、(当時は)とても保守的で沈滞ムードが漂い、過去の偉大な何かに寄り添ったり、近づくような行為にしか感じられない場面が多々感じられていました。
「デザイン」もしかり。ステキな色・形の組み合わせ、ちょっと奇抜なアプローチがデザイン、それも「=ポスター」の感もありました。「ちょっとステキな小物達」や「かっこいい車達」もデザインを語る上でスタートでありゴールのようにも感じていました。実際、生徒に「どんなデザインの授業をやってきた?」と聞くと「ポスターづくりです」とほぼ100%がそう答えました。

(2)美術部の活動

自校において美術部というと、物静かで温和しい生徒が多く入部してきます。また、クラスで居場所をつくることが苦手であったりという生徒も少なからずいます。総じて、コミュニケーション能力の向上が望まれる生徒が少なからず在籍する、代表的な部活動と言えるかもしれません。

もちろん美術部は、そのような生徒の居場所としての存在意義もありますが、そのままでは就職にしろ、進学にしろ、各種試験・面接に加え将来の生活を考えると"このままじゃいけん!"状態と思いまいした(今もそう思っています)。
美術部員といっても、将来美術の専門の道に進む者はごく少数です。そして部活動という課外活動であっても、今で言うところのキャリア教育の役目も果たす役割があると考えています。
単にステキな物を創って展覧会に出品して授賞を目指すという内なる対話的活動だけでなく、ちょっと荒波立つ、摩擦係数の高いリアルな外側の世界と対話する学習機会がないものかも考えていました。

(3)授業と美術部、総じて

あるとき計算してみました。いったい高校生のどのくらいの割合が美術系の進学を果たしているのか。ざっくりと計算したところ1%強という数字が出ました。これは普通科も工業科も進学系の高校も就職主体の学校も、全部フラットに計算してということです。世の98%強の生徒は美術を専門とする道に進まない、言わば「普通の」生徒なのです。そのような普通の生徒に対して、スポーツに例えて言うならアスリートになるためのような美術教育を主とすれば、さらに美術嫌いの生徒が大量に輩出してしまうのではないか危惧しています。もちろん専門的な世界のことも認めながら。

これまでデザセンに取り組んだ私の実践をふり返ってみますと、多くのスタンスが「物を作って物事を解決するのではなく、物を無くすことでより良い環境を作り出す、または紙一枚という極々簡単なアプローチで今の状況を変える」提案でありました。前者は「マイナスのデザイン」といってもよいかもしれません。

なぜプラスの物作りに向かわなかったのか、それには当時の勤務校の美術室環境に原因があるのです。

Y高校 美術室の様子

Y高校 美術室の様子

このY高校は学力層としては非常に高いところにありましたが、美術室はとても狭く窮屈な状態を生徒に強いていました。2人掛けの会議用テーブル(キャスター付き)に、3人が座っての授業なのです。水洗い場もほぼ使うことができず、授業を行う上で様々な工夫が必要でした。
このような環境ですので、大きなもの作りを行う授業は困難で、どちらかというと比較的規模の小さいものか、"頭の中を"デザインする授業が多くなったのです。
全国的にも、このような環境で授業を行わなければならない高校はあるのではないでしょうか。そのような高校でも「デザセン」は十分実施可能だと思うのですが、いかがでしょうか。

単に諸問題を発見して分析して解決策を提示するだけでなく、「チーム」で「協力して」、「プレゼンテーション」し、世の最前線の方々からの質疑応答に「的確に答える(ライブ的に反応する)」という現代の教育に正に求められていることを、このデザセンで体験(学ぶ)ことができるのです。
学校教育の中の文化的なカテゴリーの中で、これほど動きのある魅力的なことがあるでしょうか。そして、結果として「総合的に生徒が育つ」のです。これほど学校現場でうれしいことがあるでしょうか。

3. 具体的な取り組みについて

(1)意識付け(導入部分)

普通高校で授業を行う上でもデザインを表面的な色・形の世界として扱うのではなく、広義のデザインの視点で行う必要があると強く思っています。
そこで導入としては教科書のデザイン作品の例を見ながら、「車のデザインとは」を軸に話を持っていっています。単に「車体のフォルム=デザイン」と捉えるだけでなく、どうしてこの車が必要とされて設定され(リサーチ)、最後はどのようにリサイクルのステージに入るのか、生まれてから消えるまでの大きな流れをデザインと捉えると、生徒は腑に落ちているようです。そして昨今、多く聞かれる「ライフデザイン」にも容易に結びつけることができます。ここまでくる家庭科、倫理、哲学も絡まってきます。
そうなのです、教師の視座では国語だ、倫理だ、家庭科だ、美術だなどと、生徒に教えるべき教科・科目はカテゴリー化されているように認識していますが、生徒や一般の方々の視座に視点を移動させると、そのカテゴリーの壁は薄く、ときにはそんなものは無く、それぞれが重なり合い混じり合う状況にあります。
デザイン(デザセン)はそれを身をもって学ぶ絶好のモチーフになりうるのです。

