学長 根岸吉太郎より前理事長 德山詳直への追悼の言葉

かねてより療養中であった東北芸術工科大学の徳山詳直理事長が2014年10月20日に永眠されました。大学の設立に大きく関わり、また2000年からは3代目の理事長として大学の発展に寄与された足跡はあまりに大きく、この空白を埋めるには今後どれだけの熱意と努力を必要とするのか計り知れません。もちろん努力では追いつかないものも沢山あります。特に入学式や卒業式で学生に力強く語りかける徳山理事長の姿を忘れることはできません。それは私だけではなくすべてのその場に立ち会った学生、来賓、理事、教職員に共通する記憶です。

ゆっくりと演壇のマイクを整え、学生と真摯に数秒向かい合い、そして語りかける。「大学は君たちのため存在している。それ以外の何のためでもない」「芸術とは何か?不幸な人を少しでも幸せにするために芸術はある」若者を、人を、日本を、地球を愛する気持ちと現代文明の反省の上に芸術によって日本を再興しようという気概が溢れていました。

徳山氏の人生にとっても学生時代は原点でしょう。同志社大学に入学した氏は日本の再生のためにと革命を志し、活動により何度も投獄され、そのときに母親が差し入れた奈良本辰也の『吉田松陰』を読んだことがきっかけで人生を松陰に賭けようと決意したと語っています。日本のために命をかける、また松下村塾のように若者の教育の道を作り出す闘争を続ける決心を固めたのです。

徳山氏は大学について語るときに「命をかけて」「命のある限り」と繰り返し言いました。その言葉を確かに実践して京都の瓜生山に京都造形芸術大学を設立し、山形において東北芸術工科大学設立の指針と理念を示されました。今日、本学本館が蔵王の麓、龍山を背景にまさに「山の形」の三角型の独特な形状であることも、山から流れ来る清水を受け止める広大な水面を持つことも、出羽三山に向かって「気」を受け入れている位置に存することも、氏の考えの中にあった人と自然が調和する「縄文の精神」の復活が形になっていったものではないでしょうか。

単なる大学経営者ではなく、理念をもって生き抜いた巨人でした。日本の将来のみならず、常に世界に目を向け、芸術が世界の平和にどうすれば貢献できるか、環境破壊を食い止め、貧困を根絶できるか、と自己にも他者にも常に問いかけていました。それはまるでドン・キホーテのように見えたかもしれません。しかしその種は撒かれ数々の芸術活動や大学の交流によって、山形から京都から確実に東南アジアを経由して世界に広がりつつあります。

また同時に心遣いの人でもありました。学生、教職員の病や家族の不幸等を聞けば自ら声をかけ見舞いをする繊細さを持ち、震災後の東北には特に心を配っていました。

肺炎からの入退院の直後、5月に周囲の反対を押し切って山形に来られたのもその気持ちからでしょう。「山形を頼むよ。私も命ある限りがんばる」と手を握って語りかけられました。それはまさに命がけの山形行だったのです。この時にお目にかかったのが最後となりました。翌日、自宅に戻ることも叶わず京大病院の集中治療室に入り、それ以降家族以外の誰とも面会することなく亡くなられました。こよなく愛した山形での私たちとの会食が徳山詳直理事長84歳の人生最後の食事となったのです。

まさに「遺志を継げ」というメッセージにほかなりません。松陰の遺志をついだ若者が日本の改革を成し遂げたように、我々と若者が命がけでがんばる番でしょう。

東北芸術工科大学 学長 根岸吉太郎

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