意識付けが終わると、次の段階は"大会としての"デザセンの理解です。ここは、第1回大会からのレビューや本番映像資料がそろっている私の強みが発揮されます。百聞は一見にしかずの一歩手前、各種資料を活用して大会の全体像を確認し、理解させます。この段階でほとんどの生徒は「デザインはおしゃれな色・形の組み合わせ」の既成概念を打破しています。

(2)チームの編成方法

最初の学校(横手高校)では、授業と部活動の両方で取り組みました。授業においては3人掛けのテーブルということもあり、出席番号順で自動的にチームをつくりました。部活動は任意の仲良しチームでした。
2校目は美術部のみ大会に挑戦し、チームは気の合う者同士でまとめました。
3校目の現任校においては、もう1度授業と部活動で取り組みました。授業は1年生と3年生、チーム分けは友達同士としましたが、人数の関係でどうしてもうまく組み合わせることができない場合は、異性とチーム結成という場合もいくつかありました。

(3)授業時間について

平成23年度は、1学期の12時間を割り振りました。授業としては一次選考の企画用紙提出までとなりましたが、最後は全グループが簡単なプレゼンテーションを行って、その状況も評価のひとつとしました。
一次選考を抜けたチームは、任意に昼休みや放課後を活用してボード制作を行いました。

(4)問題・課題の発見(テーマの設定)

私は問題・課題の発見方法に、マッピングを活用しています。今でこそ小学校や中学校でマッピングなどの各種発想方法を導入していますが、私の場合は平成6年の第1回大会への取り組み時から、マッピングを問題発見のツールとして活用しています。

その当時の授業が小説の中で挿絵となって紹介されました。豊島ミホ著 幻冬舎刊 「底辺女子高生」より

その当時の授業が小説の中で挿絵となって紹介されました。豊島ミホ著 幻冬舎刊 「底辺女子高生」より

まず、個人で生活の中の身近な事項に目を向け、諸問題をチェックしていきます。ここでのテクニックとしては雑多に拾い上げていくのではなく、"順番を決めて"行っていくとやりやすいことを経験させます。例えば、朝起きてから順番に思い出して、どんな物や事と関わり合ったかといった具合です。または1月からというのも可能ですし、思い切って生まれてからというのもありです。
家の中でも玄関から各部屋、隅々まで思い出したり、住んでいる街の駅やバス停から順番になどと設定しても、様々な物事が対象となってきます。

マッピングによるアイディア展開例

マッピングによるアイディア展開例

言葉の足し算による発想法例

言葉の足し算による発想法例

(5)アイデアの拡散、収束

個人によるマッピングが終わったところで、個人名を伏せた状態で全員分コピーし、生徒全員に配付できる数に冊子化します。個人の着眼点を今度は全員でシェアし、その拡大を図ります。年によっては、チームのメンバーいっしょに1枚の紙を使ってマッピングを行う場合があります。
その中から取り組むテーマを確定させていきますが、ここから客観性をフル動員させていきます。
・この問題を解決させると、どのくらいの人を幸せにできるのか。
・どのくらいのコストがかかって、それに見合うだけの効果が期待できるか。
・つくり出すだけでなく、止めたり無くしたりすることの方がよっぽどいいことはないか。
・既に誰かが取り組んでいないか。
・短い言葉でこの取り組みを表現できるか。

タイトル、着眼点、分析、解決策の流れができたところで、校内の様々な専門家である各教科・科目の先生方に、この考え方が魅力的なものであるか、落とし穴がないかを生徒は聞きに散ります。この場面ではその先生に初めて話しかけるという場合もあります。これがコミュニケーション能力の向上のきっかけとなる場合もあるのです。

ときには「ダメだし」をもらう場合もあります。そうしたときは、再度洗い直しです。根本からやり直しをする場合もありますが、上手にフォローしながらテーマ確定にもっていきます。

4. 取り組みによって得られるもの

上述しましたが、「生徒が総合的に育つ」ことに尽きます。
昨今よく耳にするのが、「デザイナーは技術力だけでなくコミュニケーション能力が大切」という言葉です。以前は、前例のないものをていねいにきれいに仕上げる能力がデザイナーに求められていたと聞きますが、現代においてはクライアントと上手に対話し、クライアントすら気付かない課題の根本を発見し解決方法を導き出し、チームで取り組んでいくのです。
この一連の行動は、何もプロのデザイナーでなくとも、一般社会において様々な業種、職種に就く人間に必要とされるものだと思うのです。これを高校時代に体験し、身に付けることができるのが「デザセン」と思うのです。

もちろんこれは、最終審査である決勝大会に出ることで最大の効果を発揮します。チーム内では大会本番まで幾度となく不協和音が発生し、疲れや妥協から顧問との衝突もあります。そのような中、チームサポートの大学生との出会いは救世主となります。チームサポートの大学生の立場に視座を移すならば、大学生にも成長の大きなきっかけとなるはずです。

なかなか大人と"まともに"会話をすることのできなかった生徒が、デザセンの帰り道に"激変"する様を体験した引率顧問は、私だけでないはずです。だからやめられないのです。通常の学校生活では希中の希でしょう。大会を通して、生徒たちは心の成長をも成し遂げているのです。

トピック1

「デザセン」と共に、引率教員による「夜のデザセン」もこの大会の大きな魅力です。現在は常連教員が減ってきていることから下火になったとは聞いていますが、大会本番の前日の夜に参加可能な顧問が集い、情報交換するのです。一般の部活動の大会では、まず考えられないことでしょう。それも全国のモチベーションと実力を兼ね備えたいろいろな教科、科目の最高に魅力的な教師が集うのです。
そしてもうひとつ、東北芸工大の教員、職員の方々との交流もかけがえのない学びの機会となります。特に長澤忠徳先生(現:武蔵野美術大学教授)との出会いは、まさにデザセンにがっちりロックオンです。先生は海外留学からの帰国後ということもあり、その情報とデザイン教育への熱い思いは、私たち教員の視野やモチベーションを大きく広げ、燃え上がらせていただきました。考えてみれば、当時の長澤先生の年齢と今の私の年齢はほとんど同じではないかと思っています。スゴイ!
決勝大会当日の提示装置のグレードアップや枝葉的な部分を除けば、あの第1回大会の要項や決勝大会出場に関する各種資料は、ほとんど変わっていないのです。これはいかに立ち上げのときから明確な理念と確固たる自信があったからに他ならないと思います。

トピック2

冒頭で「普通高校」の「様々な教科・科目の先生」にこそ読んでいただきたいと申し上げましたが、いよいよその根拠をお話しさせていただきます。

特筆すべきできごとが、平成23年度の大会で起こりました。同職の国語の先生がデザセンに取り組んだのです。彼の名前を、五十嵐恒憲と言います。彼が指導したチームは一次選考、二次選考と勝ち進み、決勝大会に出場したのです! つまり校内において、私が指導した美術関係の生徒が国語の先生の指導した生徒に負けたのです。これは悲しくも嬉しいできごとでした。

ことの顛末はこうです。五十嵐先生は校内分掌で進路指導主事を担い、広義の学力向上に意欲的に取り組んできました。その取り組みの中で、課外活動として勉強やボランティア活動といった正課の授業以外の活動で生徒の諸能力を伸ばそうという、「仁賀保高校BV会(ベンキョー&ボランティア同好会)」の立ち上げに関わりました。
その「勉強」の部分で、デザセンの「高校生の視点で、社会や暮らしのなかから問題・課題を見つけ、その解決方法を分かりやすく提案してください」というテーマに着目して、生徒を大会に参加させたのです。つまりこの大会は、生徒自身の受験と絡めたときに、小論文や面接や口頭試問、さらには大学入学後の専門分野の研究方法にも十分つながることを、身をもって学ぶ威力を持つということに気付き、大会を最大限に活用したのです。

ある日、五十嵐先生との雑談の中で、「進学の生徒にこそ、美術(ここで言う美術は広義の意味でのデザイン)の授業は必要ですよね」という言葉を聞くことができたのは、美術の授業の最大の援護射撃と感じました。

デザインという行動は、何も美術やデザイン系の専門家のみが取り扱うことができる特殊なものではないことを実証したように思います。

そして前述のように、カテゴリー化されたカリキュラムの視座で教育諸活動を行うのではなく、社会や生徒の視座でそれらを行うとき、教育や学びの世界は彼ら彼女らの腑に落ち、社会もそれを認め、学校と社会が一体化するものと思うのです。

今後の抱負

平成24年度の定期人事異動により、私は隣の西目高校に異動となりました。デザセンに取り組み始めて、4校目の学校となります。もちろん次の学校でもデザセンに取り組み、願わくは決勝大会に出場したいと思っていますが、もうひとつ、現任校である仁賀保高校とダブル出場になることを夢見ています。
過去、秋田県内から決勝大会に2校同時に出場したことがあります。当時勤務していた横手高校と、隣の女子校である横手城南高校です。このときは本当に嬉しかった記憶があります。

残念ながら、私が異動した後の学校は決勝大会に出場していません。それ以前に、大会への取り組みも途絶えてしまっています。デザセンの魅力を広めていくことを、今後もがんばっていきます。望まれるは、秋田県から複数校が決勝大会に出場し、本当のデザインの概念を身に付け、コミュニケーション能力を飛躍的に伸ばすその現場に居合わせたいと思うのです。

秋田県立仁賀保高等学校

秋田県立仁賀保高等学校

昭和52年に地域の熱望により開校した、秋田県の中で沿岸部の一番南側に設置された高校です。気候は北国秋田の中でも比較的温暖なため「秋田の湘南」と言われ、そのような環境の下で、生徒は勉学や部活動、ボランティア励んでいます。平成15年度に情報メディア科が学年に1クラス設置され、普通科3クラスの計4クラスとなっています。
〒018-0148 秋田県にかほ市象潟町下浜山3-3

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